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エジプトのマカリオス50の霊的説教/説教35

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エジプトのマカリオス50の霊的説教

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説教35

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<< 古い安息日と新しい安息日について。>>


1. モーセによって与えられた律法の影において、神はすべての人に安息日に休み、何もしないように命じました。これは、主が魂に与えられた真の安息日の型であり影でした。卑劣で汚れた思いから解放された魂は、真の安息日を守り、真の休息を享受し、闇の業に関しては怠惰でゆったりとした時間を過ごします。典型的な安息日においては、肉体的には休息していたものの、魂は邪悪と罪に縛られていました。これこそ真の安息日であり、魂は怠惰で、サタンの誘惑から清められ、主の永​​遠の休息と喜びの中で休息します。


2. 当時、主は、分別のない動物でさえ安息日に休むように、牛に無理やりくびきわせてはならず、ロバに荷を負わせてもいけないと命じられました。動物もまた重労働を休むべきだったからです。同じように、主が来て真の永遠の安息日を与えたとき、汚れた想像の不義の重荷を負い、厳しい主人に束縛されて不義の業にやむを得ず働いている魂に休息を与えました。そして、むなしく汚れた想像という、耐え難い重荷を軽くし、不義の業という軛、苦い軛を取り去り、汚れた想像に疲れた魂を元気づけてくださった。


3. 主は人々に休息を招き、「労苦し、重荷を負う者よ、来なさい。あなたがたを休ませよう」と言われます。従順で主に近づくすべての魂は、重苦しく、煩わしく、汚れた思いから休まされます。彼らはすべての罪悪から怠惰になり、真実で、至福の、聖なる安息日を守り、聖霊の祭り、言い尽くせない喜びと楽しみの祭りを祝います。そして、清い心から、神に喜ばれる清い奉仕をします。これこそ真実で聖なる安息日です。ですから、私たちもこの休息に入り、卑しい、邪悪な、むなしい思いから怠惰になり、清い心から神に仕え、聖霊の祭りを祝うことができるように、神に祈り求めましょう。この休息に入る者は幸いです。御心のままに生きる父と子と聖霊に、永遠に栄光がありますように。アーメン。


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