エジプトのマカリオス50の霊的説教/説教23
エジプトのマカリオス50の霊的説教
————————————
説教23
[編集]<< 王家の血統から生まれた者だけが高価な王家の真珠を身につけることができるように、神の子だけが天国の真珠を身につけることが許されている。>>
1. 王冠となる、大きくて高価な王家の真珠は、王にのみふさわしく、王だけがそれをかぶることができます。他の人はそのような真珠をかぶることは許されていません。ですから、人は、神の王なる霊によって生まれ、天の王族、神の子どもとされなければ、聖書に書いてあるとおり、「しかし、彼を受け入れた人々には、神の子どもとなる力を与えた」、その人は、言い表すことのできない光の像である、高価な天の真珠をかぶることはできません。その光は主であり、王の子ではありません。真珠を持ち、かぶる人は、キリストとともに永遠に生き、支配するからです。使徒はこう言いました。「私たちは、地上の像をかぶったように、天の像もかぶるのです。」
2. 馬は、野生動物のいる低木の中で草を食んでいる間は、人間に服従することはない。しかし、調教のために捕らえられた馬は、正しく整然と歩くことを学ぶまで、重い手綱をつけられ、それから、戦争に使えるようになるまで、熟練した騎手によって訓練される。それから、鎧、胸当て、鎖帷子を着せられ、まず手綱をかけて馬の目の前で振られる。馬がそれに慣れて、恐れを抱かないようにするためである。このように騎手から教えられると、馬は敵と戦うことを学ぶ。騎手も胸当てもなければ、馬は戦争には役に立たない。しかし、訓練されて戦争に慣れると、戦いの匂いを嗅ぎ、その音を聞くと、すぐに自ら敵に突撃し、その音は敵に恐怖を与えるのに十分である。同様に、魂は、罪を犯して以来、野蛮で服従しておらず、邪悪の霊である野獣とともに、罪の中で奉仕を拒みながら、この世の荒野をさまよっています。しかし、神の言葉を聞いて信じると、御霊によって制御され、その野蛮な生き方と肉の思いを捨て去り、乗り手であるキリストに導かれます。それから、魂は苦悩と調教と困難に陥りますが、それはそれが試されるためであり、徐々に御霊によって服従させられ、魂の中の罪が徐々に減少し、消えて行きます。このように、魂は、正義の胸当て、救いのかぶと、信仰の盾、御霊の剣を身に着け、敵と戦うことを教えられます。このように、主の御霊によって武装して、悪の霊と戦い、邪悪な者の放つ火の矢を消す。御霊の武具がなければ、戦いに加わることはないが、主の武具を持っているときは、激しい戦いを聞いてそれを認識すると、ヨブ記にあるように、叫び声をあげて進み出る。なぜなら、その祈りが聞こえるだけで、敵はひれ伏すからである。このように、御霊によって戦いに戦い、勝利したので、勇敢に勝利の冠を獲得し、こうして天の王とともに安息を得る。その王に、永遠に栄光と力がありますように。アーメン。
この文書は翻訳文であり、原文から独立した著作物としての地位を有します。翻訳文のためのライセンスは、この版のみに適用されます。 | |
原文: |
![]() この著作物は、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。 この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。 |
---|---|
翻訳文: |
![]() 原文の著作権・ライセンスは別添タグの通りですが、訳文はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスのもとで利用できます。追加の条件が適用される場合があります。詳細については利用規約を参照してください。 |