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ニカイア以前の教父たち/第3巻/護教的論文/偶像崇拝について/第6章 偶像崇拝は洗礼によって非難される

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Wikisource:宗教 > ニカイア以前の教父たち > 第3巻: テルトゥリアヌス

テルトゥリアヌス

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偶像崇拝について

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第6章 偶像崇拝は洗礼によって非難される。偶像を作ることは、実際にそれを崇拝することである。

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もし神のいかなる律法も、偶像を作ることを禁じていなかったとしたら、もし聖霊のいかなる声も、偶像を造る者と偶像を崇拝する者の両方に対して、同じように一般的な脅しを発していなかったとしたら、私たちは、そのような芸術は信仰に反するという解釈を、私たちの聖礼典自体から引き出すでしょう。なぜなら、もし偶像を造るなら、どうして私たちは悪魔とその使いたちを拒絶したことになるのか? 彼らとどんな離婚を宣言したことになるのか? 誰とではなく、誰に依存して生きているのかと言うのだ。私たちは、生活のために恩義を負っている人々とどんな不和に陥ったことになるのか? 手で告白したことを、舌で否定できただろうか? 行為で作ったことを、言葉で無効にできるだろうか? 多くの神を造るあなたが、唯一の神を説くことができるのか? 偽りの神を造るあなたが、真の神を説くことができるのか? 「私は を作るが、礼拝はしない」とある人は言う。あたかも、どちらの場合も、神に対して犯した罪という、作るべきではない理由のほかに、あえて礼拝できない理由があるかのように。いや、あなたがたは、崇拝されるために造ったものを崇拝している。そして、あなたがたは、価値のない香水の香りではなく、自分自身の香りで崇拝している。また、獣の魂を犠牲にするのではなく、自分自身の魂で崇拝している。彼らにはあなたがたの創意工夫を捧げ、彼らにはあなたがたの汗を献酒とし、彼らにはあなたがたの先見の明というたいまつを灯している。彼らにとって、あなたは司祭以上の存在である。あなたがたのおかげで彼らは司祭を得ているのだから。あなたがたの勤勉さが彼らの神性となっているのだ[1]。あなたは、自分が造ったものを崇拝していないと断言するのか? ああ! しかし、あなたがたは、より太くて、より貴重で、より大きな犠牲、すなわち、あなたの救いを彼らに捧げている。


第7章 偶像崇拝者が教会に、いや牧師職にまで入信したことに対する信者の悲しみ に続く】

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脚注

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  1. すなわち、あなたが それらを作らなければ、それらは存在しなかったであろうし、したがって[神性とはみなされなかったであろう。したがって]あなたの勤勉さがそれらに神性を与えるのです。
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原文:

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翻訳文:

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