ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第11巻/ヨハネス・カッシアヌス/十二の書/第8巻/第5章
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ヨハネス・カッシアヌスの十二の書
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第8巻。
怒りの精神について。
第5章
[編集]修道士はどれ程、穏やかであるべきか。
ですから、完成を目指し、霊的戦いにおいて正道に歩もうとする修道士は、怒りや憤りのあらゆる罪から自由であり、「選ばれた器」が自分に与える戒めに耳を傾けるべきです。「すべての怒り、憤り、騒ぎ、悪口、そしてあらゆる悪意を、あなたたちの中から取り除きなさい」と師は言います[1]。「すべての怒りをあなたたちの中から取り除きなさい」と言うとき、師は怒りが私たちにとって必要であったり有益であったりすることを一切除外していません。そして、必要であれば、過ちを犯した兄弟を直ちに治療すべきです。軽い熱に苦しんでいる兄弟に治療を施すことはできますが、怒りによってより危険な失明の病に陥らないようにするためです。他人の傷を癒そうとする者は、自分自身が健康で、あらゆる弱さから解放されていなければなりません。そうしないと、「医者よ、まず自分自身を癒せ」[2]という福音の言葉が、その人に当てはめられることになりかねません。また、兄弟の目にあるちりを見ても、自分の目にある梁が見えないようにしてはいけません。自分の目に怒りの梁があるのに、どうして兄弟の目からちりを取り出すことができようか[3]。
脚注
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