ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第11巻/ヨハネス・カッシアヌス/十二の書/第8巻/第10章
ヨハネス・カッシアヌスの十二の書
__________
第8巻。
怒りの精神について。
第10章
[編集]あなたの怒りによって太陽は沈まないと言われている。
そしてこの太陽について、神は預言者を通して次のように明確に言及しています。「しかし、わたしの名を畏れる者には、義の太陽が昇り、その翼には癒しがある。」[1]また、この太陽は、罪人や偽預言者、そして怒っている者の上には、正午に「沈む」と言われています。預言者は、「彼らの太陽は正午に沈んだ。」[2]と言っています。 そして、少なくとも「tropically 情熱的に」[3]、心、すなわち νοῦς(ヌース) あるいは理性は、心のあらゆる考えや判断を見守ることから太陽と呼ばれるにふさわしいものですが、怒りの罪によって消されてはいけません。なぜなら、それが「沈む」とき、騒乱の影が、その創造主である悪魔と共に、私たちの心のすべての感情を満たし、暗い夜のように、怒りの影に圧倒され、私たちは何をすべきか分からなくなるからです。そういう意味で、長老たちの教えによって私たちに伝えられた使徒のこの一節を、たとえ多少長くなる危険を冒しても、私たちが取り上げたのは、彼らが怒りについてどのように感じていたかを示す必要があったからです。なぜなら、彼らは怒りが一瞬たりとも私たちの心に侵入することを許さないからです。福音の次の言葉を、特に注意深く観察してみましょう。「兄弟に対して怒る者は、裁きを受ける恐れがある。」[4]しかし、もし日没まで怒ることが許されるなら、私たちの怒りの過剰と怒りの復讐心は、太陽が沈む前に、激しい情熱と危険な興奮を駆り立てるでしょう[5]。
脚注
[編集]| この文書は翻訳文であり、原文から独立した著作物としての地位を有します。翻訳文のためのライセンスは、この版のみに適用されます。 | |
| 原文: |
|
|---|---|
| 翻訳文: |
原文の著作権・ライセンスは別添タグの通りですが、訳文はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスのもとで利用できます。追加の条件が適用される場合があります。詳細については利用規約を参照してください。 |