オウム真理教事件・麻原彰晃に対する判決文/chapter seventeen
[Ⅵ B6サリン事件について]
〔弁護人の主張〕
1 次の理由から,青色サリン溶液をB6車両に滴下したA38の行為(以下「本件行為」 という。)は,人を死に至らせる危険性がないから,殺人の実行行為に該当しない。
(1) 本件で使用された青色サリン溶液が,サリン又はその関連物質であるか疑問であ る。
(2) それがサリン又はサリンを含有するものであるとしても,その殺傷力はそれほど強い ものではない。
(3) しかも,サリンが揮発しやすい天候の下でその少量をB6車両のボンネットのフロント ウインドー部分付近に滴下しただけでは,同車両内へのサリンの流入可能性にも疑問が あることなどから,人を死に至らせる危険性はない。
(4) B6弁護士の目の前が暗くなったという症状には疑問があり,そのような症状が出た としても青色サリン溶液が原因ではない。
2 次の理由から,被告人は,B6弁護士に対する殺意はなく,A38ら5名との間で殺人 についての共謀はなかった。
(1) 被告人及びその弟子であるA38ら5名には,B6弁護士を殺害する動機が全くな い。
(2) 被告人は,グルが弟子に対しその指示どおりの成果が出ないことを承知の上で無 理難題とも思われるような課題を与え実行させるという修行であるマハームドラーの一環 として,A38らに対し,B6車両に青色サリン溶液を滴下するよう指示したにすぎず,被告 人及びA38ら5名は,青色サリン溶液又はB6車両に滴下する液体が致死性を有すると の認識がなく,そのような行為に及んでも,人が死亡するとは思わなかった。
〔当裁判所の判断〕
第1 前提事実
関係証拠によれば,前記「Ⅳ 教団の武装化」並びに判示犯行に至る経緯及び罪とな るべき事実(本件犯行についての被告人及び共犯者の殺意,共謀などの主観的側面に 係る部分を除く。)に係る事実のほか,次の事実が認められる。
1 A38は,平成6年5月9日午後1時15分ころ,B6車両に青色サリン溶液を滴下した 際,立った白い煙と共に気化したサリンを鼻で吸い込み,強い刺激臭を感じた。A38は, 青色サリン溶液を掛け終わると,正門の方に歩きながら,空になった遠沈管にふたをし, ビニール袋に収納してチャックを閉め,ポケットに入れ,正門を出て待ち合わせ場所であ る甲府地裁南側にある中央公園に行った。
他方,A19及びA14は,甲府地裁裏側駐車場でA38を降ろした後,パルサーで同公 園に向かい,同所でA38と合流して,A38を後部座席に乗せ,A10らとの待ち合わせ場 所に向かった。
A38は,車内で,A14から「身に着けているものですぐ取れるものをゴミ袋に入れるよう に。」と言われ,帽子,サングラス,マスク,G店で購入した手袋,合成樹脂製手袋,スー ツの上着,遠沈管入りのビニール袋を,A14が合成樹脂製手袋を着用して持っているゴ ミ袋の中に入れた。
また,A38は,A19から「どうだった。」と聞かれ,「液体を掛けたら白い煙が出て,鼻が ツンとして詰まった。」旨答えると,A14に「目の前が暗くない。気持ち悪くない。」と聞か れ,「少し暗いかもしれない。」旨答えた。
2 A19らは,同日午後1時30分ころまでに,A10との待ち合わせ場所に到着し,A38 が着替えをして,A14から渡された別のゴミ袋にブラウス,スカート,ストッキング,パンプ ス等を入れた。
また,A14は,後部座席で,A38の目をのぞき込み脈を取るなどして診察をし,「少し 瞳孔が縮んでいるな。」と言った。A38は,A14から気分を聞かれ,最初に聞かれたとき よりも目の前の暗さがひどくなってきていたことから,「目の前が暗いし,気持ちが悪い。 頭も少し痛い。」と答えた。すると,A14は,「これはパムと言って,目の前が暗かったり気 分が悪かったりする症状を和らげてくれる。」と言って,A38にパムを注射した。 A19及びA14も,目の前が少し暗いなと言って,お互いにパムを注射し合った。
3 他方,A37は,A38がB6車両に青色サリン溶液を滴下して正門から出た後も,引き 続き,甲府地裁表側駐車場の正門より北側のスペースに駐車しているクラウン内で,窓を 閉めた状態で,A10が戻るのを待っていたが,甲府地裁の職員から別の場所に駐車するよう注意され,その誘導により,甲府地裁の建物の西側にある正面玄関の南側のスペ ースにクラウンを駐車させられた。
A10は,同日午後1時30分ころ,正面玄関から出てきてクラウンに乗り込み,その駐車 場所がB6車両から十数mしか離れていないことから,A37に対し,「こんな近くに停めた ら危ないじゃない。」としかった。
A10らは,間もなく正面玄関から出てきたB6弁護士が数名の男性と一緒に正門から出 ていくのを見て,同所を出発し,同日午後1時40分ころ,待ち合わせ場所に到着し,A1 9らと合流した。
A10は,同所において,A19及びA14に対し,B6弁護士がすぐには車には乗らず喫 茶店にでも行ってしまった旨話した。
その後,A10及びA37は,クラウンで先に出発し,直接e1村に戻った。
4 A19,A14及びA38は,A33と落ち合うために,同日午後2時ころ,パルサーで待 ち合わせ場所である中央自動車道の甲府南インターチェンジに行った。
A38は,同所で,A14に対し,まだ気分が悪く目の前が暗い旨訴えたので,A14は, サリンのような有機リン系のコリンエステラーゼ活性阻害剤には時間がたつとパムが効か なくなるエイジングという性質があることを考え,「パムは時間がたつと効かなくなるんだけ ど,一応,もう1本打っておこう。」と言って,A38にパムを注射した。
A19らは,同所にA33が来ないことから,そのままe1村に帰り,同日午後3時ころ,第6 サティアンに到着した。
5 A10,A19及びA14は,その後しばらくして,第6サティアン1階の被告人の部屋 で,被告人に対し,指示されたとおりやった旨を報告し,その際,A10が,B6が車に戻ら ず喫茶店に行ってしまった旨話した。A38が被告人の部屋に呼ばれた際,A14が,A3 8がにおいをかいでしまったようなのでA38に注射をした旨被告人に報告すると,被告人 がA38に大丈夫かと尋ねてきた。A38は,被告人に心配を掛けたくなかったので「大丈 夫です。」と答えた。
A38は,同日夜,被告人の部屋で,被告人に「1時15分にやりました。」と言うと,被告 人は,「ジャストタイミングだな。私もそのころ瞑想に入ったんだよ。」と言った。そして,A38 が被告人に「この仕事の成果は必ず私にも教えてください。」と頼むと,被告人は,「今調 査中だから,分かったら教えるよ。」などと言った。
6 A38は,同月10日ないし12日ころ,A32から借りていた化粧ポーチ等をA32に返 してくれるようA14に頼んだ際,A14にまだ目の前が暗い症状がある旨を伝えると,A14 から「すぐ消えるから大丈夫だよ。」と言われた。
また,被告人は,同月11,12日ころ,被告人の部屋にA38を呼び,A38に液体を掛け たときの様子を教えてくれるよう言うと,A38から「白い煙が立ち,臭いにおいがした。」と 言われたので,「おかしいな。あれは無色無臭のはずだけど。」と言った。
被告人は,数日後,B6弁護士が元気であることを確認し,「結果が出なかったな。」など と言った。
7 A14は,A38が青色サリン溶液をB6車両に滴下した際に着用していた衣服その他 の物を,富士山総本部道場の焼却炉で燃やし,空になった遠沈管やサリンの入った遠 沈管は,中和処理をした後,A19に返した。
8 B6弁護士は,前記弁論期日を終え,甲府地裁の正門の外の歩道で,依頼人と立ち 話をした後,平成6年5月9日午後1時30分過ぎころ,B6車両に戻り,運転席側のドアを 開けて乗り込み,エンジンを掛けて運転を開始し,別荘地の下見のため長野方面に向か った。エンジンが掛かると同時に内気循環でオートエアコンが作動した。
B6弁護士は,甲府インターチェンジから中央自動車道に入り,八ヶ岳パーキングエリア に立ち寄った後,同日午後3時ころ,同所を出発して小淵沢インターチェンジで中央自 動車道を下り,長野県t2町近辺の保養地を回り,車の外や中から,何枚か写真を撮り,t 2町役場を訪れて別荘地に問題がないか尋ね,次いでもう1か所の別荘予定地にも寄っ た。B6弁護士は,同日午後5時前ころ,小淵沢インターチェンジから中央自動車道に入 り,同日午後6時ころ,相模湖インターチェンジで中央自動車道を下りたが,同所の料金 所を通過するまでの間,自己の身体の変調を感じることはなかった。なお,B6弁護士 は,相模湖インターチェンジを下りる直前に,景色が広がる場所があり,さわやかな感じ がするので,前の方に車が見えなければ10ないし20秒くらいの間外気導入に切り替え ることが時々あった。
B6弁護士は,同料金所を出た後,右側に見える太陽が黒っぽく見え,また,視野全体 が暗く速度が出過ぎる感じがして怖くなり速度を落とし,他の車両はライトをつけていない のに自車だけ前照灯までつけている状態で,前のめりの態勢で前方の車を頼りにしてこ れに追走した。同弁護士は,同日午後7時半か8時ころ帰宅したが,居間の蛍光灯が4本のうち2本しかついていないのではないかと思われるほど暗く感じた。
B6弁護士は,家系上,くも膜下出血の前兆ではないかと思い,同年5月11日,前記の 症状は出ていなかったが,E31クリニックの脳神経外科を専門とする医師の診察を受け, その際,同医師に対し,同月9日に車を300㎞運転したが,その後視野全体が暗くなっ た旨を話し,MRAとMSAの検査を受けたが,脳血管に異常はなく,脳が萎縮しているこ ともないとの結果だった。B6弁護士は,視野全体が暗くなる症状が出たのはこのときだけ であり,本件行為時前及び同月11日以降そのような症状が出ることはなかった。同弁護 士は,同月9日に別荘地の下見の際に写真を撮ったときには,八ヶ岳や別荘地に薄くも やがかかっているように見えたが,その数日後に現像された写真を見るとよく晴れ渡って いる状況だった。
B6弁護士は,同年6月17日に胸痛の症状が出たため,翌18日に医師の診察を受け たところ,気胸と診断され,同年7月に内視鏡手術を受け,肺胞を一部切除したが,その ころには視野全体が暗くなる症状はなかった。
第2 弁護人の主張1(殺人の実行行為性の有無)に対する判断
1 弁護人は,本件行為には殺人の実行行為性がない旨を主張する。
しかしながら,前記の認定事実に照らすと,本件行為は,化学兵器である強い殺傷力 を有するサリンを相当程度含有する青色サリン溶液30ないし40㏄をB6車両の運転席側 フロントウインドーアンダーパネルの溝部分及びその付近に滴下することにより,その後, 同車両に乗り込んで同車両を運転し走行させる者に気化発散したサリンを吸入させ,そ の結果,同人をサリン中毒により直接的に又は交通事故等を介して間接的に死亡させる 現実的危険性を有するものであり,現にB6弁護士は気化したサリンを吸入してサリン中 毒症にかかるなど死の危険にさらされたものであるから,本件行為が殺人の実行行為性 を有することは明らかである。
2(1) 弁護人は,本件行為が殺人の実行行為に該当しない理由として,まず,本件で使 用された青色サリン溶液がサリン又はその関連物質であるか疑問であることを挙げる。
しかしながら,①A38が青色サリン溶液を滴下したB6車両の運転席側のフロントウイン ドーアンダーパネルの溝及びその付近に対応するフロントウインドーアンダーパネル運 転席側の表の面及びカウル右側水抜き穴の付着物から,いずれもサリンの第一次加水 分解物であり,比較的安定性を有するメチルホスホン酸モノイソプロピルが検出されたこ と(L甲32,86,C1[150,160回]等),②青色サリン溶液は,その生成時である平成6 年2月において,サリンを70%くらい含有していたものであること(「Ⅳ 教団の武装化」12 の事実,A14[188,249回],A21[185回],A24[236回]等),③青色サリン溶液は 平成6年6月下旬に実行された松本サリン事件にも使用されたものであるが,後記のとお り,犯行現場周辺や被害者の生体資料等からサリンやその第一次加水分解物であるメ チルホスホン酸モノイソプロピル,第二次加水分解物であるメチルホスホン酸,サリンの 副生成物であるメチルホスホン酸ジイソプロピルが検出されていること,④サリンは自然 界には存在せず,かつ,他の化合物からサリンの分解物と同一物が得られることはなく, サリンの分解物であるメチルホスホン酸モノイソプロピル及びメチルホスホン酸が検出さ れ,副生成物であるメチルホスホン酸ジイソプロピルが検出されたということは,実際にサ リンが存在した化学的証拠となるとされていること(弁74),⑤その他後記のとおり青色サ リン溶液の気化ガスを吸入してサリン中毒と同様の症状に陥った者が少なくないことなど を併せ考えると,本件で使用された青色サリン溶液がサリンを相当程度含有するものであ ることは明らかである。
(2) これに対し,弁護人は,A24の公判供述等に基づき,青色サリン溶液生成の最終 工程において,イソプロピルアルコールを過剰に加えてしまったために,副生成物である メチルホスホン酸ジイソプロピルが3割くらいでき,しかも,かなりの量のイソプロピルアル コールが反応しないまま残っていたことから,生成したサリンは,生成後2か月の間に,イ ソプロピルアルコールの中ですべて分解された可能性がある旨を主張する。
この点について検討すると,まず,A21は,青色サリン溶液生成の最終工程において, 当初予定された量のイソプロピルアルコールを投入した後,A14の指示を受け,目算で 当初の予定量の4分の1ないし3分の1くらいの量のイソプロピルアルコールを追加して投 入したものである(A21[185回]。追加投入したのはA21であり,追加した量に関するA 21の同旨の供述の信用性は高い。)。
そして,ジクロ1モルとジフロ1モルとイソプロピルアルコール2モルを反応させるとサリン 2モルが生成されること,ジクロ1モルとイソプロピルアルコール2モルを反応させるとメチ ルホスホン酸ジイソプロピル1モルが生成され,ジフロ1モルとイソプロピルアルコール2モ ルを反応させるとメチルホスホン酸ジイソプロピル1モルが生成されること,メチルホスホン 酸ジイソプロピルがサリンの分解物である可能性は低く,むしろサリン合成の際の副生成物と考えられていることなど関係証拠によって認められる事実関係に照らすと,イソプロピ ルアルコールを2モルを超えて投入した場合,例えば,予定量の4分の1を更に追加した 2.5モルのイソプロピルアルコールを投入した場合には,ジクロとジフロ合わせて1.5モ ル分が1.5モルのイソプロピルアルコールと反応して1.5モルのサリンが生成され,残り のジクロとジフロ合わせて0.5モル分が残りの1モルのイソプロピルアルコールと反応して 0.5モルのメチルホスホン酸ジイソプロピルが副生されるものと認められる(D甲566,弁 74,C2[85回],C3[88回]等参照)。分子量は,サリンが140,メチルホスホン酸ジイソ プロピルが180であるから,青色サリン溶液内でのそれらの質量比は7対3となるが,この ことは,前記認定に係る,青色サリン溶液がサリンを70%くらい含有する事実とよく整合 する(なお,青色サリン溶液中にフッ化水素ないし4フッ化ケイ素があるにしても,化学反 応式及び分子量に照らすと,その量はサリンの十数分の一以下であり,前記認定を左右 するものではない。)。そうすると,追加投入されたイソプロピルアルコールはほぼジクロ及 びジフロと反応し,サリンを70%くらい,メチルホスホン酸ジイソプロピルを30%くらいそ れぞれ含有する青色サリン溶液が生成されたものであり,その後の時間経過等を考慮し ても本件行為時及び松本サリン事件の際にはなお相当程度サリンを含有するものという べきである。
したがって,本件行為時及び松本サリン事件の際には青色サリン溶液中のサリンはイソ プロピルアルコール下ですべて分解されてメチルホスホン酸ジイソプロピルとなった旨の A24の公判供述は信用することができず,これに依拠する弁護人の前記主張は,その前 提を欠くものであるから,採用することができない。そして,このことは,松本サリン事件に おいて,犯行現場周辺等からサリンやメチルホスホン酸ジイソプロピルが検出されたこと をよく説明し得ている。
以上のとおりであるから,弁護人の主張1(1)は採用することができない。
3(1) 次に,弁護人は,教団で造った青色サリン溶液中のサリンの殺傷力はそれほど強 いものではない旨を主張する。
しかしながら,①青色サリン溶液中には,1立方メートル中にそれが0.1g存在する中に ヒトが1分間さらされるとその半数が死に至るほどの強い殺傷力を持つサリンが相当程度 含まれていること,②第1次D3事件において,青色サリン溶液を生成した方法と同様の 方法に基づき生成したサリンを農薬用噴霧器で噴霧した際,同噴霧器を積載した乗用 車に乗車していたA6,A7,A14及びA21の4名が,車内に流入したサリンにより,手足 が震える,息が苦しくなる,目の前が暗くなるなどのサリン中毒の症状を呈し,パムの注射 により事無きを得たが,その症状はA14が被告人にサリンを吸って死にかかった旨報告 するほどのものであったこと,③第2次D3事件において,青色サリン溶液を生成した方法 と同様の方法により生成したサリンを噴霧した際,サリン噴霧車を運転していたA7がサリ ンに被ばくして,視界が暗くなり,呼吸困難に陥り,やがてひん死の状態に至り,パムの 注射その他の救急救命措置等により一命を取り留めたこと,④A38が本件行為の際B6 車両に滴下した青色サリン溶液の気化したガスを吸い,次第に目の前が暗くなる,気持 ちが悪くなるなどのサリン中毒の症状を呈したが,パムの注射により事無きを得たこと,⑤ 本件行為後A38を乗せた乗用車内にいたA19やA14も目の前が少し暗くなるなどのサ リンによる症状が出たこと,⑥後記のとおり松本サリン事件において,青色サリン溶液が 使用されたことから,サリン中毒により住民7人が死亡するなどの重大な結果が生じたこと などを併せ考慮すると,青色サリン溶液中のサリンが強い殺傷力を有するものであること は明らかである。
(2) これに対し,弁護人は,サリンの予防薬とされている臭化ピリドスチグミンは通常1回 当たり30㎎を投与することとされているが,メスチノン(1錠は臭化ピリドスチグミン60㎎含 有)は,それ自体アセチルコリンエステラーゼの活性を阻害するというサリンと同様の効果 を持ち,これを服用するとサリンとの相乗効果により,重い中毒症状が出るものであり,第 2次D3事件におけるA7の症状は,A7が臭化ピリドスチグミン60㎎を含有するメスチノン 1錠を服用してサリンに被ばくしたことによるもの,すなわち,過剰投与した臭化ピリドスチ グミンとサリンの相乗効果により生じたものであって,A7の症状をもって教団で造った青 色サリン溶液中のサリンの殺傷力が高いとまではいえない旨を主張し,その根拠として, 臭化ピリドスチグミンの過剰投与が有機リン系化合物被害の防御又は治療に逆効果とな る旨の学術報告(弁71)があることを挙げる。
そこで検討すると,なるほど,弁71においては,マウスとモルモットを対象とし全血液の アセチルコリンエステラーゼのおよそ30%阻害を誘導するピリドスチグミン(モルモットで は0.47㎎/㎏,マウスでは0.2㎎/㎏)と,同60%阻害を誘導するピリドスチグミン(モ ルモットでは1.9㎎/㎏,マウスでは0.82㎎/㎏)をそれぞれ経口投与し,サリンを投 与した後,アトロピンと2-PAMを投与したという実験をした結果,モルモットにおいては,①ピリドスチグミンを投与しなかった場合は保護率36.4,②ピリドスチグミン0.47㎎ /㎏を投与した場合は保護率34.9,③ピリドスチグミン1.9㎎/㎏を投与した場合は保 護率23.8,マウスにおいては,④ピリドスチグミンを投与しなかった場合は保護率2.1, ⑤ピリドスチグミン0.2㎎/㎏を投与した場合は保護率2.2,⑥ピリドスチグミン0.82㎎ /㎏を投与した場合は保護率2.0となったことが報告されている。
しかしながら,同報告にある測定値の下限及び上限をも考慮すると,マウスの場合の④ ⑤⑥の間,モルモットの場合の①②の間にはそれほどの差はなく,しかも,モルモットの 場合で明らかに保護率が低下しているとみられる③のピリドスチグミンの投与量(アセチ ルコリンエステラーゼのおよそ60%を阻害する量)は,②のそれ(同30%を阻害する量) の4倍以上であること,アセチルコリンエステラーゼと可逆的に結合しサリンの予防薬とさ れている臭化ピリドスチグミンは通常1日3回1回当たり30㎎を投与することとされており, ヒトが臭化ピリドスチグミン30㎎を服用すると体内の20ないし40%のアセチルコリンエス テラーゼが臭化ピリドスチグミンと結合することとされていること(弁73等),メスチノンは1 錠中臭化ピリドスチグミン60㎎を含む重症筋無力症の治療薬で,1日180㎎を3回に分 けて服用することとされ,ペンチを使用しても分割することの難しい錠剤であり,その投与 が過剰な場合に,ムスカリン様作用として縮瞳等が現れることがあるとされているにとどま ること(A14[162,187回])などに照らすと,30㎎の2倍にすぎない60㎎の臭化ピリドス チグミンを含有するメスチノン1錠を1回服用しただけで,前記のA7のようなひん死の状 態に至るほどのサリンとの相乗効果が生じたとは考え難いというべきである。また,松本サ リン事件において,青色サリン溶液が使用された結果,サリン中毒により住民7人が死亡 するなどの重大な結果が生じたことなどを併せ考慮すると,青色サリン溶液中のサリンが それほど殺傷力がないにもかかわらず過剰に投与したメスチノンとの相乗効果ゆえにA7 に前記の重い中毒症状が生じたなどといえないことは明らかであり,この点に関する弁護 人の主張は採用することができない。
(3) 弁護人は,サリンには光学異性体としてプラス体のものとマイナス体のものとがあり, マイナス体のサリンは強い殺傷力を有するものであるのに対し,プラス体のサリンはほと んど毒性がないものであるが,教団で生成した青色サリン溶液中のサリンはほとんど毒性 のないプラス体のものであるから,殺傷力の極めて弱いものであった旨を主張する。
しかしながら,サリンに光学異性体としてプラス体のものとマイナス体のものとがあり,そ のいずれかによってその効力が極端に異なることがあるにしても,青色サリン溶液中のサ リンあるいは教団においてこれと同様の生成方法で生成したサリンの殺傷力は,前記(1) でみてきたとおり,極めて強力なものであると認められるのであり,光学異性体の性質に 言及して教団で生成した青色サリン溶液中のサリンの殺傷力が極めて弱いものであった とする弁護人の主張は採用することができない。
以上のとおりであるから,弁護人の主張1(2)は採用することができない。
4(1) 弁護人は,サリンが揮発しやすい天候の下でその少量をB6車両のボンネットのフ ロントウインドー部分付近に滴下しただけでは,同車両内へのサリンの流入可能性にも疑 問があることなどから,人を死に至らせる危険性はない旨を主張する。
(2) しかしながら,①B6車両を使用しての外気流入実験において,B6車両の運転席側 フロントデッキ部(運転席側フロントウインドーアンダーパネルの溝部分)にイソプロピルア ルコール30㏄を掛けた後,車両のドア,窓,ダンパー(外気取り入れ用)を閉め,オート エアコンを内気循環にした状態で車両を高速道路で約12分間走行させた後,検査をし たところ,車内の助手席側のサイドデフロスター付近の空気からイソプロピルアルコール が検知されたこと(L甲82,C4[150,156回]),②B6車両の運転席側フロントデッキ部 にコーヒー30㏄を掛けたところ,コーヒーは右側前部タイヤの後方の地面に流れ落ちた こと,③その流れ落ちた地点で発煙筒をたくと煙は上方に立ち上り,30秒後に運転席側 ドアを開閉したところ車内に少量の煙が流入したこと,④同じ地点でドライアイスに水を加 えると白色煙状のものが地面上に発生し,30秒後に運転席側ドアを開閉すると煙状のも のが吸い込まれるように車内に流入したこと,⑤同車両の運転席側フロントデッキ部付近 でドライアイスに水を加えると白色煙状のものが車体をはうように下方に流れ出し,30秒 後に運転席側ドアを開閉すると,煙が車内に流入したこと(以上,L甲33,C5[148,15 2回]),⑥A19及びA14が,事前に,B6車両と同車種の車両を使用して,アンモニア水 を同車のフロントグリル付近とフロントウインドー付近にそれぞれ滴下し,空気循環を外気 導入の状態にして同車を走行させたところ,前者よりも後者のほうが車内でのアンモニア 臭が強いことを確認したことなどを併せ考えると,サリンと上記各実験で用いられたイソプ ロピルアルコール,ドライアイス,アンモニア,コーヒーの化学的性質の種々の違い等を 考慮に入れても,B6車両のドア,窓,ダンパー(外気取り入れ用)を閉め,オートエアコン を外気導入にした場合はもちろんのこと,それを内気循環にした状態でも,B6車両を走行させた場合,運転席側フロントウインドーアンダーパネルの溝部分に滴下したサリンの 気化したガスが外気と共に車内に流入し得るものであること及び,B6車両の同部分にサ リン30㏄を滴下した場合,その一部は車両右側前部のタイヤの後方地面に流れ落ちて 同所で揮発し,運転席側ドアの開閉により気化したサリンが車内に流入する可能性があ ることを認めることができる。
(3) そして,前記のとおりサリンの場合ヒトの経気道半数致死量が0.1g分/立方メート ルであることを考慮すると,サリンを相当程度含有する青色サリン溶液30㏄をB6車両の 運転席側フロントウインドーアンダーパネルの溝及びその付近に滴下しただけでも,その 場で及び走行中に気化したサリンガスを吸入させることなどにより,人を死に至らせる現 実的危険性は大きいものと認められる。
以上のとおりであるから,弁護人の主張1(3)は採用することができない。
5(1) 弁護人は,本件行為に殺人の実行行為性が認められない理由の一つとして,B6 弁護士の目の前が暗くなったという症状には疑問があり,そのような症状があったとして も,それは青色サリン溶液中のサリンによるものではない旨を主張する。
(2) しかしながら,B6弁護士は,公判で,前記第1の8の認定事実に沿う供述をするところ であるが,その中で,視野全体が暗くなる症状についても具体的かつ詳細に述べている 上,同弁護士は,本件行為が行われたことさえ知らない平成6年5月11日に脳神経外科 を専門とする医師の診察を受けた際,既に同医師に対し,同月9日車を300㎞運転した がその後視野全体が暗くなった旨の話をしていた(L甲97,D12[150,158回])のであ り,同弁護士の前記供述の信用性を疑う余地はないというべきである。
(3) そして,B6弁護士は,本件行為の約15分くらい後である平成6年5月9日午後1時 30分過ぎころにB6車両の運転席側のドアを開けて乗り込んでその運転を開始し,同日 午後5時前に帰途につくまでには,既に視野全体が暗くなる症状が出始めており,同日 午後6時ころ,相模湖インターチェンジの料金所付近で更にその症状が進んでこれを自 覚するに至ったこと,B6弁護士は,本件行為時前に視野全体が暗くなる症状が出たこと はなかったし,同症状は,同月11日には既に消失しその後そのような症状が出たことは なく,同月11日の診察においてもそのような症状を呈する脳疾患等の異常は何ら発見さ れなかったこと,視野全体が暗くなるのはサリンを吸入した場合の症状の一つであるこ と,本件行為後,B6弁護士がB6車両に乗車して同車両を運転し走行させたが,その 際,同車両内にサリンを流入させ,同弁護士にこれを吸入させることは物理的に可能で あることなどを併せ考えると,B6弁護士の視野全体が暗くなったという症状は青色サリン 溶液中のサリンによるものと認められる。
(4) なお,B6弁護士の事務所の事務員であるD13は,平成8年2月27日付け検察官 調書(L甲104)において,「B6弁護士は,平成6年6月17日依頼人との面談中,『おかし いな。暗い。胸が苦しい。』などと不調を訴え,面談を途中でやめた。同年7月4日に入院 して気胸の手術を受けた後は,同弁護士が暗いなどと訴えたことはない。」旨供述する。
しかしながら,前記のB6の公判供述の信用性に加え,視野全体が暗くなるというのは 気胸の一般的な症状ではなく,また,B6弁護士は呼吸が困難になるほど気胸の症状が 重かったわけではないから,平成6年6月17日の気胸の症状として視野全体が暗くなると いう症状が出たとは考え難いことや,事務員のD13は,B6弁護士が同年5月11日ころ脳 の検査を受けたが何も異常はなかったことを聞いていたこと(以上,前記D12及びB6の 各公判供述)などに照らすと,前記のD13供述は,D13が同年5月11日ころ聞いたB6 の症状と同年6月17日の出来事とを混同してされたものと疑われるのであり,直ちに信用 することはできない。
したがって,弁護人の主張1(4)は採用することができない。
6 以上のとおりであるから,本件行為に殺人の実行行為性がない旨の弁護人の主張1 は採用することができない。
第3 弁護人の主張2(殺意及び共謀の有無)に対する判断
1 弁護人は,被告人及びその弟子であるA38ら5名は,青色サリン溶液又はB6車両 に滴下する液体が殺傷力ないし致死性を有するとの認識がなく,本件行為に及んでも人 が死亡するとの認識はなかった旨を主張する。
2(1) しかしながら,まず,被告人についてみると,①被告人は,サリンの殺傷力につい て繰り返し説法等に及び,また,教団の武装化の一環として,平成5年6月ころ以降,A6 やA24,A21,A14らに対し,直接又は間接的に,サリンの生成を指示し,教団でサリン の生成に成功するとこれを使用して2回にわたりD3を殺害するようA6らに指示し,平成6 年2月に青色サリン溶液30㎏が生成された旨の報告を受けた後は,A6らに対し,東京 に70tのサリンをまいて壊滅すると言うなどして,サリンプラントの設計を急がせたこと,② 被告人は,第1次D3事件の際,600gサリン溶液を噴霧していた乗用車に乗車していたA14から,「サリンを吸って死にかかりました。」と報告を受け,A14に対し,「死ななくてよ かったな。」と声を掛けたこと,③被告人は,第2次D3事件の際,A7が3㎏サリン溶液中 のサリンに被ばくし,ひん死の状態に陥った旨の報告を受け,A7が搬送された教団附属 医院に赴き,同医院の医師であるA33に対し,サリンでD3を殺害しようとしてA7がサリン に被ばくした旨の説明をしてその治療をするよう指示したこと,④被告人は,平成6年5月 8日夜,A38に対し,ある人物をポアすることに加担するよう指示した際,その方法がA3 8にとって「ちょっと危険なワークだ。」と説明したこと,⑤A14が,本件行為を実行するに 当たって,第2次D3事件のときのように重症のサリン中毒者が出た場合などを案じて,A 33に手伝ってもらおうとした際,被告人がこれを了解したこと,⑥被告人は,本件行為 後,A14から,A38がにおいをかいでしまったようなのでA38にパムを注射した旨の報 告を受けた際,A38に大丈夫かと尋ねたこと,⑦被告人は,本件行為の数日後,B6弁 護士が元気であることを確認し,「結果が出なかったな。」などと言ったことなどの事実を 総合すれば,被告人が青色サリン溶液中のサリンの殺傷力や本件行為の現実的危険性 を認識した上で,A10,A19,A14,A37及びA38の5名に対し,B6弁護士の殺害を指 示し,同弁護士を殺害する旨の共謀を遂げたことは明らかである。
(2) 次に,A14について検討すると,①A14は,被告人の進める武装化計画の一環とし て,被告人から,強い殺傷力を有するサリンを生成するよう指示を受けたものと認識した 上で,そのようなサリンを生成しようと努めたこと(A14[179回]等),②A14ほか3名は, 第1次D3事件の際,600gサリン溶液を噴霧していた乗用車に乗車中,車内に流入した サリンにより,手足が震える,息が苦しくなる,目の前が暗くなるなどのサリン中毒の症状 が現れたが,パムの注射により事無きを得,その後,A14が,被告人に「サリンを吸って 死にかかりました。」と報告したこと,③A14及びA19は,第2次D3事件の際,医療担当 として現場付近に停めたワゴン車内で待機していたところ,A7が3㎏サリン溶液中のサリ ンに被ばくし,ひん死の状態に陥ったため,パムの注射などその救急救命措置に当たり ながら,A7を教団附属医院に搬送したこと,④A14は,青色サリン溶液を生成した際, その7割くらいがサリンである旨認識していたこと(A14[162,249回],A21[171回] 等),⑤A14は,B6車両に青色サリン溶液を滴下するのに備え,サリンの予防薬としてメ スチノン,治療薬として硫酸アトロピンやパムを用意し,A37に対し,A19やA14がサリン 中毒になった場合には代わりにパムを注射してくれるよう頼んだ上,A33に対し,サリン 中毒患者が出た場合に対処できるように準備して待機するよう依頼したこと,⑥A14は, X1棟スーパーハウス内のドラフトで,防毒マスク及び合成樹脂製の手袋を着用した上 で,青色サリン溶液を遠沈管に入れ,漏れない措置を施すなどして,B6車両に滴下する サリンを準備したこと,⑦A14及びA19は,A38がサリンを吸い込まないで所定の場所 にサリンを掛けることができるように,A38にサリンの代わりに水を自動車に掛ける練習を させ,その際,A14がA38に「掛けるときには顔を背けて,息は止めるように。手や服に 付かないように気を付けるように。付いたらすぐに言うように。」などと注意したこと,⑧本件 行為の前に,A14,A19,A10,A37及びA38の5名共,予防薬としてメスチノンを1錠 ずつ飲んだこと,⑨A14は,サリン中毒予防のために,A38に対し,合成樹脂製の手袋 を渡し,これをG店で購入した手袋の下に着用するよう指示したこと,⑩A14は,本件行 為後,A38と合流した際,同人に対し,身に着けているものですぐ取れるものをゴミ袋に 入れるよう指示した上,目の前が暗くないか,気持ち悪くないかを尋ね,さらに,同人を診 察して少し瞳孔が縮んでいることを確認し,同人から「目の前が暗いし,気持ちが悪い。」 などと言われ,同人にパムを注射したこと,⑪その際,A14及びA19は,目の前が少し暗 いと言ってお互いにパムを注射し合ったこと,⑫A14は,A33との待ち合わせ場所でも, A38からまだ気分が悪く目の前が暗い旨訴えられ,エイジングを恐れ同人に更にパムを 注射したこと,⑬A14は,A38が本件行為時に着用していた衣服等を焼却し,遠沈管を 中和処理してA19に返したことなどの事実を総合すれば,A14は,D3事件を通じて3㎏ サリン溶液など教団で生成したサリンが強い殺傷力を有するものであり,同様の方法で生 成した30㎏サリン溶液がサリンを7割くらい含有する旨認識し,そのサリンの殺傷力や本 件行為の現実的危険性を認識した上で,本件行為を行うA38をはじめ現場に赴く5名が サリン中毒により死亡し又は重大な傷害を被ることのないよう事前に周到な準備をし,事 後にも十全な注意を払ったものであり,A14が,被告人の前記の指示により,青色サリン 溶液中のサリンの殺傷力や本件行為の現実的危険性を認識した上で,B6弁護士を殺 害する意思を持って,A38ら4名と共に本件行為に及んだことは明らかである。
(3) A19について検討すると,前記の(2)(③,⑦,⑧,⑪)の事実のほか,①A19は,一 般的に化学兵器であるサリンの殺傷力を知っていたが,被告人は,A19,A14及びA10 に対し,サリンの隠語である「魔法」という言葉を用いて「B6の車に魔法を使う。」と言い, 自動車のボンネットなどにサリンを滴下して外気の導入口を通じて車内に気化したサリンを流入させるという内容の話をしたことなどの事実を総合すれば,A19は,30㎏サリン溶 液など教団で生成したサリンの強い殺傷力を認識した上で,自分やA38らがサリン中毒 により死亡し又は重大な傷害を被ることのないよう前記の種々の準備ないし行為に及ん だものであり,A19が,被告人の前記の指示により,教団で生成したサリンの殺傷力や本 件行為の現実的危険性を認識した上で,B6弁護士を殺害する意思を持って,A38ら4 名と共に本件行為に及んだことは明らかである。
(4) A10について検討すると,A10は,検察官調書(L甲105)で,当時被告人の言っ た「魔法」という言葉がサリンの隠語であると認識していたかどうか覚えていない旨供述す るが,①被告人が,A10らに対し,サリンの隠語である「魔法」という言葉を用いて「B6の 車に魔法を使う。」と言った際,A10は格別その意味について聞き返してはいないこと, ②A10は,本件行為の当日,A37と共にe1村を出発した後,予防薬を飲むのを忘れて いたA37に注意して二人共メスチノンを飲んだこと,③A10が,同日午後1時15分ころ, 口頭弁論に出廷するためクラウンから降りた際,その窓を閉め,A37に「危険だから窓を 開けるなよ。」と注意したこと,④A10が,同日午後1時30分ころ,B6車両から十数mしか 離れていない正面玄関南側のスペースに駐車していたクラウンに乗り込んだ際,A37に 対し,「こんな近くに停めたら危ないじゃない。」としかったことなどの事実に加え,A10 が,前記検察官調書で,上記の供述をしながらも,「被告人の言った『魔法』については 何らかの薬物だろうと思った。被告人はLSDのことはLSDと言っていた。本件行為より前 の時点で,被告人の指示で,人の生命,身体に危害を及ぼすような揮発性のある液体を アメリカに運ぶという計画があった。その危険なものがサリンであり,魔法と呼ばれていた ものであるとしたら,私もそのことを聞いていたかもしれない。そのころ,教団で化学兵器の 研究もしているという話を聞いていた。」などとも供述していることを併せ考えると,A10 は,被告人の指示内容が,化学兵器である強い殺傷力を有するサリンをB6車両に滴下 することにより気化したサリンをB6弁護士に吸入させるなどして同弁護士を殺害すること と理解した上で,同弁護士を殺害する意思を持って,A38ら4人と共に本件行為に及ん だことは明らかである。
(5) A37について検討すると,A37は,公判において,「5月4日ころ,被告人の自宅で 被告人に言われてLSDを飲んだとき,意識がなくなるなどして生死の境をさまようという 非常にショッキングな強烈な印象が残ったから,B6車両の外気取入口に仕掛けるものは LSDであり,これを使ってB6に交通事故を起こさせて殺害するのだと思った。」などと供 述する。
しかしながら,(4)(②,③)の事実のほか,①A37は,E12大学医学部を卒業した後同 学部付属病院研修医を務めていた経歴を有すること,②A37は,A14から,事前に飲ん でおくように言われて予防薬を渡され,また,A19やA14が中毒になった場合にはパム を注射するよう頼まれたこと,③A37は,本件行為後,B6車両に滴下した液体の気化し たガスを吸い込んだかもしれないと思い,A19やA14らと合流した際,自分にも注射を打 ってくださいと頼んだこと,④LSDを服用したときには,A19や被告人から,その蒸気を かいだらおかしくなるなどの注意もなかったし,両名ともマスクをしていたことはなかったこ と(以上,A37[151,156回],A14[169回])などの事実を総合して考えると,まず,A 37は,E12大学医学部を卒業した後同学部付属病院研修医を務めていたという経歴を 有していた者であり,しかも,実際にLSDを服用したときにはその蒸気をかいではいけな いなどの注意も受けていないのであるから,仮にB6車両にLSDが掛けられるものと認識 していたとすれば,A10から危険だからクラウンの窓を開けないように指示された際,B6 車両から相当程度離れたところにクラウンを駐車していたにもかかわらずなぜ危険である のか疑問に思ってしかるべきであるのにそうではなかったこと,また,A37は自らLSDを B6車両に掛ける役割を務めるわけではなく,自分の役割を終えた後は前記クラウンで待 機するだけであるのに,なぜ予防薬をしかも自分もA10も飲まなければならないのか疑 問を抱いてしかるべきであるのにそうではなかったこと,さらに,A37は,本件行為後,L SDの蒸気を吸い込んだかもしれないという程度で,なぜ治療用の注射を打ってほしいと A14らに頼んだのか疑問であること,そもそもA37は,B6車両の外気取入口にLSDを 滴下して車内に流入させ運転者を交通事故死させ得るものと理解したのか甚だ疑問で あることなどからすれば,A37が本件行為時においてB6車両にLSDを滴下するものと 認識していた旨のA37の前記公判供述は信用することができない。むしろ,平成6年3月 ころの被告人の説法において,教団が毒ガス攻撃を受けている話があり,その際,毒ガ スとしてサリンも挙げられ,また,その一環として,「教団は,アセチルコリンと呼ばれる体 内物質と反応し神経系の働きを完全に停止させ呼吸停止等により死に至らしめる毒ガス であるサリンやソマンと呼ばれる神経ガスの攻撃を受けているが,今,教団では,サリンや ソマンに対し,それを消す実験,すなわち,弱アルカリ性の水酸化カルシウム等の水溶液を空気中に噴霧してサリンやソマン等と反応させて無毒化する方法を実験している。」な どの説法もされ,A37もこれを聞いてそのように認識していると推認されること(A37[154 回],弁26等)などをも併せ考えると,A37は,被告人の指示を受け,強い殺傷力を持つ サリンをはじめとする化学兵器をB6車両に滴下し,これをB6弁護士に吸入させるなどし て同人を殺害する意思を持って,A38ら4人と共に本件行為に及んだことは明らかであ る。
(6) A38について検討すると,本件行為の実行担当者であるA38は,公判において, 「その液体によって,その車の持ち主の気分を悪くさせたり,ブレーキを効かなくさせたり して事故を起こさせるのかなと思った。その液体がどういう物質であるかは聞いていなか った。」などと供述する。
しかしながら,①A38は,被告人から,「ちょっと危険なワークだ。」「ある人物をポアしよ うと思う。」と言われたこと,②A38は,その当時,ポアの現実的な意味として殺すという意 味があることを知っていたこと,③A38は,A19及びA14からそのワークの手本を見せら れ,その練習をした際,液体を車に掛けるときには,顔を背けて息を止め,手や服に付か ないように気を付け,手や服に付いたらすぐ言うように注意を受けたことや,④A38は,本 件行為時までには,液体を掛ける車両の使用者が教団に敵対する人物であることを認識 したこと(A38[154,159回]),⑤前記のとおり,被告人により,平成6年3月ころには, 教団がサリン等の毒ガス攻撃を受けているなどの説法がされ,その一環として,サリン等 を無毒化する実験をしているなどの説法もされていたことなどを併せ考えると,A38は, 被告人の指示を受け,強い殺傷力を持つサリンをはじめとする神経ガスの液化したもの を指定された車両に滴下し,その車両を運転する者にそのガスを吸入させるなどして同 人を殺害する意思を持って,本件行為に及んだことは明らかである。
(7) 以上によれば,被告人は,青色サリン溶液中のサリンの強い殺傷力や本件行為の 現実的危険性を認識した上で,B6弁護士をそのサリンにより殺害しようと企て,A10,A 19,A14,A37及びA38の5名に対し,サリンによるB6弁護士の殺害を指示し,A10, A19,A14,A37及びA38の5名はいずれも被告人の指示内容を理解した上で,B6弁 護士を殺害する意思を持って,本件行為に及んだものであることを優に認めることができ る。
3(1) これに対し,弁護人は,サリンの生成過程や2回にわたるD3事件等に関与したA 6,A14,A19らは,教団で生成されたサリンについては,強い殺傷力はなく,致死性は ないものと認識するに至り,特に,A14は,教団生成のサリンは光学異性体であって一 般のサリンより効力は数千倍も低く,また,臭化ピリドスチグミンを過剰投与した場合は, サリンとの相乗効果により,サリンの効果としてではなく,臭化ピリドスチグミンの効果とし てサリンと同様の効果が生じるものとの認識を抱き,被告人は,A6やA14から,これらの 報告を受けており,被告人においても,教団生成のサリンの殺傷力は強いものではなく, 致死性はないとの認識を持っていた旨主張する。
(2) この点に関し,A14は,公判において,上記弁護人の主張と同旨の供述をし,「第2 次D3事件の際,メスチノンを飲んでサリンと類似の症状が出たということがあり,薬効から もそういうことが明らかなので,メスチノンの作用とサリンの作用が重なることはないのかと 思って,事件の直後に図書館で調べたところ,メスチノンはむしろサリンに対しては予防 効果がなくて害作用のほうが大きいという論文があったので,すぐに,A6や被告人に対 し,メスチノンはサリンに関して効果がなく,むしろ害になることを話した。そして,私は,こ のような調査の結果,1錠が臭化ピリドスチグミン60㎎の錠剤であるメスチノンを1錠を飲 むと過量投与となり,A7はその過量投与となるメスチノン1錠を飲んだ上で,サリンに被 ばくしたためにその症状がひどくなったのではないかと考えるに至った。」「平成6年1月 にA6らとロシアに行った際,A6がロシア科学アカデミーの関係者と会い,サリンには2種 類あり,化学式が同じでも光学異性体であると毒性が数千倍違い,毒性の非常に強いサ リンを選択的に造る方法もあるという話を聞いてきた。3回目のサリンを造るときにその方 法を採用しようという話は出たが,全く違う方法であり,既に従前の方法で造り始めていた ので,その新たな方法は採用しなかった。私は,ロシア訪問を経て,教団で造ったサリン は毒性の強いものと弱いものの混合物であり,その総体としては毒性の弱いものとの認 識を持った。」などと述べ,教団で造ったサリンの毒性は低く,殺傷力はそれほどないと思 っていた旨供述する。
(3) しかしながら,①A14は,被告人から強い殺傷力のあるサリンを生成するよう指示を 受けたものと認識した上でそのようなサリンを生成しようと努めていたのであるから,3回目 にサリンを造る際に,それまで教団で造ってきたサリンの殺傷力に疑問を持っていたなら ば,たとえ既に従前の方法でサリンの生成に着手していても,関係者に相談するなどして 毒性の非常に強いサリンを選択的に造る方法を採用し,あるいは,従前の方法とは違う方法で生成することを検討するなどして毒性の高い,強い殺傷力を持つサリンを造るよう に努めてしかるべきであるのに,そのようなことをすることなく,従前の方法によりサリンの 生成を続けていること,②A14は,青色サリン溶液中のサリンの殺傷力が強いことを認識 しているからこそ,前記の2(2)(⑤ないし⑬)のとおり,本件行為の前後において,周到か つ入念にサリン中毒の予防又は治療等の種々の行為に及んだものと考えるのが自然で あること,③A14は,サリン中毒の予防薬としてメスチノンを準備し,本件行為前にA38ら 5名に1人当たりメスチノン1錠分を渡して服用させたものである(A38にはメスチノン1錠 を半分に割って半錠分を渡したとのA14の公判供述は,A38の反対趣旨の供述等によ りもとより信用することができない。)が,少なくとも第2次D3事件の直後において,臭化ピ リドスチグミン60㎎を含有するメスチノン1錠はサリン中毒の予防としては過量であると認 識したのであるならば,各自にメスチノンを1錠ずつ服用させることは考えられず,むし ろ,各自にメスチノン1錠を服用させていることは,A14が臭化ピリドスチグミンの過量投 与について全く認識していなかったことを物語っていること,④A14は,捜査段階におい ては,メスチノン1錠がサリン中毒の予防としては過量であり,過量のメスチノンとサリンの 相乗作用によりA7の症状が重くなったこと,第2次D3事件の直後,図書館で調べた結 果,そのようなことが分かり,その旨をA6や被告人に伝えたこと,サリンには2種類あり, 光学異性体であると毒性が数千倍違うことをロシア訪問で知ったこと,以上のことから,教 団で造ったサリンの毒性は弱く,殺傷力がそれほどないとの認識に至ったことなどを供述 してはおらず,むしろ,A14が教団で造ったサリンに強い殺傷力があること及びそのこと をD3事件等により認識したことや,A14にメスチノン1錠が過量であるとの認識がなかっ たことなどを前提に,平成7年6月5日付け検察官調書(A甲12081)では「地下鉄サリン 事件の際に,A19から予防薬を5錠くれと言われ,私は,サリン中毒の予防薬としても使 えるメスチノン5錠(正式名称臭化ピリドスチグミン)を渡した。これは,両面をアルミ箔でパ ッケージしてある薬で,この予防薬の容量は1人1錠で,事前に飲んでおくものなので, 地下鉄でサリンをまく実行グループは5人なのだろうと思った。」旨,同年7月28日付け検 察官調書(L甲99)では「第2次D3事件のとき,A7は本当に生命が危ない状況で,A7 はこのとき予防薬を飲んでいたが,もしメスチノンを飲んでいなかったら死んでいたと思 う。」「噴霧後,A6がそのまま防毒マスクを着けていたので何ともなかったのに対し,A7 は,途中でマスクを外してしまったためにサリン中毒になったようだった。」旨,同年8月6 日付け検察官調書(D甲805)では「松本サリン事件では,A39とA22に対し,噴霧した ガスは非常に危険なガスであり,吸ったら死ぬ可能性があると言って注意した。」「12リット ルもの大量のサリンを噴霧すれば,大勢の人が死亡したり負傷したりすることも,これまた 十分過ぎるほど分かっていた。」旨,同日付け(D甲805)及び同月7日付け(D甲806)各 検察官調書では「松本サリン事件の際にはあらかじめ全員がメスチノンを1錠ずつ飲ん だ。」旨,同日付け検察官調書(D甲807)では「サリンの毒性の持続期間については実 際のところよく分からず,これについて他の者と話し合ったこともなかった。私の読んだ文 献にはほとんど記載されていなかった。だから,私の認識としては,長期間保管した場 合,多少サリンの毒性が弱まることがあったとしても,噴霧して人を殺すことは十分できる だろうという程度のものだった。」旨,平成8年3月5日付け検察官調書(L甲103)では「A 38にサリンの代わりに水を使って車に掛ける練習をさせたのは,所定の場所にサリンを 掛けさせるためと,非常に危険な物質であるサリンをA38が吸い込まないようにするため であった。」「実行役でないA10やA37にメスチノンを飲ませたのは,第2次D3事件のと きに,A7がサリンを吸って死にかかったことがあったので,怖かったというのが一番の理 由だった。」旨をそれぞれ供述しており,後記のとおり,これらの供述の信用性が高いこと や,A14が公判でこのような供述を変遷させたことについて合理的な説明をし得ていな いことなどに照らすと,前記(2)のA14の公判供述は信用することができない。
(4) なお,弁護人は,A14の上記のものを含む検察官調書5通(L甲99ないし103)に 関し,A14は,既にB2事件,地下鉄サリン事件,松本サリン事件でも起訴されているし, 逮捕された直後から,死刑になって責任をとるしかないと思っていたので調書の内容に ついてはどうでもいいという心境であり,検察官がそのような調書を作りたいと望んでいた ので,検察官に妥協し,検察官の言うままに調書に署名指印したとして,A14の同旨の 公判供述を援用した上,A14の同検察官調書における供述は信用することができない 旨を主張する。
しかしながら,A14は,平成7年5月18日地下鉄サリン事件で逮捕され,事件について は黙秘していたが,同月24日,弁護人と接見し,同月25日,事件について話すことを決 意し,その心境について,同月26日,陳述書(L甲98)に「私は今回のサリンに関する事 件に関与していた事実を認めます。私がこの事実を認める気持ちになったのは,何も知 らないで,作業に従事した同僚や後輩のためです。そして,また,事件に全く関与することのなかった大部分の法友のためです。A6氏が,死去された今,私が弁護し,真実を明 らかにしてやるべき者も数多く存在することと考えます。彼らのため,私は自らの責任を明 確にし,罪なき者が苦しむことのなきよう,真実をお話しする所存です。」としたためて,事 実関係を述べ始め,同年6月3日,同月5日及び同月6日にそれぞれ検察官調書(A甲1 2080ないし12082)が作成され,特にその同月3日付け検察官調書においては,「最初 に,今回の地下鉄サリン事件のような大量殺人・殺人未遂に私が関与した動機について 話をする。別の機会に詳しく話をしようと思っているが,私は,これまでに,B2弁護士一 家失踪事件,松本サリン事件,B22さん拉致事件等の多くの事件に関与し,多くの人を 殺してきた。」との記載がされていること,A14は,その後,他の事件についても事実関係 を認め,少なくとも,同年7月28日から同年8月7日までの間に松本サリン事件について5 通(D甲802ないし806,ただし,最初の2通は,D3事件及び青色サリン溶液生成に関 するものでL甲99,100と同じもの。),同月24日から同月30日までの間にB22事件に ついて7通(J甲161ないし167),同年9月26日から同年10月3日までの間にB2弁護士 一家殺害事件について4通(G甲161ないし164),平成8年2月29日から同年3月5日ま での間に3通(L甲101ないし103)の検察官調書がそれぞれ作成されたこと(A14[193 回]等)に照らすと,A14は,何も知らないで地下鉄サリン事件に関連する作業に従事し た教団信者らのために,罪のない者が苦しむことのないように,真実を明らかにして自ら の責任を明確にしようとして,地下鉄サリン事件について事実関係を供述し,引き続き,B 6サリン事件を含め他の事件についてもできる限り真実を明らかにしようと努め,供述して きたものと認められる。
そして,他方で,A14は,B6サリン事件においては,検察官調書の中で,「B6弁護士を 殺す理由について,被告人の指示の時点ではっきりとは分からなかった。」「被告人のB6 弁護士を殺害する指示のときに,ポアという言葉を使ったかどうか記憶がはっきりしな い。」などと供述しているほか,本件行為後A10らとの合流場所でA38の瞳孔を見て, 「縮んでいるな。」と言ったのではないかとの検察官の問いに対し,「私は,そのように言っ た記憶はない。」旨,A38が息苦しさを訴えたので2回目のパムを注射したのではないか との検察官の問いに対し,「私の記憶では,A38が息苦しさを訴えたようなことはなかった と思う。」旨,A38は容器の中の液体が何らかの危険な物質であることは十分に分かった のではないかとの検察官の問いに対し,「それは,A38の認識の問題なので,A38に聞 いてほしい。」旨それぞれ答えるなど,その供述内容は,検察官が作りたいと望んでいる 調書に検察官の言うままに署名指印した者あるいは,調書の内容についてはどうでもい いという心境の持ち主が供述したものとは到底考えられない。
また,A14は,前記の最初の検察官調書(A甲12080)では,「私は,一般社会で生き ていけない私を今日まで導いてくださったという意味で,今でもA2尊師に救われたと思 っている。」と供述しており,その捜査段階における供述の経緯,内容や公判での供述内 容,態度等に照らしても,A14が格別被告人との関係で被告人に不利益なうその供述を しているものとは考えられない。
なお,弁護人は,A14の公判供述が事実であるとの前提に立ったとしてもA14が他に 関与した事件のことを考慮すると,A14の刑事責任が軽減されるとは思われず,そのこと はA14も自覚している旨を主張する。しかしながら,A14の他の事件での供述内容や,B 6サリン事件で使用した青色サリン溶液が松本サリン事件でも使用されているものである ことなどを併せ考えると,A14が,青色サリン溶液中のサリンの致死性又はこれに対する 認識を否認したのは,A14を含め,サリンに関連する一連の犯行に関与した教団信者ら の刑責を軽減する意図に出たものとみるのが自然である。
以上のとおりであるから,B6サリン事件に関係するA14の前記検察官調書(L甲99な いし103)におけるA14の供述はその全部を信用することができるわけではないものの, 前記(3)④記載の供述をはじめ自己に不利益な供述部分の信用性は高いというべきであ る。
(5) したがって,被告人がA14らから教団生成のサリンの殺傷力が強いものではなく致 死性はない旨の報告を受けてそのような認識を有していた旨の弁護人の前記(1)の主張 は採用することができない。
4 また,弁護人は,被告人は,教団信者の脱会について執着はなく,B6弁護士が脱 会にかかわっているにしても同弁護士に対して殺意を抱くほどの反感は持っていない し,B6弁護士の空中浮揚写真を見せられたとしても修行とは無縁な者の写真は単なるま ねごとにすぎないから,このような写真で被告人がB6弁護士に対して殺意を抱くとは考 えられないことなどを理由として,被告人には,B6弁護士を殺害する動機が全くない旨を 主張する。
しかしながら,前記犯行に至る経緯のとおり,当時,被告人は,オウム国家の建設に向け武装化計画の一環として大量の出家信者の獲得を目指していたものであり,そのよう な時期に,教団信者獲得の有力な手段の一つであったいわゆる被告人の空中浮揚の写 真を真似たB6弁護士自らの空中浮揚の写真を利用し教団の実態等を明らかにするなど して教団信者に対する出家阻止,脱会のためのカウンセリング活動を活発化させている B6弁護士をそのまま放置することができないと考え,同弁護士の殺害を決意するに至っ たものであり,その動機形成の経緯は,B2事件やB5VX事件の場合と同様に十分了解 可能である。A14は,検察官調書(L甲101)で,B6弁護士は教団と対立関係にある弁 護士で悪業を積んでおり,教団の活動の妨げになるので何とかしなければならないと被 告人が考えているという認識を持ったので,B6弁護士殺害の指示の直前に,被告人とA 10との間で,これに近い話が出ていたのではないかと思う旨供述しているが,A14自身 がB6弁護士に関する被告人の心情について上記のような認識を持っていること自体,前 記認定に係る動機の存在を物語っている。
したがって,弁護人の上記主張は採用することができない。
5 さらに,弁護人は,被告人は,グルが弟子に対しその指示どおりの成果が出ないこと を承知の上で無理難題とも思われるような課題を与え実行させるという修行であるマハー ムドラーの一環として,A19らに対し,本件行為を指示したにすぎない旨を主張する。
しかしながら,被告人は,前記のとおり,教団信者に対する出家阻止,脱会のためのカ ウンセリング活動を活発化させているB6弁護士をこのまま放置することはできないと考え てその殺害を積極的に意欲し,強い殺傷力を持つサリンをB6車両に滴下して気化発散 したサリンを吸入させ,人の死という結果を発生させる現実的危険性を有する本件行為を A19やA14らに指示したものであり,その指示を受けたA19やA14らにおいても,本件 行為がそのような現実的危険性を有するものであることを認識しながら,本件行為に及ん だものである。したがって,被告人が,その指示どおりの成果が出ないことを承知の上 で,マハームドラーの一環として,A19らに対し,本件行為を指示したものといえないこと は明らかであって,弁護人の上記主張は採用することができない。
6 以上のとおりであるから,被告人にB6弁護士に対する殺意及び同弁護士を殺害す る旨の共謀がないとの弁護人の主張2は採用することができない。
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