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ニカイア以前の教父たち/第3巻/護教的論文/偶像崇拝について/第7章 偶像崇拝者が教会に、いや牧師職にまで入信したことに対する信者の悲しみ

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テルトゥリアヌス

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偶像崇拝について

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第7章 偶像崇拝者が教会に、いや牧師職にまで入信したことに対する信者の悲しみ

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一日中、信仰の熱意はこの方面に嘆願を向けるであろう。キリスト教徒が偶像から教会へ、敵対する工房から神の家へ、偶像の母である手を父なる神に上げ、戸外で神に敵対して祈られる手で神に祈り、悪魔に体を授けるあの手を主の体に当てることを嘆くのだ。しかし、これだけでは十分ではない。他人の手から汚したものを受け取るのは小さなことだと認めなさい。しかし、その手そのものが、汚したものを他人に渡すのだ。偶像を作る者たちは、教会の秩序の中にも選ばれている。ああ、邪悪!かつてユダヤ人はキリストに焼き印を押した。彼らは毎日キリストの体を切り裂いている。ああ、切り落とされるべき手!今、「もしあなたの手があなたに悪を行わせるなら、それを切断せよ」ということわざ[1]は、単なるたとえとして発せられたものかどうかを確かめなさい。主の体に汚点がつけられた手よりも切断されるべき手があるだろうか?


第8章 偶像崇拝に従属するその他の芸術。合法的に生計を立てる手段は豊富にある に続く】

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脚注

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  1. マタイ 18:8
この文書は翻訳文であり、原文から独立した著作物としての地位を有します。翻訳文のためのライセンスは、この版のみに適用されます。
原文:

この作品は1931年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。

 
翻訳文:

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