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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第11巻/ヨハネス・カッシアヌス/十二の書/第8巻/第12章

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ヨハネス・カッシアヌスの十二の書

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第8巻。

怒りの精神について。

第12章

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人ができる限り怒りを行動に移すとき、怒りと癇癪かんしゃくはこうして終わる。


しかし、すべての人にとって復讐はこれで終わるわけではないようだ。怒りの衝動をできる限り行動に移すことでしか、憤りや不機嫌を完全に解消することができない人もいる。そして、感情をしずめたいからではなく、単に復讐の機会を逃したために感情を抑え込んでいる人たちに、まさにそれが当てはまることを私たちは知っている。なぜなら、彼らは怒りを感じている相手に対して、普通の礼儀正しさを欠いた言葉を投げかけることしかできないからだ。あるいは、怒りは行動によってのみ和らげられるべきであり、私たちの胸に潜むその場所から完全に根絶することはできないかのように思える。そのため、怒りの影に圧倒され、私たちは怒りの霊が私たちの中に宿っている限り、健全な助言と知識の光を受け入れることができないだけでなく、聖霊の神殿となることもできないのだ。心の中に抱く怒りは、傍観者を傷つけないかもしれないが、公然と表に出された怒りと同様に、聖霊の光の輝きを排除するからである。


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原文:

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翻訳文:

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