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ふち河の記

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ふち河の記

後成恩寺關白兼良公


胡蝶の夢の中に百年の樂を貪り。蝸牛の角のうへに二國の諍を論ず。よしといひあしといひ。たゞかりそめの事ぞかし。とにつけかくにつけて。ひとつ心をなやますこそをろかなれ。應仁のはじめ世の亂しより此かた。花の都の故鄕をばあらぬ空の月日のゆきめぐる思ひをなし。ならのはの名におふやどりにしても。六かへりの春秋ををくりむかへつゝ。うきふししげきくれ竹のはしになりぬる身をうれへ。こひぢにおふるあやめ草のねをのみそふる比にもなりぬれば。山の東みのの國に。むさしののくさのゆかりをかこつべきゆへあるのみならず。高砂の松のしる人なきにしもあらざれば。さみだれかみのかきくもらぬさきにと。みのしろ衣思ひたつ事ありけり。この月はよろづにいむなる物をといふ人ありけれど人の事はしらず我身にとりては。この七日にむまれたれば。かへりてよき月と思ひ侍る物をと有しかば。きく人ことはりとやおもひけむ。さるほどに二日のあけがたに。ならの京を立て。般若寺さかをこえ。梅谷などいひて。人はなれこころすごき所々をへて。かものわたりをすぎ。三日の原といふ所に輿をとゞめて思ひつゞけ侍り。

 かそふれはあすは五月のみかの原けふまつならの都出つゝ

泉川を舟にてわたりて。

 渡し舟棹さす道に泉川けふより旅の衣かせ山

これよりして。新關共を世のみだれにことよせておもふさまにたてをきつゝ。旅行のさはりと成にけり。仁木などいへる領主のかたがたをこしらへて。事ゆへなくはとをり侍れど。心ぐるしき事のみありけり。

 さもこそはうき世の旅にさすらはめ道妨のせきなとゝめそ

伊賀の國あさ宮といふ所にいたりぬれば日もをやうくれがたになり。雨そぼふりて前路もとけがたく行かゝりてやどりもなくば中々あしかりぬべしと人々申侍れば。そのあたりに小家のあるをかりて一夜をあかし侍りぬ。

 行暮て雨は降きぬ朝宮をあさたつまての宿やからまし

三日。あさみやをたちて。野じり。とひかは。くらほねなど。きゝもならはぬ木こり草かりならではかよはぬ所々を過て。道のゆくてに石山寺にまうでて。大悲者を禮し奉る。

 さはきたつ世にも動かぬ石山はけにあひかたき誓ひ也けり

濱の關とかやは靑蓮院の座主に申てとをり侍りぬ。松本をすぎ大津にいたりて。過こしかたをかへりみて。俳諧の躰をおもひつゞけ侍り。

 くらほねは早く過てき荷かけ駄を大津の里にしはし休まむ

かくてその夜は坂本の宿にとまりぬ。七のやしろはそなたとばかりおがみ奉りて。

 老か身もこえむ千とせの坂もとに杖とそ賴む七の神かき

四日。坂本を出て。舟にのるとて。

 さゝ浪やけふを日よしの船出せむをひ風をくれから崎の松

されども順風なければ。ひねもす艫ををしてゆく。堅田の浦に船をよせて。

 こし方は堅田の浦にほす網のめにかゝりつる山のはもなし

山あひを過る時。あらしはげしければ。かた帆にかぜをうけてはしらしむ。時の程に三四里ばかり過ぬといふをきゝて。

 舟人の心つかひはみえてけりまほもかたほもかせに任て

よるの四時にはつさかといふ里に舟をよせて。しばらく休息す。そイれより夜舟をいだして。五日のほのにあさ妻につきぬ。

 ほのとあさ妻に社つきにけれまた夜を罩て舟出せし路

さめが井といふ所。淸水いはねよりながる。一すぢは上より。一すぢは下よりながれて。末にてひとつにながれあふ。まことやらむ。みのの養老の瀧につゞきたりといへり。しばらくここにすゞみて。

 夏の日もむすへはうすき氷にて暑さややかてさめか井の水

 岩かねを別れて出るさめかゐの流れや終にあふみちの末

かしは原にて。

 吹風やまたこぬ秋を柏原はひろかしたの名にはかくれす

たけくらべといふは。あふみとみのとの山を左右に見て行所なり。

 右ひたりみて過行はあふみちの二の山そたけくらへする

伊增たうげといふはみののさかひにて堅城とみえたり。一夫關にあたれば萬夫すきがたき所といふべし。

 此山に神やいますと手向せむ紅葉のぬさはとりあへすとも

鶯の瀧といふ所を。

 夏きてはなくねをきかぬ鶯の瀧のみなはや流れあふ覽

藤川のはしのけたのおちたるをみて。

 たつなはやいくとしなみを渡れはかなかは絕ぬる藤河の橋

 思へ君おなしなかれのたえすして萬代ちきるせきの藤かは

くろぢのはしといふ所を。

 白浪はきしの岩ねにかゝれともくろちの橋の名こそ變らね

野上の茶やにこしをたてて又ざれうたを。

 旅人にめさまし草をすゝめすは野上の里にひるねをやせん

むかしきよみはらの天皇東宮の位を辭し。出家して吉野山にいられしかども。なをゆるしなくて大友の皇子にをそはれ給ひしとき。ひそかに山をのがれ出て。伊賀伊勢の國をへて。みのの野上に行宮をたてられし事は。日本紀などにしるし侍れど。事遠き事なれば。宫の舊跡などたしかにしる人は有がたかるべし。いまは草かりわらはのあさゆふふみかよふみちとなりにたるをみ侍りて。

 あけまきは野上の草をかり宮の跡ともいはす分つゝそ行

山中といふ所を過て。

 ほとゝきすをのかさ月の山中におほつかなくも音を忍ふ哉

不破の關屋をみ侍るに。なにとなくむかしおぼえて物あはれなり。中御門攝政のあれにし後はたゝ秋の風とよみ給し事など思ひあはせられて。

 あれはつるふはの關やのいた庇久しくも名をとゝめける哉

關屋の中にちいさきほこらのあるを里人に尋ね侍れば。これなむきよみはらをいはひ奉るといふ。まことやかの御代にいくさをふせがんとてたてられし事なれど。今は關のやうにもあらぬをみ侍りて。

 淸み原遠きまほりの名をとめは關の固めはさもあらはあれ

五日のさるの時計にたる井のしゆくにつく。けふは南宮の祭とて。見物のともがら物さはがしくたちさまよひけり。風流の山かたイなどありとかや。むかしのごとくならば。此所に遊女などあるベきにや。杜牧が珠簾十里楊州路といへる事をおもひなずらへ侍りて。

 あさはかに心なかけそ玉簾たる井の水に袖もぬれなん

又軒にあやめをふきわたすこと都にもかはらざりければ。

 我宿の妻にはあらぬあやめ草今夜かりねにかたしきの床

六日の早朝たる井をたちぬ。みちすがらの名所どもおほくはわすれ侍り。あをのが原を過侍れば。むかしものゝふのありしが。うちじにしたる所とかやいへり。

 分行は四方の草木の色も猶あをのか原の夏の一ころ

あかさかをこゆとて。

 たゝかひの昔の庭もには鳥のあかさか越て思ひ出つゝ

くゐせ川といふ所を舟にてわたりて。

 渡し守ゆきゝにまもるくゐせ川月の兎もよるや待らん

江口といふは攝津國にある同名也。されど遊女などはなくて。夜になれば鵜飼のくだると云をきゝて。

 うかひ舟よるとイ契れは是も又おなしいへはイ江口のあそひ也けり

七つ打ほどに鏡嶋の小庵につく。院主かたらく。此ほどの庵はさはる事ありてこの二日ここにうつり侍り。こゝをば長寧院といふ僧の所をかれるとなむ。むらさきのゆかりともすだく所なれば。よろづにまづ心やすし。

七日。かはでの持是院にかくくたりたるよしをつぐ。三位の大僧都妙椿すなはちきたりて。思ひよらざるよしをいふ。さらばあすよりは正法寺に休所をかまふべきよしをしめす。旅のつかれなどねむ比に下知をくはふ。くだくだしければもらしつ。八日正法寺にうつる。此寺は禪刹の諸山也。由良門徒にて。山號をば靈藥山といへり。國中最初の禪林なり。かたはらに新造の一寮あるを休所にかまへてうつりすましむ。朝夕のまうけなどくだしければしるすにをよばず。さりながら鳳のあぶり物麟のほししのなきばかりにや有けむ。

九日。歌の披講あり。

十日。連歌百韻あり。

十一日。正法寺のむかひに城をつき池をふかくして軍壘のかまへをなせり。すなはち舟をうかべてほりのうちにいたる。僧都つねに居庵あり。山居のすまゐをまなび後園などあり。持佛堂は淨土の三昧をもとゝよほイせるとみえたり。名作の本尊どもおほし。此たび庵號をもとめしかば。法城と云二字をかきつかはし侍り。齋藤新四郞利國は僧都の姪ながら猶子にせり。その人の館に行てみ侍れば。いづくもかきはらひて。武具どもとりならベ。なに事もあらばすなはち打立べき用意也。さりながら又風月歌舞の道をもすてざると見えたり。此所にして酒宴の興をもよほす。美伊法しといふ土岐美濃守源成賴の息男生年九歲なり。回雪の袖をひるがへす。むまれながらにして天骨を得たり。むかし長保の比。東三條女院の御賀の試樂に。御堂關白の長男〈宇治關白也。〉十歲のわらはにて陵王をまひ。次男〈堀川右大臣也。〉九歲にて納蘇利を舞し事思ひ出され侍り。古の舞と今の舞とは手づかひあしふみなどかはるベけれども。少年の人その骨をえて人を感歎せしむる事は。異曲同工といふべきにや。

十二日。猿樂あり。彥松イといふ猿樂也。一場はてて後。美伊法師又舞臺にして袖をかへす。猿樂にははるかにまされるよし人皆感じけり。僧都も興に入。ことはりと覺えたり。

十三日。正法寺にて短册の評あり。詩の題は龍瓦硯也。この硯は東坡が詩集にみえたるにや。さる硯のありしゆへなり。抑作文の事久しく筆をさしをきてあとかたもなく韻聲などもわすれはてぬれど。僧都しきりにすゝめ侍れば。廿八字をやうかきつらねたるばかりなり。又方丈の前に二株の松をうへて。みたび鋤をくだす事有き。追述一偈云。

  鷲峯正法遍塵々   靈藥毒人還活

  五祖山中誰作主   栽松道者是前身

十四日。かゞみしまへかへる。たま下向の次。國中の名所舊跡をも歷覽したくは侍れど。此十一日に細川右京大夫勝元朝臣卒去の聞え有。東軍の棟梁かくのごとくなれば。此きざみに國ざかひまた蜂起することもやあらむ。しからば通路思ふやうなるまじきうたがひあるによりて。後會期遙といへども前路ほどとをかるベければ。いそぎ僧都にこのをもむきをしめして。馬にむちうつものならし。

十五日。ことなることなし。

十六日。竹の內の僧正のあくたみの庄を一見すべきよししめす。よて江口より舟にのりて。二里ばかり川づたひにさかのぼる。因幡山のふもとをすぐる路なり。此山は奧州より金の化來せるよし。因幡社の緣起に有とかや。

 峯に生る松とはしるやいなは山こかね花さく御代の榮を

 さなへとる麓の小田に急くなりそよくいなはの峯の秋かせ

けふは小雨そゝぎて風いさゝかふく。日入てかしこにいたる。ふねの中の窮屈たへず。すなはち偃臥す。前後をしらず天明に及す。あくる僧正申侍イけるは。昨日は涯分奔走いたし。谷の底までほりもとめしかひもなく。つゐにおどろかでとありしかば。睡眠のきざしゝに。やがて枕をかたむけし心よさは。邯鄲遊仙のたのしびもかくこそと覺し也。それにまさるほどのもてなしは。こゝろにくゝもおぼえぬとてわらひ侍りき。

十七曰。又かゞみしまへかへる。月出ぬほど江口にいでて鵜飼をみる。六艘のふねにかゞりをさしてのぼる。又一艘をまうけてそれにのりて見物す。おほよそ此川ののぼりくだり。やみになれば獵舟數をしらぬといふをきゝて。

 ゆふ暗に八十とものおの篝さしのほる鵜舟は數もしられす

鵜の魚をとるすがた。鵜飼の手繩をあつかふ躰などけふはじめてみ侍れば。ことのはにものベがたく。あはれともおぼえ。又興を催すものなり。

 鵜飼人くるや手繩の短夜もむすほゝれなはとくはあけしを

すなはち鵜のはきたる鮎をかゞり火にやきて賞翫す。これをかゞりやきといひならはしたるとなん。

 とりあへぬ夜川のあゆの篝燒めつらともみつ哀ともみつ

十八九日。ことなることなし。僧都しば來る。

廿日。歸南せんとす。けふすなはち鏡嶋をたちて。もとの路をへてたる井にいたる。民安寺といふ律院にとまる。獻餉などは僧都の被官人たかやのなにがしにおほせつけてねむごろなる事どもあり。くだしければもらしつ。まことや文和の比。後光嚴天子。南軍のイおそれましまして小嶋に行幸のありし次に。此寺にもわたらせ給けるとなむ。行宮のいしずゑなど今にあり。そのとき身づからうへさせ給へる松の老木となりてあるをみて。

 世におほふ君か御かけにたくふらし民やすかれと植し若松

あふはかといふはたる井よりこなたなり。名寄に靑墓里といへるこの事にや。

 契あれは此里人にあふはかのはかなからすは又もきてみむ

美江寺といふはかゞみしまより五十町ばかりをへだてたるといへり。本尊は十一面觀音計。帳などの中にもましまさず。うちあらはれて人におがまれさせ給ふ。利生をかうぶるものおほしとなむ。徃來のたよりに二度まうでて禮拜をいたす。えんぎなどくはしくたづぬるにいとまあらず。

 たのもしな佛は人にみえ寺のとはりをたれぬ誓おもへは

廿一日。たる井をたちての道すがらの名所おろおろさきにしるしをはりぬ。いぶきの明神の鳥井は北にあり。南宮の鳥ゐは南にあり。をのをのそのまへをすぐ。

 又こむといふきの山の神ならはさしも契りし事な忘れそ

 名も高き南の宮のちかひとて山のひかしの道そたゝしき

みのの國の歌枕の名所。その所はいづくともしらねども。こゝろにうかぶ事どもを筆のつゐでにかきあつめ侍るべし。

 まれにきてみののお山の松のうれの嬉しさみにも天のは衣

 あま衣みのの中山こえ行はふもとにみゆる笠ぬひの里

 いのるそよおさまる(マヽ)世をまつことはみののお山の一つ心に

 時鳥ね覺の里にやとらすはいかてか聞む夜半の一こゑ

 はゝきゝの梢有ともみえなくにたれをも山となつけ初けん

 明くれはしけきうきみのわさみのに猶分まよふ夏草の露

 五月雨のもみちを染る例あらは舟木の山のいかにこかれん

 七夕の逢せは遠きかさゝきのおふさのはしをまつや渡らむ

 東路のうるまのし水名をかへはしらしな旅にたつの市人

 鳰鳥のすのまた川に月すめはあらはれわたる浪の下道

 わかえつゝ見るよしも哉瀧の水老を養ふ名になかれなは

 席田を織物ならはしき浪やいつぬき川のたてとならまし

 いく千歲かきらぬ御代は席田のつるの齡もしかしとそ思ふ

 盧かきのまちかき跡を尋ても小嶋の里にみゆきやはせぬ

 世の人のあたを結ふの神なりといのらは心とけさらめやは

近江の國に番馬といふ所より路をかへて南へ行。番馬を物の名にとりなして。

 わくるののまた末遠きくさはには日影の駒よ暫しとゝまれ

すりはり峠を南へくたるとて右にかへりみれば。筑夫嶋などかすかにみえて。遠望まなこをこらす。ふもとには神田といふ所の一つなき田などみゆ。又左のかたにはそびえたる岩に松一木ある。その下に石塔あり。西行法師がつかといひつたへたるとなん。

  南行數里下陽坡   西望平湖遠不

  孤嶋屹然何所似   琉璃萬頃一靑螺

 旅衣ほころひぬれやすり針の峠にきてもぬふ人のなき

西行が歌に。ねかはくは花のもとにて春しなむそのきさらきのもち月の比とよめることをおもひ出て。

 いかにして松の蔭には宿るらん花のもとゝかいひし言のは

かねてはかのむらにとまるベしとさだめしかども。とかくして日もくれがたになりぬれば。小野といふ所まで行て。その夜はさる小庵に一宿しぬ。今春大夫來逢て。一聲を出して羇愁をなぐさめ侍り。

 枕ゆふをのゝをさゝの短かよも旅にしあれは明しかねつゝ

廿二日。小野をたちて。たがといふ所をすぐ。やしろあり。

 ふりはてゝ神さひにけりたかの宮誰世にかくは祝ひ初けん

四十九院を物の名にあらはす。

 かり人は山にしゝふくいむ事もしらぬ爲には我そ音をなく

 亂れ行世にあふみちのおのかしゝうくいむへきは此身也鳬

たがみやかはらは水のあとばかりなり。

 過行はたかみやかはら水もなしことしはをそき五月雨の比

えち河をすぐとて。

 えち川のさてさす瀨々に行水の哀もしらぬ袖もぬれけり

觀音寺といふ山寺をみやりて。この名は諸國にあるにや。いさゝか聖廟の御詩を思ひ出て。

 あふみちも心つくしの旅なれやたゝ鐘を聞古寺の前

おいそのもりにて。

 我袖よ駒もすさめぬたくひにておいその杜の雫をそしる

 われこそは老その杜の郭公をのかさかりの聲なおしみそ

其日は武佐といふ所にやどる。

 ものゝふのゆかけはたてそ靡くなるむへ社むさの名は殘けれ

廿三日。猶むさにとうりうす。うちをくりの事。 法印僧都イかたより伊庭に申つけ侍るが。三里ばかりをへだてたる所へつかひにいでて留守なりければ。伊庭かたへつかひの行かへるあいだ。時刻うつるによりて也。その日は雨ふり風はげしくて。はにふの小屋のかりふし。ならはぬ旅のものうさ。いはずともしるベし。

  南來北望漢宮天   一夜江邊聽雨眠

  白髮更添新白髮   靑毽不是舊靑毽

廿四日。伊庭かたより兵士きたる。その日も雨風やまず。水口をすぐとて。

 雨ふれは小田の水口せきもあへすすたく蛙の聲そあらそふ

からうじて五十町ばかり行て。新宮の馬場にいたる。禪侶の庵をかりて宿す。新宮は山王にてましますとかや。所のこほり司などきたりて警固をいたす。終夜雨風はなはだし。

廿五日。馬場をたつとて庵室にかきをく。

  憶得三生石上緣   一庵風雨夜無

  今朝更下山前路   老樹雲深哭杜鵑

 契りあらは又あふみちのかり枕結やすてん一夜はかりに

かねては水口より伊賀のはとりにつくベき支度なれど。洪水に路とをる事やすからず。おなじ國のうち玉瀧寺といふ律院にとまる。本尊は藥師如來にてましますといへり。

 なかめはや玉瀧寺の空はれて瑠璃の光にうつる朝日を

廿六日。けふは日のけしきなをれり。玉瀧をたちてかは井といふ所をとをる。ひとつはしあり。高松宮は右のかたにありてみやる。牛頭天王にてましますとかや。

 渡りえぬうき世の波におほゝれてかはゐの橋をふむそ危き

 ゆふかけて猶こそきかめほとゝきす手向の聲の高松のみや

北川といふ川はた水落す。法印伊賀の住人におほせつけたるによりて。藤長などいふ者どもきたりて。こしをかたにかけてわたす。

 いかゝせむ此五月雨に北川のあさ瀨ふみ渡る人なかりせは

又服部川をわたりて菩提寺にいたる。是も招提門徒の律院なり。まうけの事は法印申つけて。伊賀のともがらさたせしむとなん。

廿七日。なを菩提寺に逗留す。伊賀のものどもさりがたく抑留する故也。

  菩提樹下古精藍   殿閣徵凉來

  暫借藤床兼瓦枕   齁々一睡味方甘

活計のうちにも故鄕の心は又わすれがたきにや有けむ。

 旅衣きのふも今日もくれはとりあやに戀しきならの古鄉

廿八日。菩提寺をたちて上野小田寺などイニナシ云所をとをる。たやまごえは川の水いまだわたりがたかるベしとて。かさぎどをりにおもむく。嶋の原川といふ河をわたりて。

 嶋の原川せの浪のかち渡りたやまこえをはよそになしつゝ

大河原といふ所は伊賀と山城とのさかひなり。河原の木石さながら前栽などをみるごとくなれば。

 苔むせる岩ねに松は大河原かはらさりけり庭のすさきに

笠置川をば舟にてわたる。ならよりむかへのものきたるによりて。いがのをくりをばこれより返しぬ。歸路をいそぐによりて。山をば見やりたるばかり也。ことさらにこそまうでめとおもひ侍り。きのふけふは雨ふらず。

 えそしらぬみの山過て降し雨の笠置にきては又はれにけり

 雲の上にその曉を待ほとや笠置のみねに有明の月

秉燭の時分南都の宿坊につく。この後雨はなはだくだる。よくせずば笠置にとまるベかりけり。

この作品は1930年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。