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ソウェート東方策/十六

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十六 赤白分野狀態の支那軍閥

五大軍閥の亂闘・張作霖とロシア・郭松齡の叛起・呉張の 聯盟・呉佩孚の「赤化」論・ソウェート政治家の呉張 論・馮玉祥の思想 モスクワにおける馮玉祥・露馮密約 ・蒋介石の抱負・北伐軍の長江進出「赤化」の最大援助

ポリシエウィキーの對「赤化」政策は、以上の數章において記述したところを要 約するに、大橙左記の方畧によつて進められつゝあるものと見ることが出来る。 一、先ブシベリア在住の蒙古及びプリャート民族の間にソウェート制度を布き、然 る後、徐ろにこれを隣境外蒙古の同種族に及ぼし、庫倫政府をソウェート化したのは 所謂「實物宣傳」による「赤化正攻法」と見るべきものである。但しこの政策は外蒙 古において、見事に成功したが、 内蒙古に来て頓挫の狀態にある。(第十章) 二、次いで、ソウェート政府は北京、上海、廣東等支那本土の大都市に、ユーリン。 パイクス。マーリン。ヲイチンスキー等を派遣し、支那の思想家、教育家、學生等との 接近をはかり、廣支那のインテリゲンチアの間に、ソウェチズムの共鳴者を得るこ とにつとめた。(第十一章)

三、その後ョッフェ、カラハン及びポロデンの東するに及んで、ソウェート・ロPage:NDL1445036 ソウェート東方策 part2.pdf/96Page:NDL1445036 ソウェート東方策 part2.pdf/97Page:NDL1445036 ソウェート東方策 part2.pdf/98Page:NDL1445036 ソウェート東方策 part2.pdf/99つた。京漢鐵道の罷業に際し、罷業の首謀者を一網打整に銃殺した如き、左傾運動 をして怨恨骨に徹しめたところである。

私は本年七月、呉佩学が、張作霖との會見を終つて、長辛店に引かへし、同地を根 據地として、討赤軍の督戦にあたつてゐた頃、一日、彼をその総司令部に訪うた。面 して私が「貴下の討伐の目標とする「赤化」は何を意味するか。 貴下のこれにする 抱負如何」と尋ねたところ、將軍はいつになく打ちとけた態度で、得意の「赤化」論 に長舌をふるひ、一時間に亘つて大気焰をあげた。曰く、

赤化は洋の東西を問はず、人民を惑は、家を危くする邪説である。 由來支部 は、古い赤化の歴史を有してゐる。即ち、太古時代には「温」と稱する赤化宣傳 者があつて、支那の赤化の元だと云はれてゐる。古書はこれを「赤い蛇」にたと へ、口から火、鼻から霧、腹から煙を出すとあるが、この火、霧、煙は現代の危険 思想にだとへて、孫文の三民主義、五憲法論の如き邪説にあてはむべきもので富 時の帝王は、これが討伐のため、一、綱紀正、二、護法排邪、 三、守護の三 種の羅針盤を造って、八年間奮戦の結果、つひにこれを討伐し、實なる王帝の覇 業を建設した。殊に奇とすべきは、この「赤い蛇」が恰かも今日の張家口あたりに はびこりそこで滅亡したことで、今日の國民軍は同じ歴史を繰返すものである。 堯舜時代に入れば、今日の共産主義に等しき「工芸」なるものが現れ、今の北 京に一つの政府を建てた。爾来七十年間、政治は麻の如く、古書は常時を混沌政 治と批評してみる。しかし、堯舜はこれを討滅して内統治し、「工共」は追 て、黒龍江から西伯利地方に走つたといふが、この點もまた今日の情勢に似てみる。 戰國時代には「許行」と稱する宣傳者が現れ、「階級 」、「人民に貴 なし」との思想をとなへたが、 當時孟子その他の聖賢は「許行」の説を危険思想と なし、これとひ、 正しき思想を以て誤まれる思想の滅に成功した。 以上の歴史 に見ても「赤化」は武力を以てするものは、これを武力で倒し、政權を以てするも

のは、これを政治で排除し、思想を以て興れるものにしては思想で、これに抗 したのであるが、現代の赤化は武力、政治、 思想あらゆる力を以てその魔手を振は んとしてゐる。これが討滅には、軍人は武力、政治家は政治、輿論界は思想を以て し、國をあげてあたらねばならぬ。余は軍人であるから武力による赤化討伐に當り 太古時代の王帝の覇を新たにせんとするものである・・・・。

呉佩学の「赤化」觀はかの如く、一本調子の反論である。同じ赤露嫌ひでも、張 作霖の如きは、自家の都合次第で、いつでも、ロシアと握手し、 「赤化」の力を逆に利 用してやらうといふやうな肚をもつてゐるが、呉佩と来ては末も赤化との妥協を ゆるさぬ。恐らくは支那現代の軍閥中、徹頭徹尾、 「赤化」と相容れないものは、吳佩 一人と言っても過言でなからう。

馮玉群は、先頃、モスクワから國民軍の領袖にあて、「張作霖は敵である。敵は轉 じて以て味方となすべし、吳編は机である。 肌とは到底和することが出来ない」と の手紙をよせたそうである。まことに相手をよく知るのといはねばならぬ。

あるソウェート政治家は、かつて私に佩学、張作霖及び馮玉鉾の三人についての 批評を語ったことがある。その大要に曰く、

「吳似孚と張作霖はともに一介の武辦である。たゞ前者は人格高潔なる愛者で 後者は所謂「緑林」出身の梟雄たるの相違はあるが、政治上の経験または思想問題 に至つては、二人とも何等の理解をもたない。然るに馮玉祥はたゞに軍人としての 性格を充分に備へてゐるのみならず、政治家としての膽界もあれば、また思想家と しての深みもある。 彼は實に支那當代稀に見る傑物である。殊に彼は年商最も若 く、支那軍閥頭目中最も多望の將來をもつてゐる。余は甞つて、馮玉祥に向ひ「 「世 間では頻りに貴下の第二奉直戦争當時の寝返りを非難し、貴下の人格を疑ふものが あるが、貴下はこれにしてなんと明するか」と訊ねたことがあったが、馮玉Page:NDL1445036 ソウェート東方策 part3.pdf/2Page:NDL1445036 ソウェート東方策 part3.pdf/3Page:NDL1445036 ソウェート東方策 part3.pdf/4Page:NDL1445036 ソウェート東方策 part3.pdf/5Page:NDL1445036 ソウェート東方策 part3.pdf/6Page:NDL1445036 ソウェート東方策 part3.pdf/7Page:NDL1445036 ソウェート東方策 part3.pdf/8Page:NDL1445036 ソウェート東方策 part3.pdf/9Page:NDL1445036 ソウェート東方策 part3.pdf/10Page:NDL1445036 ソウェート東方策 part3.pdf/11Page:NDL1445036 ソウェート東方策 part3.pdf/12Page:NDL1445036 ソウェート東方策 part3.pdf/13Page:NDL1445036 ソウェート東方策 part3.pdf/14Page:NDL1445036 ソウェート東方策 part3.pdf/15Page:NDL1445036 ソウェート東方策 part3.pdf/16Page:NDL1445036 ソウェート東方策 part3.pdf/17私はおもふに、ロシアの友邢革命に對する政策も、このレーニニズムの度 外観して論すべきでない。

即ち支那の革命は、支那人自らこれをなすべきであつて、外より強ふべきでない。 素りに、これを外から強いる時は、却つてその成功を阻害する。 たとへば、昨年秋、郭松の叛起を機に、洲全局の「赤化」を焦せつた如き、 その顕著なる例である。而して洲の「強制赤化」は、果してレーニンの云へる如く 徒らにその「成功を阻害し、満洲におけるロシアは、これがために、却つて苦しい立 場に陥った。(第十七章参照)

即ちレーニニズムの根本義から、これを見れば、友部の「赤化」は、支那自身の「赤 化」であつて、ロシアが「赤化」するものとなすべきでない。少くとも、支那 自身に「赤化」すべき要素があつて、始めて赤化」するものである。「赤化」の主體 は友都自身にある・・・・と云はねばならぬ。

たロシアは「赤化」 革命の先騙である。ロシアは、ソウェート政治の箱をつくつ た。ロシアが多大の犠牲を拂つて得た革命の経験、殊にその間における幾多失敗の教 訓は、世界各剛の急進運動にとつて、何より有力なる援助たらざるを得ない。 友那の 革命運動も亦、ロシアの革命によつて偉大なる刺戟を興へられ、範を示され、経験を 敷へられつゝある。ロシアの支那革命に對する援助の大部分はこゝにあると見なけれ はならぬ。