ヨハネス・カッシアヌスの十二の書
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第5巻。
暴食の精神について
肉体の欲望は悪徳を完全に根絶しなければ消滅しないということ。
他の主要な悪徳の動機が完全に根絶される前に、肉体の激しい衝動を消し去ることは不可能である。神が許されるならば、これについては適切な場所で、別の書物で別途述べることにする。しかし今、私たちはまず暴食、つまり味覚の欲望に対処しなければならない。食欲の欲望を抑制できない者は、燃え盛る情欲の衝動を抑えることは決してできない。内なる人の貞潔さは、この美徳の完成によって示される。なぜなら、あなたは、より強い敵の抵抗に抗えると確信することは決してないだろう。なぜなら、あなたは、より高度な闘争において、より弱い敵が、その敵を打ち負かすのを見たことがあるからだ。すべての美徳は、一見多くの異なる種類と名前に分けられているように見えても、その本質は一つである。金も一つの実体であるが、金細工師の技量に応じて、様々な種類の宝飾品に分散されているように見えるのと同様である。そして、徳のどこかが崩壊したことが知られている人は、完全な徳を持たないことが証明される。なぜなら、心の節度を欠いたことのみから生じる激しい怒りを抑えることのできない人が、(肉体的な刺激だけでなく、精神の悪徳によっても燃え上がる)情欲の燃え盛る熱を消し去ったなどと、どうして信じられようか。あるいは、単なる傲慢さという欠点を克服できなかった人が、肉体と精神の奔放な欲望を抑圧したなどと、どうして信じられようか。あるいは、肉体に染み付いた奔放さを踏みにじり、金銭への愛という、外部的で私たち自身の本質の外にあるものを否定できなかった人が、どうして信じられようか。落胆という病を治すほどの人間性を備えなかった人が、肉と精神の戦いに、どうして勝利できるというのか。どれほど巨大な都市が、高い城壁と堅固な門によって守られていたとしても、どんなに小さな門の一つでも破られれば、都市は滅ぼされてしまう。危険な敵が都市の中心部に侵入する際に、高い城壁を越え、門の広い空間を通って侵入するにせよ、秘密の狭い通路を通って侵入するにせよ、何の違いがあるというのだろうか。
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