コリント人への第二の手紙注解 (アンブロシアステル)/第8章
コリント人への第二の手紙注解
第8章
[編集](1、2節) 兄弟たちよ。マケドニアの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたたちに知らせましょう。多くの苦難の中にあっても、彼らの喜びは満ちあふれています。マケドニアの人々が信仰の言葉を敬虔な心で受け入れたので、パウロは神から彼らに与えられた恵みについて語っています。それは、私が前に述べたパウロとシラスの苦難(第7章5節)において、彼らがつまずくことなく、むしろ約束された希望を確信し、心から喜びをもってそれを受け入れるようにするためです。それは、彼らがその苦難によって、神に喜ばれる者となるためです。また、彼らの深い貧しさは、その純朴さの富の中に満ち溢れていました。パウロは彼らの誓願について語っています。彼らは財産は少なかったものの、聖徒たちの奉仕において霊は豊かになったのです。彼らは清い良心をもって、人に喜ばれるようにではなく、神に喜ばれるように働いたのです。
(3節) 私は彼らが力に応じて、また力を超えて進んで行ったことを証します。彼らの力を知っておられる神にふさわしく、また喜ばれる限り、彼らはその持てる限りのことを、奉仕のために捧げました。そして、心を尽くして神に身を捧げたので、力の及ぶ限り以上のものを喜んで捧げました。
(4節) 彼らは多くの祈りを捧げ、聖徒たちのためになされる奉仕の恵みと交わりに受け入れられました。パウロは、彼らが力の及ばない奉仕を、非常に単純かつ献身的に捧げたと述べています。彼らは、受け入れられそうにない奉仕を無理やりでも受け入れてもらおうと、涙を流して懇願しました。それは、彼らの財産が耐えられる以上のものであったからです。後になって、善行が足りないことが悔い改めを促してしまうかもしれないと恐れたのです。しかし、彼らは清い心で今や現状を脇に置き、将来の約束を信じるという確信を固めたので、善良な心の恵みが実を結ばないように、受け入れられたと思われたのです。
(5節) そして、私たちが期待していたようにではなく、むしろ彼らはまず神に自分自身を捧げ、それから神の意志によって私たちに捧げたのです。だからこそ、彼らはそれを受けるべきだった、と彼は言います。なぜなら、まず彼らは以前の過ちや生活習慣の悪徳を正し、期待を超えて神に献身したからです。彼らがそうしたのは、ただ単に、それを差し出された人がそれを受け取ることを恐れないようにするためだったように思われます。彼らは、目上の人を救い、彼らの悪徳を許し、彼らを戒めるためにそれを差し出したのではありません。なぜなら、贈り物は目をくらませ、権威の力を傾けるからです。ですから、悪徳を正しながら神に自分自身を捧げ、それから費用を差し出す兄弟たちに捧げるのです。始める前から完全であろうと願っていた彼らは、悲しむべきでした。ですから、パウロは彼らの模範によってコリントの人々を招き、この勧めによってさらに励まされ、始めたことを熱心に成し遂げるようにと勧めています。
(6節) ですから、テトスにお願いしたいのは、彼がすでに始めていたように、この恵みをあなたがたのうちにも完成させてくださるようにということです。テトスは、彼らがテトスに心からの愛情を抱き、従順であることを知っていたので、この働きを自ら行うよう、彼らを励ます方がずっと容易だということです。テトスの勧めが他のことにおいて彼らのうちに実を結んだように、この恵みにおいても実を結び、聖徒たちの奉仕に備えることができるようにするためです。彼らはすでに自分の過ちを正していたので、この惜しみない施しの実を結ぶことができるのです。なぜなら、この目的のために施しをする者は、非難されるのを恐れて、この施しの実を結ぶことはないからです。
(7節) [191] しかし、あなたがたは、すべてのことにおいて、すなわち、信仰、言葉、知識、あらゆる熱心さにおいて、そして何よりも、私たちとあなたがたから出る愛において、豊かに満ちあふれるように、この恵みにおいても、ますます豊かに満ちあふれるように努めなさい。パウロは、他の教会の中でこれらのことを誇るために、彼らに勧めています。彼らが聖徒たちの奉仕に備えるならば、それが彼らの改革の証しとなるからです。
(8節) 私は命令に従って話しているのではなく、他の人々の心遣いのために、そして皆さんの慈愛の善意を証明するために話しているのです。彼は命令しているのではなく、勧めているのは明らかです。つまり、困窮している人々に食料を送り、彼らの心遣いを和らげ、神と人々に対する善意を示すように。そうすれば、彼らは間違いなく報いを受けるでしょう。
(9節) あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っているはずです。キリストは富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。パウロは、キリストが貧しくなられたと述べています。それは、神がご自分の力を低くして人として生まれることを望み、人々に神の富を得させ、使徒ペテロが言うように(ペテロの手紙二 1章4節)、人々が神の性質にあずかる者となるためでした。それゆえ、キリストは人となられました。それは、人を神のもとに迎え入れるためでした。「わたしは言った。あなたがたは神である」(詩篇 81篇6節)と書いてあるとおりです。このように彼は、与えることによって貧しい者となり、キリストの貧しさがわたしたちに益をもたらしたように、彼らの貧しさが彼らに益をもたらすようにと勧めています。実際、キリストはわたしたちのために貧しくなられたのではなく、わたしたちのために貧しくなられたのです。それは、わたしたちに益をもたらすためでした。
(10、11節) そこで私はこう勧めます。これはあなた方にとって益となるからです。あなた方は一年前から、おこなうだけでなく、意志をも持ち始めています。ですから、今こそ行いを終えなさい。あなた方のうちに意志が備わっているように、持っているものから成し遂げなさい。
彼がこう言うのは、彼らの意志が真実であれば、彼らの能力に応じて、その働きに現れるためです。彼らが、人に喜ばれようとして神から報いを受けようとしない、見せかけの行いをしないようにするためです。
(12節) もし意志があれば、能力に応じて受け入れられるのであって、持っていない部分に応じて受け入れられるのではありません。コリント人は奉仕の業に召されているので、能力以上のものを捧げてはならないと命じられています。それ以上捧げると、強いられたように、気が進まないように、報いを受けずに重荷を背負っているように思われるからです。何事も強制されて行う者は報いを受けないからです。マケドニアの教会は祈りをささげながら自発的に献げました。それは、彼らが全力を尽くしてそうしたことを証明するため、つまり能力以上のものを捧げたことを示すためでした。それゆえ、それは受け入れられました。彼らがより多く捧げれば捧げるほど、より多く受け取るからです。人が自分の意志と能力の限りを捧げるなら、それは受け入れられます。なぜなら、その人がそうしていることは、裁きによって見出されるからです。そして、そのようにして捧げるなら、その人は自分の心にできる限りの、そして望む限りを捧げ、そのことに対する報いを受けるのです。
(13、14節) 他の人々が元気づけられるためではなく、あなたがたが苦しむからです。確かに、与えるときには、与える人を貧しくしないような方法で与えなければなりません。しかし、この時代に平等であってはなりません。彼はこう言って、自分の持っているものをしばらくの間、聖徒たちと分け合うようにしたのです。自分のために取っておくべきもの以上のものは求められないからです。彼はこう言っています。「隣人を自分自身のように愛しなさい」(レビ記 19章18節)。そこからザアカイはこう言います。「見よ、わたしは財産の半分を貧しい人に施している」(ルカによる福音書 19章8節)。
あなたがたの豊かさが彼らの欠乏に、彼らの豊かさがあなたがたの欠乏に充てられるためです。彼がこう言っているのは、聖徒たちが困窮に苦しむ時代に、世のすべてを捨て、神の業にのみ身を捧げ、多くの人の益のために教えと祈りに専念するためです。信者で、芸術や商業に携わっている人、あるいは確かに父親のような資力のある人は、聖徒たちの必要に奉仕すべきです。また、聖徒たちが富んでいて、これらの人が貧しい場合には、主が言われるように、いわば彼らの奉仕に報いるかのように、彼らと交わりを持つべきです。「これらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」(マタイ25章40節)
こう書いてあるように、平等であるためです。これが平等です。つまり、彼らが今聖徒たちに奉仕するなら、将来、その報いが彼らに返されるのです。なぜなら、彼らは聖徒たちを自分たちにとって負債者としているからです。
(15節) 多く持つ者は豊かにならず、少なく持つ者は少なくならなかった。これは出エジプト記(16章18節)に記されている。聖徒たちは来世の希望において、この世で富んでいるように見える人々よりも多く持っている。しかし、来世では彼らは両方に等しくなる。こうして、これらの聖徒たちの功績によって欠乏が補われるように、聖徒たちの功績によって、彼らは来世で貧しく見えるにもかかわらず、豊かになるのである。彼らはここで貧しく、あそこで富むために、自分自身を完全に神に捧げたのではない。[192] しかし、この観点から見ると、彼らはここで富み、あそこで貧しいがゆえに、ここに置かれている聖徒たちの祈りによって豊かになるのである。なぜなら、彼らはここに置かれているので、すでにそこに心を留めているからである。なぜなら、正しい労働によって聖徒たちに仕えることは、何の功績にもならないからである。
(16、17節) しかし、テトスの心にあなた方に対する同じ真摯な心遣いを植え付けてくださった神に感謝します。彼は慰められました。正しい神は、コリントの人々が繁栄を望んでいることを知って、テトスの彼らへの愛情を燃え立たせ、良い行いを通して彼らの願いをかなえさせようとされました。テトスは彼らの進歩を見て慰められ、喜びました。しかし、ますます気を遣うようになったので、彼は自らあなた方のところへ行きました。つまり、彼らが善行に励んでいるのを見て、彼らの愛情をますます深く感じるようになったのです。それで、以前も彼らの欠点のために遠慮するように頼まれていたにもかかわらず、彼は自ら彼らのもとへ行ったのです。
(18、19節) そして私たちは、福音の中ですべての教会に称賛されている私たちの兄弟を、彼と共に遣わしました。それだけでなく、彼は教会によって、主の栄光と私たちの心遣いによって私たちから与えられるこの恵みにおける私たちの巡礼の同行者として任命されました。教会が彼を推薦するのは、彼が彼らには知られていなかったからです。それは、彼らがすでにどれほど好意的に評価されていたかを知るためであり、彼らが神の働きに対する信仰を増し加え、共に喜び合うためでした。キリストの代理人たちは、神の栄光のために、天地の神が彼らの中で認められるように、熱心にこのことを行なっていたのです。
(20節) 私たちによって管理されているこの豊かさについて、だれかが私たちを責めないようにするためです。これは奉仕に関する事柄だったので、パウロはこの主題を取り上げました。もし彼がこれをよりゆっくりと行えば、貧しい人々や聖徒たちの世話において怠慢であるとみなされることがないようにするためです。使徒たちはこの事柄に関して、貧しい人々を思いやろうと互いに決意していました。彼はこれをガラテヤ人への手紙で示しています。ですから、使徒はすべての点で非難されるところがなかったのです(ガラテヤ人への手紙 2章10節)。ですから、彼はこの件に関して不注意であるとみなされることがないように、この働きが成し遂げられたとき、彼の配慮と思慮深さがすべてのことに現れるようにと、自らに警告していたことを意味しています。
(21節) 私たちは神の前にだけでなく、人の前にも善を備えます。神は、聖徒や貧しい人々への奉仕に関して神が命じられたことを行うように教えるとき、神の前に善を備えます。しかし、人の前にも善を備えます。なぜなら、神はこの働きを勧めるために、そのような人々を遣わされるからです。彼らは、その正直さによって人々に非難を与えるのではなく、むしろ、使徒の良き教えが、不注意な奉仕者たちによって非難されることのないように、人々を刺激するのです。
(22、23節) そして、私たちは兄弟を彼らと共に遣わしました。彼は、これまで多くのことに熱心に取り組んできましたが、今はなおさら熱心に、あなたがたに深い信頼を寄せています。それは、あなたがたの間で私の仲間であり助け手であるテトスを通して、あるいはキリストの栄光の諸教会の使徒である私たちの兄弟たちを通してです。パウロがテトスを仲間と呼ぶのは、自身が監督であったからです。テトスには、その州のすべての教会で知られている奉仕者を与えました。また、多くの善行に励み、認められた兄弟テルティオも付け加えています。テトスは、コリントの人々と、キリストの栄光の諸教会の使徒と呼んでいるもう一人の遣わされた人々の好意的な様子を報告し、パウロが彼らに会い、聖徒たちの奉仕に励むよう勧めることをますます強く望んでいることを示しています。コリントの人々が良くなってきていると聞いて、パウロは確信を得ました。そして、彼らが自分に従って善行を行うと確信し、彼らに働きかけました。
(24節) ですから、諸教会の前で、あなたがたの愛と、あなたがたに対するわたしたちの喜びを、彼らに示しなさい。パウロは、自分が遣わした人々に愛を示すようにと、彼らに勧めています。それは、彼らが彼らから聞いた良いことが真実であることを証明するためです。使徒から遣わされた人々を尊敬をもって受け入れるなら、彼らは使徒の勧めによって益を得たことを示したのです。それは、他の諸教会が、彼らについて言い始められた良いことが真実であることを認めるためです。パウロはこうして彼らの心を奮い立たせます。なぜなら、自分が高く評価されている者は、より優れた者となる傾向があるからです。
出典
[編集]- Patrologia Latina/17
- 底本: Commentaria in Epistolam ad Corinthios Secundam (Ambrosiaster) 『コリント人への第二の手紙注解』アンブロシアステル、J. P. Migne 1846 early modern edition.
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