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コリント人への第一の手紙注解 (アンブロシアステル)/第16章

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第16章

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(1、2節) 聖徒たちへの献金については、私がガラテヤの諸教会に命じたように、あなたがたにも同じようにしなさい。各自が安息日に、自分の好きなだけ積み立てなさい。私が着いた時には、献金は行われないようにするためです。彼は他の諸教会にも定めたように、主の日曜日に献金するように命じています。それは、主が復活された日に、主の民が死に打ち勝ち、神の賛美と栄光のために集まるためです。そして、その献金は、主の御名のために、異邦人やユダヤ人の熱意によって苦しめられている聖徒たちのために集められるべきです。彼らは、キリストの御名のもとに神の恵みを宣べ伝えることを、彼らに許そうとはしません。それは、彼らが苦しんでいる人々から慰めを得るためです。それゆえ、主日ごとに、パウロは民が集まり、彼らが望むように神の賜物に集い、各人がそれを宝物のように蓄えるように命じています。使徒が来た時、必要な用途に備えていることがわかるようにするためです。少しずつ集めたものは重くなく、むしろ豊かであることがわかるからです。


(3節) しかし、私が来たら、あなたがたが手紙で認める者を、あなたがたの恵みをエルサレムに運ぶために遣わします。この慰めは、今と同じように二重の効果をもたらしました。すなわち、前述の聖徒たちと、教会に定着した貧しい人々、そして今や教会は長老たちの用と困窮者の両方に益をもたらしているのです。パウロは手紙で、彼らがこの摂理にふさわしいと選んだ者たちを遣わすと述べています。これらの手紙は、遣わされた者たちが恵みをもって受け入れられるように、遣わされたことを証明しています。


(4節) しかし、もしそれがふさわしいなら、わたしも一緒に行きましょう。パウロはこう言っています。「もし大勢の人が集まるなら、わたしも一緒に行きましょう。」パウロ自身が行くなら、聖徒たちを慰めるために多くのものを携えて行くのはふさわしいことであり、またその働きもふさわしいのです。これはパウロがローマ人に対して言っていることです。「異邦人が彼らの霊的なものにあずかっているなら、彼らは肉的なもので彼らに仕えるべきです。」(ローマ15章27節) 彼らはユダヤ人であり、主は救いはユダヤ人から来るとおっしゃっています。エルサレムにいたユダヤ人たちは、不信仰なユダヤ人たちをひどく妬(ねた)んでいた。


(5、6節) しかし、わたしはマケドニア州を通り抜ける時、あなたがたのところに行くでしょう。そして、もしかしたらあなたがたと一緒に滞在するか、あるいは冬を過ごすかもしれません。わたしがどこへ行っても、あなたがたがわたしを連れて行ってくれるように。」パウロは、彼らを喜ばせるために、これらすべての教えを説いた後、彼自身が来ることを約束しました。それゆえに、彼は彼らを戒めるすべての訓戒をいっそう強めました。彼が来ることを聞く者、つまり律法を受けた者は、彼が来る時に恥をかかないようにと、ますます心配するでしょう。


(7節) わたしは今、あなたたちと通りすがりに会うことを望んでいません。彼らとは多くの用事があることを知っているので、通りすがりに会うことを望んでおらず、彼らを悲しませないように、長い間彼らと共にいることを約束しているのです。なぜなら、彼のすることはすべて神の摂理によるからです。主がお許しになるなら、わたしはもう少しの間、あなたたちと共にいることを望んでいます。 主がお許しになるなら、主は彼が彼らと共にいることをお許しになるのです。彼は、もし彼らが立派な行いをし、主が叱責する欠点を正すなら、許すと言っています。


(8、9節) しかし、私はペンテコステまでエペソに留まります。大きな、そして力強い門が私の前に開かれているからです。そして多くの反対者もいます。彼はエペソに留まった理由を述べました。そこで彼は、渇いた胸に神の恵みを見いだし、キリストの奥義を彼らに注いでくださったからです。しかし、悪魔は常に落ち着きがなく、神を求める者をねたむからです。彼はこう付け加えました。「反対者も多かったのです。信仰にふさわしいと認められた者ほど、熱心になることを望まず、主の教えに反対し、抵抗する者が多かったのです。」


(10-12節) しかし、テモテが来るなら、恐れることなくあなたがたと共にいるようにしなさい。彼は私と同じように主の御業に携わっているからです。ですから、だれも彼を軽蔑してはいけません。テモテは使徒から受けた教えを宣べ伝え、ふさわしい伝道者でしたが、同じ権威を持っていなかったため、彼を推薦したのです。それは、彼が民衆の中の反対者たちに、彼がふさわしいにもかかわらず受け入れられず、彼の来訪が彼らの救いに役立たないかもしれないと恐れたからです。異邦人も煽動されて民衆の間に騒乱と不和を起こし、テモテを襲撃する機会を狙うかもしれません。ですから、だれも彼を軽蔑してはいけません。「彼は私と同じように主の御業に携わっているのです。」つまり、彼は私の権威によって受け入れられるためです。彼は使徒であり、監督でもありました。彼を平穏に導き、私のところに来させてください。パウロはテモテの功績を数多く挙げ、パウロが兄弟たちの間で尊敬されるよう命じるだけでなく、主の使徒として従順に歩むよう示し、キリストの福音を宣べ伝えるために、パウロ自身も兄弟たちと共に彼を待つつもりでした。

さて、兄弟アポロについてですが、お願いです。私は彼に兄弟たちと共にあなたの所へ来るよう、しきりに頼みました。しかし、今来ることは彼の意志ではありませんでした。都合の良い時に来るでしょう。こう言ってパウロは、自分の希望を彼らに伝えた時、彼らの願いが叶ったことを示し、またアポロが席を立った時も、なぜ彼らの所へ行かないのかを明言せず、席を立つどころか、遅れて来たことを示しました。このようにパウロがアポロという言葉で彼らに触れているのは、アポロが彼らの所へ行きたくないのは、彼らの意見が食い違っているからだと解釈することもできます。これを聞いて、彼らは和平をはかろうとした。それでパウロはテモテについてこう言った。「あなたがたの間では、彼が恐れることがないように気をつけなさい。派遣された人の中には、歓迎されなかった者もいたからである。こうして、彼らが同意したときに、アポロが来ることになったのである。」


(13、14節) 目を覚まして、信仰に堅く立ち、雄々しく行動し、力を得なさい。あなたがたのすべてのことを愛をもって行いなさい。彼は、彼らが信仰に欺かれないように目を覚ましていなさいと言っています。雄々しく行動し、すなわち勧めなさい。そうすることで、彼らは、ゆだねられたことをしっかりと果たせるようになります。何に従うべきか知らない子供のようになってはいけません。力を得なさい。言葉においても行いにおいても強くなりなさい。告白と善行とは、人を完全にするからです。しかし、これらのことを愛をもって行いなさい、と彼は勧めています。愛をもって行う事には、神への畏れと熱心さが伴うからです。兄弟を怒らせて行う事は、何であれ実を結びません。ある人たちは、悲しむべきではなく、むしろ善行に駆り立てられるべきです。例えば、他人を落胆させて慈悲を示さなかったり、非人間的だったり、他人に気を配ったり、何かを食べてもそれを控えている人を侮辱して、その人にためらいを抱かせようとしたりするような場合です。すべてのことは、侮辱的なものではなく、より良いものへと勧めるように行うべきです。そうすれば平和が訪れます。だからこそ主はこう言われました。「互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを知るのです」(ヨハネ13章35節)。しかし、争いや不和があるところには愛はありません。


(15、16節) 兄弟たちよ。あなたがたに勧めます。ステパナとポルトナトの家の人々を知ってください。彼らはアカヤの初子であり、聖徒たちの奉仕に身を捧げています。あなたがたも、このような人々、また、助け手や労苦に励むすべての人に従いなさい。アカヤ人はコリント人です。ですから、パウロは彼らについて語り、彼らを通してこの働きを勧めているのです。彼らはアカヤ人なのです。キリスト教徒にとって素晴らしいことは、自分の貪欲さを踏みつけ、慈しみ豊かな父なる神に倣(なら)って、自分の労苦から持たない人たちに分け与えることです。しかし、パウロが「このような人々に従いなさい」と言うとき、パウロはなおさら彼らを勧めているのです。この働きに熱心である彼らは、他の人々にも従ってもらうようにと。


(17、18節) しかし、ステパナ、ポルトナト、アカイコが一緒にいることを私は喜んでいます。彼らがあなたたちの足りないものを補ってくれたからです。彼らは私の霊とあなたたちの霊を元気づけてくれました。ですから、そのような人たちをよく知ってください。彼が聖徒たちにしていると言う寄付と、福音の奉仕者に報酬を返すことは別のことです。主がこう言われているように、「働く者はその報酬を受けるに値する」(ルカによる福音書 10章7節)。ステパナの家は、どちらの場合も聖徒たちの奉仕と諸教会に仕える人々に専念するという意味です。それは、使徒パウロと兄弟ポルトナト、アカイコに益をもたらすためであり、また、彼らの仲間である彼ら自身にも益をもたらすためでした。そこから彼はこう言っています、「彼らは私の霊とあなたたちの霊を元気づけてくれた」。使徒は彼らから何かを受け取るつもりはないと否定し、こう言います。「アカヤ地方での私のこの誇りは、私の中で決して揺るぎません。彼らは私の心と皆さんの心をどのように慰めましたか?」しかし、私は信じています。彼らが益を与えた人々の心は、使徒の心によって慰められたのです。使徒は心の中でこう言っています。「御心のままに与えられたものは、御心のままに与えられるのです。」ですから、このような人々について知りなさい。つまり、彼らに倣(なら)いなさい。


(19節) アジアの諸教会があなた方に挨拶を送ります。パウロは彼らの挨拶を通して、同じ州に住む者たちのようになるよう勧めます。アクラとプリスカも、主にあってそれぞれの家庭教会と共にあなた方に挨拶を送ります。パウロは二つの教会、すなわち公の教会と家庭の教会について述べています。公の教会とは皆が集まる場所、家庭の教会とは友情によって集まる場所だとパウロは言います。長老たちが式典を行う場所はどこでも、そこは教会と呼ばれます。


(20節) すべての兄弟たちがあなた方に挨拶を送ります。パウロは皆がこれらの人々のことを心に留めていることを示して、彼らの心を慰めます。聖なる接吻をもって互いに挨拶を交わしなさい。聖なる接吻は平和のしるしであり、それによってパウロは互いに固く結びつき、不和を取り除くように教えています。


(21節) 「この挨拶は私自身の手によるものです。パウロ」。彼はこの手紙に署名したことを示し、署名の言葉を添えてこう述べています。


(22節) 主イエス・キリストを愛さない者は、呪われよ。マラナタ。つまり、来られた主イエスを愛さない者は、断ち切られよ。マラナタとは「主が来られる」という意味です。これは、イエスは来られなかったとユダヤ人が主張したため、来られた主に対して彼らは呪われているのです。


(23、24節) 私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたとともにありますように。私の愛が、キリスト・イエスにあってあなたがた一同とともにありますように。 パウロは、争いを起こしながら主イエスを愛しなかったこれらの人々のために、このような署名をしたのです。彼らは、「わたしはパウロにつく、わたしはアポロにつく、わたしはケパにつく」と言っていました。(1コリント1章12節) キリストを愛する者は人に栄光を与えません。人々のうちには希望がないからです。私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたとともにありますように。主イエスを愛する人々は、そのことを聞いています。そして、彼らが互いに愛し合わなかったので、彼はこう言います。「わたしの愛が、キリスト・イエスにあってあなたがた一同とともにあるように。それは、使徒が肉の愛ではなく、キリスト・イエスにあって愛したその恵みによって、彼らが互いに愛し合うことを学ぶためなのです。」


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