ニカイア以前の教父たち/第3巻/護教的論文/偶像崇拝について/第16章 民間の祭りについて
テルトゥリアヌス
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偶像崇拝について
[編集]第16章 民間の祭りについて
[編集]しかし、私的かつ社交的な厳粛な儀式、例えば白のトーガ、婚約、結婚式、命名の儀式などについては、偶像崇拝の息吹が混じっているので、警戒する必要はないと私は思う。儀式の原因は考慮されるべきである。上に挙げたものは、それ自体は清浄であると私は考える。なぜなら、男らしい服装も、結婚指輪や結婚も、偶像崇拝から生まれたものではないからである。要するに、男が女装すること以外に、神に呪われた服装はないと私は思う[1]。なぜなら、神は「女装する男は皆呪われている」と言っているからである。しかし、トーガは男らしい名前の服であると同時に男らしい用途の服でもある[2]。神は、名前を付けることと同じように、結婚式を挙げることも禁じてはいない。「しかし、これらの機会にふさわしい犠牲はある。」招待されたら、儀式のタイトルを「犠牲の手伝い」としないでください。私の善行は友人への奉仕です。本当に「彼らの奉仕」であれば、私たち が行ってはいけないことを見ずにすみます。しかし、悪魔が世界を偶像崇拝で取り囲んでいるので、偶像ではなく人間への奉仕を行う儀式に参加することは合法です。明らかに、司祭の職務と犠牲に招待されたとしても、私は行きません。それは偶像に特有の奉仕だからです。しかし、私はそのようなことに関して助言や費用、その他の善行を提供するつもりはありません。私が招待され、傍観しているのが犠牲のためであれば、私は偶像崇拝に加担することになります。他の理由で犠牲を捧げる人と結び付けられるのであれば、私は犠牲の傍観者にすぎません[3]。
【第17章 召使と他の役人の場合。クリスチャンの人が就くことのできる役職 に続く】
脚注
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