シリヤの聖イサアク全書/第三十三説教

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第33説教[編集]

<<心中しんちゅう続生ぞくせいし、とうもつこころみらるゝおほくのへんこと。>>


ぜんなる願望がんもう選取せんしゅするはねがものことなり、しかれどもぜんなる願望がんもう選択せんたくまつたうせしむるはかみことなり。これためひとかならかみたすけに必要ひつようあり。ゆゑにわれあらはれしぜんなるねがひは、これ屡々しばしばとうともなはしめて、われたすけをあらはさんことをねがふのみならずこのねがひかみむねかなふやいなやわれ識別しきべつせしむることをもねがはん。けだしかみによりてこころるものはすべての善願ぜんがんあらずして、たゞ有益ゆうえきなるものなり。ときとしてひとぜんなるものをねがへども、かみこれたすけざることあり、なんとなればこれるいするねがひ魔鬼まきよりもりて、たすけとなるものゝごとおもはるれど、ひと相応そうおうせざること屡々しばしばこれあればなり。魔鬼まきみづからひとがいをなさんをはかり、ひとをしてそのねがところのものに適當てきとうする生涯しょうがいいまたつせざるときにしひこれたづねしむるなり。あるいそのねがひひとみづから担任たんにんしたる方法ほうほうとほざかることあり、あるいこれ実行じつこうし、またその実行じつこうはじむるをくすべきときいまきたらざることあり。あるいひとそのこうため充分じゅうぶんなるしきちからゆうせざることあり。あるいときじょうわれ其事そのことたすけざることあり。しかるに魔鬼まき種々しゅじゅなる手段しゅだんもつぜんなるこうめんかうむりて、あるいひとみだし、あるい人体じんたいがいかうむらしめ、あるいその心中しんちゅうあみせんとす。さりながらすでひしごとく、われぜんなるねがひのあらはるゝときは、勉励べんれいして屡々しばしばとうおこなふべく、われおの〳〵自己じこげてふべし、『げんとほつするぜんなるこうなんぢてきするならば、これ成就じょうじゅするにいたまでなんぢむねおこなはれん。けだしこうためこうごうなり、しかれどもなんぢよりつかはさるゝたまものなくんば、これぐるあたはざるべし、かれこれも、「のぞことことも」〔フィリッピ二の十三なんぢよりするにかかはらずこれぐるあたはざるべし、なんとなればなんぢ恩寵おんちょうなくんばわれおここのねがひ採用さいようすることをさへけつせざりしなるべく、あるいこれおそれしならん』と、けだしぜんなるものを願望がんもうするものため慣例かんれいごとすなはこうためにも、聡慧そうけいまことなるものをいつはりなるものよりわかつがためにもりょによりとうもちひてたすけとなすことこれなり。それぜんなるものは、おほくのとうこう保護ほごだん服従ふくじゅうとにより、また漣々れんれんたる涕泣ていきゅうと、謙遜けんそんと、てんたすけとにより選択せんたくするをべし、いはんこれ反対はんたいなる驕傲きょうごう念慮ねんりょひとそんするときおいてをや。けだしこの念慮ねんりょかみたすけじんいたるをゆるさず、すなはち念慮ねんりょとうにより活動かつどうならしむるをゆるさゞるなり。