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ニカイア以前の教父たち/第3巻/倫理的論文/祈りについて/スタティオについて

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第3巻

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祈りについて。

[S. テルウォール牧師による翻訳]

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第19章 スタティオについて。


同様に、スタティオ(statio)の日[1]についても、多くの人は、スタティオは主の御体を受けることによって解消されるという理由で、犠牲の祈りに出席してはならないと考えています。では、聖体は神に捧げられた礼拝を無効にするのでしょうか、それとも、より神に結び付けるのでしょうか。神の祭壇[2]に立っていれば、あなたのスタティオはより荘厳なものになるのではないでしょうか。主の御体を受け取って保管[3]すれば、犠牲への参加と義務の遂行の両方が保証されます。「スタティオ」という名称が軍隊生活の例に由来するのであれば――私たちも神の軍隊[4]ですから――もちろん、喜びや悲しみに駆られて陣営に歌を捧げても、兵士のスタティオは廃止されません。喜びは規律をより喜んで、悲しみはより慎重に行うからです。


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脚注

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  1. Statio という語は 古代教会において複数の意味で用いられていたようです。前述の『ヘルマスの牧者』(B. iii. Sim. 5)の一節では、この語は「断食する」という意味に解釈されているようです。
  2. 「アルターレ(altare)」ではなく「アラ(Ara)」。
  3. For receiving at home apparently, when your station is over.
  4. 2テモテ第二章1節などを参照。[ヘルマス第一巻33ページを参照]
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原文:

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翻訳文:

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