オウム真理教事件・麻原彰晃に対する判決文/chapter sixteen
[Ⅴ サリンプラント事件について]
〔弁護人の主張〕
1 サリンプラントにおけるサリン生成の5工程のうち,第1ないし第4工程は順次試運転 をしたがいずれも思うように機能せず,当初予定した生成能力にははるかに及ばず,第5 工程は試運転すらできない状態で,平成6年12月末の時点においてサリンプラントは未 完成であり,平成7年1月1日そのまま同プラントの建設は中止された。このプラントにお いてサリンが生成されたことはなく,その生成工程の一部はできていたとしてもプラントと しての機能を有するものではなかった。
したがって,本件公訴事実(なお,裁判所は前記のとおりほぼこれと同じ事実を認定し た。)は殺人予備罪には該当しないから,被告人は無罪である。なお,本件公訴事実に は罪となるべき事実が包含されていないから,公訴棄却の決定がされるべきである。
2 サリンプラントによるサリンの生成は,被告人が予言した最終戦争(ハルマゲドン)に 備えて教団を防衛するためにA6が提案した一連の荒唐無稽な企画の一つにすぎず, 実際に最終戦争が起きるか否かは客観的には不明である上,それが起こったときに教団 を防衛する手段として利用するにとどまり,現実に使用することまでを予定したものではな く,本件公訴事実に係る行為には具体的な殺人の目的があったとはいえないから殺人予 備罪は成立しない。
3 サリンプラントによるサリンの生成は,A6が提案した一連の荒唐無稽な企画の一つ であり,被告人は,その実現は不可能であると考えたが,A6や弟子たちのマハームドラ ーの修行にもなると考え,第7サティアンの使用を許可し,後はA6のなすがままに任せた にすぎず,被告人には殺人の目的がなく,殺人予備の共謀もない。
〔当裁判所の判断〕
第1 前提事実
関係証拠によれば,前記「Ⅳ 教団の武装化」に係る事実のほか,次の事実が認められ る。
1 前記のとおり,被告人は,平成5年6月ころ,A6らの意見を聴いた上,化学兵器の 中でもサリンをしかもプラントで大量に製造しようと考え,A6を介するなどしてA24に指示 しその生成方法の研究をさせていたものであるが,同年8月末か9月初めころ,A21に対 し,サリン70tの生成能力を有するサリンプラントを造るよう指示した。
A21は,図書館に通って資料を集め,不明な点はA6らに相談するなどして一人で設 計を始めた。A21は,機械装置類から設計を行い,その後,清流精舎のチームやA27 の溶接担当チームに機械工作を要する装置類,溶接作業の必要な機械類や反応容器 類の製作等を依頼したり,購入担当者に対し市販の遠心分離器,配管,部品類等の購 入を依頼したりするなどした。また,A21は,機械装置類等の購入資金について,当初 はA7から受け取っていたが,その後,被告人から直接もらうようになり,平成6年3月ころ からは教団の通常の経理手続を経て購入代金の支払がされるようになった。そのうち被 告人から直接もらった回数は三,四回くらいを数え,1回に1000万円や2000万円を渡 してもらったこともあり,その合計だけでも約5000万円にも上った。また,薬品類を除い たプラント本体だけでも3億円前後の費用を要した。
2 サリンプラントが造られる第7サティアンは,平成5年9月ころ,第3上九と称するe1村 i6の土地上に,3階建てで吹き抜け部分も含めると各階とも五百数十㎡程度の鉄骨亜鉛 メッキ鋼板葺き建物として建設され竣工した。
3 A7は,同年10月ころから平成6年初めころにかけて,A55に指示し,同人を代表者 とする教団のダミー会社の名義で,大量のサリンを生成するのに必要な三塩化リン,フッ 化ナトリウム,イソプロピルアルコール等の原材料を,A24の算出した数量に基づいて大 量に購入するなどして調達した。
4 前記のとおり,A24は,平成5年11月ころ,5工程から成るサリンの大量生成方法を 確立し,実際にその方法に基づき600gサリン溶液を生成した。600gサリン溶液は,第1 次D3事件の際,農薬用噴霧器で噴霧され,噴霧にかかわったA6ら4名にサリン中毒の 症状が現れた。
さらに,その後,A21らにより検討が加えられ,第1工程に必要なNNジエチルアニリン を節約するためにNNジエチルアニリン再生プロセスが,また,第3工程に必要な五塩化 リンについては国内年間生産量を超える量を要することからこれを生成する五塩化リン生 成装置が,さらに,この五塩化リンの生成に必要な塩素を生成する電解プラントがそれぞ れ設けられることになった。
5 A21は,同年11月ころまでに,A24から,サリンの大量生成方法について口頭で説 明を受け,また,前記5工程の反応のプロセス等がモル比入りで手書きされたメモをもら い,各物質の分子量等に基づき,同年12月ころ,前記5工程のメインプラント並びにこれ に付属するNNジエチルアニリン再生プロセス,五塩化リン生成装置及び電解プラントな どの付属プラントについて,大量のサリンを生成するに当たり各工程ないしプロセスにお いて必要とされる物質,その重量等及び反応の過程等をブロックダイヤグラムの形式で 表した物質工程表を作成した。
6 前記のとおり,A24は,同年12月ころ,同様の方法に基づき,3㎏サリン溶液を生成 した。A6及びA7は,第2次D3事件において,これを加熱し気化させて噴霧したが,逃 走中A7がサリンに被ばくし,ひん死の状態に陥った。
7 A21は,平成6年2月ころ,第1工程の設計を七,八割方終え,主に電解プラント関 係の調査を進めていた。
8 被告人は,同年2月下旬,中国旅行から帰国した後,ホテルE14に真理科学技術 研究所のメンバーらを集めた際,同所において,サリンプラントの建設を早く進めるため に,各工程毎に設計担当者等の割り振りをし,第1,第2工程はA21に,第3,第5工程 及び五塩化リン生成装置はA56に,第4工程はA18に,電解プラントはA18及びA6に それぞれ担当させ,これらをA6に統括させる旨を告げた。
9 A21ら設計担当者は,その後清流精舎に詰めて設計をするようになり,被告人には 週1回の割合でその進ちょく状況を報告した。
被告人は,同年3月ころのミーティングの際,A21に対し,A57の配管チームをサリン プラントの建設に投入することにした旨を伝えた。同月ころ,第7サティアン内でプラントの 組立て作業が始まり,A21は,清流精舎で設計をしながら,第7サティアンの現場でプラ ントの組立てについて指揮し,図面を見ながら具体的な指示をした。
10 被告人は,同年4月中ごろ,A6,A18及びA21から,サリンプラント建設の進ちょく 状況について報告を受けた際,同プラント建設の遅れを怒り,A21に対し,「4月25日ま でに完成させろ。グルの絶対命令だ。必ず完成しろ。そうしないとおまえは無間地獄行き だ。」などと脅し付け,新たにA8をサリンプラントの現場の監督者に指名するなどして,サ リンプラントの早期完成を命じた。
11 A21は,同月25日までにサリンプラントを完成させることはできなかったが,同年5 月初めころまでに清流精舎において付属プラントも含めある程度の設計を済ませ,その 後A8から指摘を受けて第7サティアンに寝泊まりするようになった。
A21は,機械装置の据付けや配管配電作業の終了した工程から動かすこととし,同年 6月ころ,第1工程の稼働を開始し,同月中は第1工程の試運転に精力を傾けた。
12 A21は,同年7月に2回にわたり,第1工程の稼働上の過誤により異臭騒ぎを起こ し,付近住民が押し掛け,警察官もやってくるなどした。A21は,被告人にその旨を報告 した際,強制捜査を受けるかもしれないなどの不安を抱き動揺していたが,被告人から 「もうプラントをやめるか。おまえは人前でさらし者になるのが嫌かもしれないが,私はシヴ ァ大神の意思,真理に背くことは嫌だ。このまま続けないとおまえは後で絶対後悔する ぞ。大丈夫だから。」などと言われ,そのままそのワークを続けることにした。また,被告人 は,その際,A6に対し,実際にプラントを動かす初期の段階ではしっかり監督するよう指 示した。
13 被告人は,同年6,7月ころ,第6サティアン1階の被告人の部屋で,A6,A18及び A21との間で,第5工程の反応釜の形状,材質等について話合いをし,ステンレス製の 四角い釜にテフロンコーティングをしたものを第5工程の反応釜として使用するとともに, 第4工程の反応釜も同様のものを使うことを決めた。
そして,同年6,7月ころ,サリンプラントの機械装置の据付けや配管配電作業が一応終 了した。
14 被告人は,同年7月末ころ,第2サティアン3階に,自治省や科学技術省のメンバー 数名ずつを呼び集め,同人らに対し,「これから第7サティアンでプラントのオペレーター をやってもらうが,そのボタン操作を誤ると富士山麓が壊滅する。このワークを40日間ず っと第7サティアン内に詰め込んで作業をやる。これは死を見つめる修行だ。全員菩長に する。」などと話し,サリンプラントの稼働要員として従事するよう指示し,サリンプラントの 稼働責任者としてA14を指名した。
A14は,第7サティアンに常駐するようになった稼働要員に対し,サリンプラント内を案 内し,同プラントにおける各工程の説明をした。
15 稼働要員が第7サティアンに常駐するようになって間もない同年7月末ころ,A21 は,第2工程の稼働を開始し,以後第1工程で亜リン酸トリメチルができる都度,第2工程 を稼働させた。
同年8月末ころには,稼働要員の手により第1工程を連続して稼働させることができる状 態になった。
第1工程については,同年12月まで反応自体の安定性がなく,種々のトラブル等が発 生し,また,1回の反応が終わる都度ガスクロマトグラフィーで分析してその結果を見なが ら遠心分離器にかける必要があり,同工程での自動化も予定していたレベルに達してい なかったことなどから,生成量は当初の目標を大幅に下回る状態であったが,最終的に は同工程で合計十二,三tくらいの亜リン酸トリメチルが生成された。
第2工程については,第3工程で使われる五塩化リンを大量に生成することができなか ったため,第3工程に連動させることができず,第2工程で生成したジメチルはドラム缶に 入れ,第7上九(e1村所在の多数の倉庫を設置した教団施設)で保管した。第1工程で生 成された亜リン酸トリメチルはすべて第2工程に使用され,最終的には十二,三tのジメチ ルが生成された。
NNジエチルアニリン再生工程は,第1工程とほぼ同じ時期に稼働を始め,第1工程と 同時に作動させ,同年8月末ころ,稼働要員がこれを操作し運転できるようになった。
16 A6やA21らは,同年9月か10月ころ,第3工程を初めて稼働させ,市販の五塩化 リン約250㎏を使い,また,同年3月に第7サティアン3階で造られた70ないし100リット ルくらいのジクロとオキシ塩化リンの混合液も一緒に蒸留して単蒸留装置から出ている配 管からジクロを取り出し,結局,50ないし80リットルくらいのジクロを生成した。
17 A6らは,ジクロを生成して間もない同年10月ころ,そのジクロを使って第4工程を 稼働させたが,反応釜内部のテフロンコーティングがはがれ,また,反応釜に付いている 熱交換器の冷却能力が足りずジフロが蒸発するなどしたため,ジフロを取り出すことがで きなかった。被告人は,A6,A18及びA21からその旨の報告を受けて改善策について 話合いをし,反応釜を同じ形状のハステロイ製のものに替えるとともに,熱交換器の冷凍 能力を増強することを決めた。
なお,サリンプラント建設の進ちょくがはかばしくない状態であったため,同年10月こ ろ,A25が同プラント建設に投入され,第7サティアンに常駐することになった。また,A6 は,同月ころ,A14に代わり,稼働要員のミーティングの指揮をとるようになった。
18 A18が担当していた電解プラントは,種々のトラブルが生じていたが,同年11月こ ろ,同プラントで造った塩素を五塩化リン生成装置に供給できる状態になり,同年12月 末の時点では低出力であれば連続運転することができる状態であった。
19 A6らは,同年11月か12月ころ,前記の第3工程でできた残りのジクロを使い,第4 工程を再度稼働させ,ジフロの生成に成功した。
20 被告人は,同年8月ころ,五塩化リン生成装置について,三塩化リンの液中に塩素 を吹き込んで五塩化リンを生成するというA56の設計に係る当初の方法を変更し,A21 の意見のとおり,塩素ガス中に三塩化リンを投入し反応させて五塩化リンを生成する方法 を採用することとした。A21は,その指示に基づき,五塩化リン生成装置を数回にわたり 設計し直すなどして,同年12月ころ,その装置を完成させ,一部市販の塩素ガスを使 い,最終的には約300㎏の五塩化リンを生成した。
21 A6やA21らは,同年12月後半,前記の五塩化リン生成装置で生成した五塩化リ ン約300㎏を使用し,再度第3工程を稼働させ,前回と同様に配管からジクロを取り出 し,結局,50ないし80リットルくらいのジクロを生成した。
22 第5工程の反応釜や配管等については,気密テストが行われ,配管の継ぎ目等か ら液が漏れるかどうかのチェックがされた。第5工程のハザード室(貯蔵室)や分取室(充 てん室)は他の部屋から隔離するために気密性を保つようにされていた。また,第5工程 に係る部屋と他の部屋や通路との間に前室を設けて同室でシャワー等による洗浄を経て 出入りするような構造とされていた。
同年12月末時点において,第5工程関係の配管の気密テストが完全ではない上,いま だ同工程に係る部屋自体の気密テストの段階には至っていないことなどから,第5工程 は稼働されなかった。
なお,第5工程は,蒸留も遠心分離も必要がなく,ジクロ,ジフロ,イソプロピルアルコー ルを1対1対2のモル比で反応させるという単純な工程であり,サリンプラントにはそれぞ れを計量して第5工程の反応釜に投入する装置が付いていた。また,生成されたサリン は,第7サティアン2階の充てん室でポリタンクに入れた後,ビニール製の袋に入れ,真空引きしてシールし,ステンレス製の缶の中に入れて第7上九に保管する予定となってお り,実際に同年10月か11月に包装機械や真空引きする機械等が,充てん室に運び込ま れ,充てんする実験がされた。サリンの充てん作業をする際に着用する防護服は同年10 月ころ支給されていた。
23 同年12月末の時点で,サリンプラントにおいて,サリンの生成に必要な機械装置類 や配管は,若干未配線の部分や不具合の部分等はあるものの,ほぼ一応整っており,サ リンプラントの稼働が停止されなければ,早晩同プラント内でサリンは生成され得る状態 に至っていた。なお,第3工程で生成したジクロを自動的に第4工程及び第5工程に流す ことが予定されていたが,同月末時点において,いまだそのような機能を備えるには至っ ていなかった。
24 平成7年1月1日,e1村でサリン残留物質が検出された旨の新聞報道がされたた め,被告人は,強制捜査を受けることを恐れて,サリンプラントを停止して神殿化などの偽 装工作をするよう指示し,A6らは,同プラントの稼働を停止し,配管等をできるだけ壊さ ないように同プラント全体が隠れるような形で神殿化をした。また,同プラントで生成され たジクロ等の中間生成物や原料の薬品類等は,苛性ソーダ等と反応させるなどして処分 された。
以後,被告人が,サリンプラントを稼働させることはなかった。
第2 弁護人の主張1(殺人予備罪の該当性)に対する判断
1 弁護人は,前記の理由から,本件公訴事実は殺人予備罪に該当しない旨主張する ので,前記認定事実を踏まえ,当裁判所が殺人予備罪に該当するものと判断した理由 について補足して説明する。
2 殺人予備は,殺人の実行の着手に至らない段階における,殺人罪の構成要件実現 に向けられた準備行為であるが,殺人予備罪の成否については,当該準備行為が,殺 人罪の構成要件実現のために実質的に重要な意味を持ち,殺人罪の構成要件実現の 現実的危険性を発生させ得る程度に客観的に相当の危険性を有するものであるか否か という観点から判断すべきである。
3 そこで,検討すると,平成5年11月ころまでに,(1) A24らによる研究,検討の結果, 少量で多数の者を殺傷し得る化学兵器であるサリンを大量生成するための工程がほぼ 確立され,その工程に基づき実際にサリンを含有する600gサリン溶液が生成されたこ と,(2) その工程によりサリンを大量生成するために必要な化学薬品等が,教団のダミー 会社を介して大量に購入され始めたこと,(3) サリンプラントが造られる予定の第7サティ アンが建設されたこと,(4) A21がサリンプラントに用いる機械装置類の設計を始めたこと は前記認定のとおりである。
これらの事実に照らすと,同年11月ころには既にサリンの大量生成工程がほぼ確立 し,それに必要な大量の化学薬品等の購入が開始され,サリンプラントを設置する工場も 完成するなどサリンの大量生成に向けての態勢が整えられていたのであるから,その時 点以降の準備行為である,第7サティアン内に設置するサリンプラントの工程等に係る設 計図書類の作成,同プラントの施工に要する資材,器材及び部品類の調達,その据付 け及び組立て並びに配管,配電作業を行うなどして同プラントをほぼ完成させ,サリン生 成に要する原料であるフッ化ナトリウム,イソプロピルアルコール等の化学薬品を調達し, これらをサリンの生成工程に応じて同プラントに投入しこれを作動させてサリンの生成を 企てる行為は,大量殺人を実行するために実質的に重要な意味を有するものであり,ま た,大量殺人が実行される現実的危険性を発生させ得る程度に客観的に相当の危険性 を有するものであって,殺人予備罪に該当するものと解される。
4 弁護人は,サリン生成の5工程のうち,第1ないし第4工程はいずれも思うように機能 しない状態で当初予定した生成能力にははるかに及ばず,第5工程は試運転すらできな い状態でサリンが生成されたことはなく,平成6年12月末の時点においてサリンプラント は未完成であり,プラントとしての機能を有するものではなかったから,殺人予備罪が成 立しない旨主張する
しかしながら,平成5年11月ころ以降のサリンの大量生成に向けてされた前記一連の 行為が殺人予備罪に該当するものと解されることは前示のとおりであり,サリンプラントに おける第1ないし第4工程が思うように機能せず当初予定した70tという生成能力にはは るかに及ばず,同第5工程においてサリンが生成されたことがないにしても,実際に,平 成6年12月末までの間に,サリンプラントにおいて,第4工程まで稼働させて50ないし80 リットルのジクロを2回にわたり生成し,そのうち1回分のジクロからジフロを生成することに も成功しているのであり,後は,第5工程関係の部屋や配管等について気密テストをする などした上で,生成済みのジクロ及びジフロに調達済みのイソプロピルアルコールを加え て反応させれば相当量のサリンを生成させることができるまでの状態に至っているのであって,サリンプラントで生成されるサリンにより大量殺人が実行される現実的危険性を発 生させ得る程度の客観的な相当の危険性は平成5年11月ころ以降徐々に高まりこそす れ,決して減少してはいないのであるから,平成5年11月ころから平成6年12月下旬ころ までの間のサリンの大量生成に向けてされた前記一連の行為は殺人予備行為というに 何ら妨げないというべきである。この点に関する弁護人の主張は採用することができな い。
また,弁護人は,本件公訴事実にはサリンが生成された事実が含まれていないから本 件公訴事実は何らの罪となるべき事実を包含していないとして公訴棄却の決定がされる べきである旨主張する。
しかしながら,サリンプラントにおいてサリンが生成されたか否かが殺人予備罪の成否を 左右しないことは,これまで説示してきたことから明らかであり,この点に関する弁護人の 主張も採用することができない。
第3 弁護人の主張2,3(殺人の目的,殺人予備の共謀の有無)に対する判断
1 弁護人は,サリンは最終戦争が起こったときに教団を防衛する手段として利用する にとどまり,現実に使用することまでを予定したものではないなどの前記の理由により,本 件公訴事実に係る行為には具体的な殺人の目的があったとはいえないから,殺人予備 罪は成立しない旨主張し(弁護人の主張2),また,被告人はA6の提案したサリンプラン トによるサリンの生成は実現不可能であると考えたが,A6らのマハームドラーの修行にも なると考え,A6のなすがままに任せたにすぎないなどの前記理由から,被告人には殺人 の目的がなく,殺人予備の共謀もないと主張する(弁護人の主張3)ので,これらの点に ついて検討する。
2 前記認定事実によれば,被告人がサリンプラントの建設にかかわるようになった経緯
及びその関与の態様は,次のとおりである。
(1) 被告人は,平成2年の衆議院議員総選挙に教団幹部らと共に立候補して惨敗した ことから,同年4月ころ,教団幹部らに「今の世の中はマハーヤーナでは救済できないこ とが分かったので,これからはヴァジラヤーナでいく。現代人は生きながらにして悪業を 積むから,全世界にボツリヌス菌をまいてポアする。」などと言って,無差別大量殺人を実 行するよう宣言して以来,ボツリヌス菌の培養,ホスゲン爆弾の製造,自動小銃の製造, 核兵器の開発,炭疽菌の培養等を教団幹部らに指示して教団の武装化を強力に推し進 めてきたものであり,その一環として,平成5年6月ころ,サリンをプラントで大量に製造し ようと考え,A6を介するなどしてA24に対し,その生成方法について研究するよう指示し た。
(2) 被告人は,A24が実験室レベルで少量のサリンの生成に成功した同年8月ころに は,一部の教団幹部に「私の今生の目標は最終完全解脱と世界統一である。」旨の話を し,その後,同年8月末か9月初めころ,A21に対し,70tのサリンを生成できるプラントの 設計を指示し,以後サリンの大量生成に必要な資金として多額の金員を出捐した。
(3) 被告人は,サリンをヘリコプターで上空から散布することも考え,ヘリコプターの購入 を図り,出家信者にヘリコプターの操縦免許を取らせるために,同人らを,同年9月には アメリカ合衆国に,平成6年2月にはロシア連邦に派遣した。
(4) 被告人は,A24らの研究等によりめどのついたサリンの大量生成の方法によって生 成されたサリンを使い,かねてから敵対視し殺害の機会をうかがっていたD3を暗殺しよう と考え,その旨A6らに指示し,平成5年11月及び同年12月の2回にわたり暗殺を試み たが,いずれも失敗に終わった。
(5) 被告人は,平成6年2月下旬,中国旅行をした際,約80名の同行した出家信者に 対し,五仏の法則について体系的に説いた上,「1997年,私は日本の王になる。2003 年までに世界の大部分はオウム真理教の勢力になる。真理に仇なす者はできるだけ早く 殺さなければならない。」旨の説法をし,武力によって国家権力を倒し日本にオウム国家 を建設して自らがその王となり,さらに世界の大部分を支配する意図を明らかにした。
(6) 被告人は,中国旅行から帰国後の平成6年2月27日ころ,ホテルE14において,同 行してきた出家信者らに対し,「このままでは真理の根が途絶えてしまう。サリンを東京に ぶちまくしかない。」などと言い,真理科学技術研究所のメンバーを集め,サリンプラント の設計担当者を追加して工程ごとに設計担当者を割り振るとともに,その設計を急ぐよう 発破を掛けた。
(7) 被告人は,サリンプラント建設の進ちょくがはかばかしくないことから,同年4月中ご ろ,A21に対し,「4月25日までに完成させろ。グルの絶対命令だ。必ず完成しろ。そうし ないとおまえは無間地獄行きだ。」などと脅し付けるなどして,サリンプラントの早期完成 を命じるとともに,A8を現場の監督者に指名した。
(8) 被告人は,同年7月,第7サティアンにおける2回にわたる異臭騒ぎが起きた際警察官もやってくるなどしたため強制捜査を受けるかもしれないなどの不安を抱き動揺してい たA21に対し,「もうプラントをやめるか。私はシヴァ大神の意思,真理に背くことは嫌だ。 このまま続けないとおまえは後で絶対後悔するぞ。大丈夫だから。」などと言って,プラン トの建設を続けさせた。
(9) 被告人は,同年6,7月ころ及び同年10月ころ,A6,A18及びA21と話合いをした 末,第4工程又は第5工程の各反応釜の形状,材質等について決定し,また,同年8月こ ろ,五塩化リン生成装置について,A56の設計に係る当初の方法を変更し,A21の意見 のとおり,塩素ガス中に三塩化リンを投入し反応させて五塩化リンを生成する方法を採用 することを決めた。
(10)被告人は,同年7月末ころ,サリンプラントの稼働要員となるメンバーに対し,「これ から第7サティアンでプラントのオペレーターをやってもらうが,そのボタン操作を誤ると富 士山麓が壊滅する。このワークを40日間ずっと第7サティアン内に詰め込んで作業をや る。これは死を見つめる修行だ。全員菩長にする。」などと話した。
(11)被告人は,平成7年1月1日,e1村でサリン残留物質が検出された旨の新聞報道が されたことから,強制捜査を恐れ,サリンプラントの稼働を停止して神殿化などの偽装工 作をするようA6らに指示した。
3 以上に摘示した一連の事実に照らすと,被告人は,東京に大量のサリンを散布して 首都を壊滅しその後にオウム国家を建設して自ら日本を支配することなどを企て,ヘリコ プターの購入及び出家信者によるヘリコプターの操縦免許の取得を図るとともに,大量 のサリンを生成するサリンプラントの建設を教団幹部らに指示したものというべきであるか ら,被告人が,最終戦争が起こったときに教団を防衛する手段としてサリンを使用するた めにサリンプラントの建設を指示したものとは到底考えられない。
したがって,本件公訴事実に係る行為に具体的な殺人の目的が認められることは明ら かであり,弁護人の主張2は採用することができない。
なお,A24は,公判(第235回)において,要旨「A6が,平成5年6月ころ,プラントにお ける70tのサリンの生成方法等について検討するよう私に指示した際,A6は,このサリン は最終戦争が起きたときに自衛のために使う,オウムから仕掛けることはないという趣旨 のことを話してくれたので,抵抗感が激減した。」旨の供述をしている。しかしながら,A2 4の供述内容の真偽はともかく,仮にA6がその趣旨の内容の話を当時A24にした事実 があったとしても,それはA6がA24にサリンの生成方法について検討させるための方便 にすぎないとも考えられるのであり,むしろ,前記認定事実に照らすと,被告人は最終戦 争の際に自衛的に使用するためにサリンを生成しようとしていたとは到底認め難く,A24 の前記公判供述をもって,本件公訴事実に係る行為に具体的な殺人の目的が認められ る旨の前記判断が左右されるものではない。
4 加えて,被告人は,その後も,サリンプラントの早期完成に向けて,(1) 1年以上もの 期間にわたり多額の金員と多数の人員をサリンプラントの建設に充てるなどし,(2) その 進ちょくがはかばかしくないことにいら立って,随時人材を投入してサリンプラント建設担 当者の増強を図ったり,A21に対し,グルの絶対命令だ,無間地獄行きだなどと脅し付 けてサリンプラントの早期完成を命じたり,新たに現場の監督者を置いたりするなどし,(3) サリンプラントの稼働要員に対してはステージを上げることを約束するなどして危険な業 務に従事させ,(4) 他方で,サリンプラントで使用する反応釜の形状,材質等や五塩化リ ン生成方法など技術的な細部についても自ら裁定するなどし,(5) 平成7年1月1日付け の前記新聞報道がされるや強制捜査を受けることを恐れ,サリンプラントを停止させて偽 装工作をさせるなどしたものである上,実際にサリンプラントにおいてジクロ及びジフロを 生成することができているのであるから,被告人はサリンプラントによるサリンの生成が実 現可能であると考えていたものと認められるし,被告人がA6らのマハームドラーの修行 にもなると考えてA6のなすがままに任せたものとは到底認め難い。
したがって,被告人に殺人の目的及び殺人予備の共謀が認められることはもとより明ら かであり,弁護人の主張3は採用することができない。
なお,A14は,公判(第247回)において,要旨「私は,平成6年10月初めころ,被告人 に呼ばれて第6サティアン1階に行くと,被告人がA6をしかりつけ,A6に対し,サリンプラ ントを完成させることができるのかと聞くと,A6ができる旨答えたので,被告人は『分かっ た。頑張ってくれ。』と言ってA6を帰した。その後,被告人は私に『もうできない。第7サテ ィアンはもうできないよ。おまえはもう第7サティアンから外れていい。X14の責任だからX 14にやらせる。』と言った。」旨を供述している。しかしながら,自己の刑事責任を軽減さ せようとするA14の一連の供述内容,態度や,現に被告人がA6に引き続きサリンプラン トの建設を担当させていることなどに照らし,果たして被告人がA14に対し第7サティアン はもうできない旨の話をしたのか疑わしいのみならず,前記認定のとおり被告人は終始積極的かつ意欲的にサリンプラントの早期完成に取り組んでいたのであるから,被告人 が内心においてサリンプラントが完成することはないと諦めていたとは思われず,A14の 前記公判供述をもって,被告人に殺人の目的及び殺人予備の共謀が認められる旨の前 記判断が左右されるものではない。
この著作物は、日本国著作権法10条2項又は13条により著作権の目的とならないため、パブリックドメインの状態にあります。同法10条2項及び13条は、次のいずれかに該当する著作物は著作権の目的とならない旨定めています。
- 憲法その他の法令
- 国若しくは地方公共団体の機関、独立行政法人又は地方独立行政法人が発する告示、訓令、通達その他これらに類するもの
- 裁判所の判決、決定、命令及び審判並びに行政庁の裁決及び決定で裁判に準ずる手続により行われるもの
- 上記いずれかのものの翻訳物及び編集物で、国若しくは地方公共団体の機関、独立行政法人又は地方独立行政法人が作成するもの
- 事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道
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