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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第11巻/ヨハネス・カッシアヌス/十二の書/第7巻/第15章

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ヨハネス・カッシアヌスの十二の書

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第7巻。

貪欲の精神について。

第15章

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世間をひどく放棄する人と、まったく放棄しない人との間の違いについて。


この世を捨てたと言いながら、後に信仰の欠如に打ち負かされ、現世の財産を失うことを恐れる人々に対して、申命記は神秘的な戒めを与えています。「恐れおののく者、心おののく者は、戦いに出て行ってはならない。帰って家に帰れ。そうしなければ、自分が臆病で怯えているように、兄弟の心をも恐れさせるであろう。」[1]この証言以上に明白なものがあるでしょうか。聖書は、彼らがこの信仰告白とその名を、たとえごく初期の段階であっても引き受けるべきではないと明確に述べているのではないでしょうか。むしろ、彼らの説得と悪い例によって、福音の完成から人々を遠ざけ、不信仰な恐怖によって彼らを弱体化させるよりも。だからこそ、彼らは戦いから退き、家に帰るように命じられているのです。なぜなら、人は二心をもって主の戦いに挑むことはできないからです。 「二心の人は、そのすべての道において不安定である」[2]。福音書のたと[3]によれば、一万人の兵士をひきいて出陣する者が、二万人の王を率いてやって来るのに、戦うことは到底できないと考えるなら、王がまだ遠くにいるうちに和平を求めるべきである。つまり、ややかな気持ちで誓いを立てて、後になってさらに大きな危険に陥るよりも、まずは放棄への第一歩さえ踏み出さない方がよいのである。「誓いを立てて果たさないよりは、誓わない方がよい」[4]。しかし、一方が一万人、もう一方が二十人でやって来ると描写されているのは、実に巧妙である。私たちを襲う罪の数は、私たちのために戦う美徳の数よりもはるかに多いからである。しかし、「神と富とに仕える者はいない」[5]。そして、「鋤に手をかけながら後ろを振り返る者は、神の国にふさわしくない」[6]

脚注

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  1. 申命記 20章8節
  2. ヤコブ1:8
  3. ルカ14章31、32節
  4. 伝道の書 5章4節(七十人訳)。
  5. マタイ6章24節
  6. ルカによる福音書 9章62節
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原文:

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翻訳文:

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