コンテンツにスキップ

トーク:直毘霊

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。
話題追加
提供:Wikisource
最新のコメント:4 年前 | 投稿者:CES1596

@百年斎さん宛 本作品についてですが、校訂者である倉野憲司氏が1991年に亡くなられているため、著作権上の問題が生じる可能性があります。詳細につきましては校訂者の権利に関する青空文庫の事例をご覧いただければ幸いです。--CES1596 (トーク) 2020年1月22日 (水) 16:25 (UTC)返信

ご指摘ありがとうございます。本作品の底本『古事記傳』(岩波文庫、昭和15年発行)につきましては、国立国会図書館デジタルライブラリーにて「インターネット公開(保護期間満了)」とされており、著作権上問題あるまいと判断して底本として利用しました。校訂者の権利についても少々気になったのですが、少なくとも国会図書館はこの本の校訂に著作権を認めていないようです。また、Wikisource:著作権では「著作性のある校訂がなされている著作物であれば校訂者についてもそれぞれ著作権を有していることに留意する必要があります」とあり、校訂に著作性があるかないかで判断が分かれると承知しています。ここでいう著作性という言葉の意味は明確でありませんが、おそらく日本の著作権法でいえば第2条第1号「思想又は感情を創作的に表現したもの」ということなのだと思います。創作的か否かの判断は主観的になりますが、倉野憲司氏の校訂は、註釈などもなく、基本的に純粋な翻刻であり、創作的でありません。したがってその校訂に関しては著作権が存在しないと判断できます。ご紹介いただいた青空文庫の事例ですが、そのウェブページにある通り「判断は個別の案件ごとに、校訂の具体的な内容に鑑みて行うしかない」と思われます。岩波文庫版『古事記傳』中「直毘霊」の校訂について具体的内容を鑑みて個別に判断しますと、上述のとおり著作権は生じないと考えられます。なお、青空文庫の事例で問題となった岩波文庫版『風姿花伝』につきましては、私は校訂の具体的内容については承知しておりませんが、国立国会図書館デジタルライブラリーでは国会図書館内限定閲覧であり、著作権保護期間満了とは判断されていません[1]。想像するに、その校訂が創作的と認められたのではないかと思われます。校訂の著作権については石岡克俊氏の論文「『校訂』の著作権法における位置」もご参照ください(青空文庫の考え方が批判されています)。以上をもちまして、岩波文庫版『古事記傳』中「直毘霊」につきましては、著作権上の問題は生じないと考えます。ただ、岩波文庫版『古事記傳』冒頭に載せられた「解説」には倉野憲司氏の著作権が生じると考えられます。国会図書館はこの「解説」を含めて著作権保護期間満了と判断してインターネット公開しているわけですが、この点はやや問題含みと思われます。国会図書館のインターネット公開には大正新脩大蔵経をめぐるトラブルのようなものもありますし。「解説」の著作権問題は「直毘霊」に直接関係するものありませんが、いわくつきの底本を敢て利用することに拘ることもありませんので、底本の変更を検討したいと思います。ご指摘ありがとうございました。今度とも宜しくお願いします。--百年斎 (トーク) 2020年1月23日 (木) 08:22 (UTC) 上記は@CES1596さん宛 です。--百年斎 (トーク) 2020年1月23日 (木) 09:27 (UTC) 追記返信
ご回答ありがとうございました。了解致しました。またご教示いただきました石岡克俊氏の論文、興味深く拝見させていただきました。今後ともよろしくお願い致します。--CES1596 (トーク) 2020年1月23日 (木) 14:49 (UTC)返信