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ディオニュシオス・アレオパギテスの著作/神秘神学/第5章

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神秘神学

第5章

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<< 知性によって認識できるすべてのものの卓越した原因は、知性によって認識できるものの何ものでもないこと >>


一方、さらに上昇して我々は言う。それ(万物を超えている卓越した原因)は魂でも知性でもなく、想像力や意見や理性や概念を持たず、表現されることも、考えられることもなく、数でも秩序でもなく、偉大さでも小ささでもなく、平等でも不平等でもなく、類似性でも非類似性でもなく、なにもせず存在することもなく、動いているのでも静止しているのでもなく、力でもなく、力をもっているのでも、光をもっているのでもなく、生きているのでもなく、生命であるのでもなく、存在でも、永遠でも、時間でもない。知性で認識できる接触や感触ではなく、科学でも、真理でも、主権でも、知恵でもない。一者でも、一性でもない。神性でも、善良さでもない。我々の理解できるような霊でもない。子性でも、父性でもない。我々に知られているもの、あるいは他の存在するものの何物でもない。それは存在しないものでも、存在するものでもない。存在するものはそれをあるがままに知っているのではなく、存在するものを、存在するものとして知っているのではなく、その表現も、名前も、知識もない。それは闇でも光でもなく、誤りでも真実でもなく、いかなる定義付与も、いかなる除去も存在しない。しかし、それ以後の事物について定義付与や除去を行う際、我々はそれ自身に対して定義付与したり除去したりしない。なぜなら、万物の完全かつ均一な原因は、あらゆる定義を超え、また、あらゆるものから完全に自由であり、全体を超えた神の卓越性もまた、あらゆる除去を超えているからである。


出典

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原文:

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翻訳文:

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