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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第11巻/ヨハネス・カッシアヌス/十二の書/第8巻/第21章

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ヨハネス・カッシアヌスの十二の書

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第8巻。

怒りの精神について。

第21章

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福音書に書かれている「兄弟に対して怒る者はだれでも」という部分に「理由なく」という付加を認めるべきかどうか。


しかし、多くの写本に見られる「兄弟に対して理由もなく怒る者は、裁きを受ける危険がある」[1]という箇所において、「理由もなく」という言葉は不必要であり、正当な理由による怒りを根絶すべきではないと考えていた人々によって付け加えられたものであることを、あなたは知っておくべきです。なぜなら、どれほど理不尽なことで動揺したとしても、誰も理由もなく怒っているとは言わないからです。したがって、聖書の趣旨を理解していない人々によって付け加えられたものと思われます。聖書は、怒りの動機を完全に根絶し、憤慨の機会を一切残さないことを意図していました。理由があって怒るように命じられているにもかかわらず、理由もなく怒る機会が私たちに訪れることのないようにするためです。忍耐の目的と目標は、正当な理由で怒ることではなく、全く怒らないことにあるからです。この「理由なく」という表現を、理由もなく怒っている人は、怒った時に復讐を求めることは許されない、と解釈する人がいることを私は知っています。しかし、多くの現代の写本や古代の写本に書かれている通りに解釈する方がよいでしょう。


脚注

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  1. マタイ 5章22節。ウェストコットとホストは、εἰκῆという語が「西方およびシリア語」であると述べています。この語はオリゲネスのאּ(α)、Bには存在せず、またウルガタ聖書のヒエロニムスにも認められていません。
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原文:

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翻訳文:

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