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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第11巻/ヨハネス・カッシアヌス/十二の書/第11巻/第4章

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ヨハネス・カッシアヌスの十二の書

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第11巻。

虚栄心の精神について

第4章

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虚栄心は右にも左にも修道士を襲うこと。


ですから、「右と左にある正義の腕」によって王の道を歩もうとする者は、使徒の教えに従って「名誉と不名誉、評判と評判」[1]を通り抜け、誘惑の波が押し寄せる中で、慎重に高潔な道を導き、思慮分別を舵取りに持ち、主の御霊が私たちに吹き込むようにしなければなりません。なぜなら、ほんの少しでも右か左に逸れれば、たちまち最も危険な岩山に打ち砕かれることを私たちは知っているからです。ですから、最も賢明な人であるソロモンは私たちに警告を与えています。「右にも左にもそれるな」[2]つまり、自分の美徳にうぬぼれ、右の霊的達成に慢心してはならないということです。また、左手の悪徳の道に逸れて、(使徒の言葉を借りれば)「恥の中に誇りを見出そう」ともしてはなりません[3]。というのは、悪魔は、体にぴったり合ったきちんとした服装で人の虚栄心を植え付けることができない場合、汚く、安っぽく、無頓着な服装で虚栄心を持ち込ませようとするからです。名誉で人を引きずり下ろすことができない場合、謙遜さで打ち負かします。知識と雄弁さの恵みで人を高ぶらせることができない場合、沈黙の重みで引きずり下ろすのです。断食を公然と行う人は、虚栄心の高ぶりに襲われます。断食の栄光を軽蔑するために断食を隠す人は、同じ高ぶりの罪に襲われます。虚栄心の汚れに汚されないように、兄弟たちの前で長い祈りをすることを避けます。しかし、彼はそれを秘密に提供し、誰にも気づかれないため、虚栄心の傲慢さから逃れることができません。


脚注

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  1. 2コリント 6:7, 8
  2. 箴言 4章27節(七十人訳)。
  3. ピリピ 3章19節
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原文:

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翻訳文:

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