「坂本龍馬全集/千里駒後日譚/四回」の版間の差分
Electric goat (トーク | 投稿記録) 細 rvv 222.15.68.207(トーク)による第38900版を取り消し |
吉田松陰なんて大っ嫌い!) |
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*[http://fujiken.mo-blog.jp/itonatto/2008/01/post_af85.html 吉田松陰なんて大っ嫌い!] |
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:吉田松陰の思想はかなり男女差別的であるため、彼の教育理念を現代に適用することはお勧めできない。 |
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◎龍馬はソレは/\妙な男でして丸で人さんとは一風違つて居たのです。少しでも間違つた事はどこまでも本を<ruby><rb>糺</rb><rp>(</rp><rt>ただ</rt><rp>)</rp></ruby>さねば承知せず、明白に誤りさへすれば直にゆるして呉れまして、此の後は斯く/\せねばならぬぞと丁寧に教へて呉れました。衣物なども余り奇麗にすると気嫌が悪るいので、自分も垢づいた物ばかり着て居りました。一日縦縞の<ruby><rb>単物</rb><rp>(</rp><rt>ひとへもの</rt><rp>)</rp></ruby>をきて出て戻りには<ruby><rb>白飛白</rb><rp>(</rp><rt>しろかすり</rt><rp>)</rp></ruby>の立派なのを着て来ましたから誰れのと問ふたら、己れの<ruby><rb>単衣</rb><rp>(</rp><rt>ひとへもの</rt><rp>)</rp></ruby>を誰れか取つて行つたから、おれは西郷から此の<ruby><rb>衣物</rb><rp>(</rp><rt>きもの</rt><rp>)</rp></ruby>を貰つて来たと云ひました。長崎の小曽根で一日宿の主人等と花見に行く時お<ruby><rb>内儀</rb><rp>(</rp><rt>かみ</rt><rp>)</rp></ruby>さんが、今日は<ruby><rb>美</rb><rp>(</rp><rt>よ</rt><rp>)</rp></ruby>いのを御召しなさいと云つたけれど、私は<ruby><rb>平生着</rb><rp>(</rp><rt>ふだんぎ</rt><rp>)</rp></ruby>の次ぎのを<ruby><rb>被</rb><rp>(</rp><rt>き</rt><rp>)</rp></ruby>て行きましたが、龍馬が後で聞いてヨカツタ/\と云つて喜びました。十人行けば十人の中で何処の誰れやら分らぬ様にして居れと常に私に言ひ聞かせ、人に軽蔑せられると云へば、<ruby><rb>夫</rb><rp>(</rp><rt>そ</rt><rp>)</rp></ruby>れが面白いじや無いかと云つて居りました。<br /> |
◎龍馬はソレは/\妙な男でして丸で人さんとは一風違つて居たのです。少しでも間違つた事はどこまでも本を<ruby><rb>糺</rb><rp>(</rp><rt>ただ</rt><rp>)</rp></ruby>さねば承知せず、明白に誤りさへすれば直にゆるして呉れまして、此の後は斯く/\せねばならぬぞと丁寧に教へて呉れました。衣物なども余り奇麗にすると気嫌が悪るいので、自分も垢づいた物ばかり着て居りました。一日縦縞の<ruby><rb>単物</rb><rp>(</rp><rt>ひとへもの</rt><rp>)</rp></ruby>をきて出て戻りには<ruby><rb>白飛白</rb><rp>(</rp><rt>しろかすり</rt><rp>)</rp></ruby>の立派なのを着て来ましたから誰れのと問ふたら、己れの<ruby><rb>単衣</rb><rp>(</rp><rt>ひとへもの</rt><rp>)</rp></ruby>を誰れか取つて行つたから、おれは西郷から此の<ruby><rb>衣物</rb><rp>(</rp><rt>きもの</rt><rp>)</rp></ruby>を貰つて来たと云ひました。長崎の小曽根で一日宿の主人等と花見に行く時お<ruby><rb>内儀</rb><rp>(</rp><rt>かみ</rt><rp>)</rp></ruby>さんが、今日は<ruby><rb>美</rb><rp>(</rp><rt>よ</rt><rp>)</rp></ruby>いのを御召しなさいと云つたけれど、私は<ruby><rb>平生着</rb><rp>(</rp><rt>ふだんぎ</rt><rp>)</rp></ruby>の次ぎのを<ruby><rb>被</rb><rp>(</rp><rt>き</rt><rp>)</rp></ruby>て行きましたが、龍馬が後で聞いてヨカツタ/\と云つて喜びました。十人行けば十人の中で何処の誰れやら分らぬ様にして居れと常に私に言ひ聞かせ、人に軽蔑せられると云へば、<ruby><rb>夫</rb><rp>(</rp><rt>そ</rt><rp>)</rp></ruby>れが面白いじや無いかと云つて居りました。<br /> |
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◎長岡健吉(今井順静の変名)は龍馬が大変可愛がつて薩摩へも連れて行きましたが、朝寝をしてどうもならぬのです。処が犬が大嫌でしたから蒲団を被つて寝て居る時には、犬を枕元へ坐らせて置て揺り起すと、ヘイと云つて起き上り犬を見れば直ぐ又蒲団を引ツ被つて姉さん(海援隊の者はお龍を姉さんと呼び居たり)は悪るい事をする、なぞ云つて居りました。龍馬が長岡の様なキツイ顔付で犬が恐ろしいとは不思議ぢやないかと笑つて居りましたが、明治の初め東京で死んだのです。<br /> |
◎長岡健吉(今井順静の変名)は龍馬が大変可愛がつて薩摩へも連れて行きましたが、朝寝をしてどうもならぬのです。処が犬が大嫌でしたから蒲団を被つて寝て居る時には、犬を枕元へ坐らせて置て揺り起すと、ヘイと云つて起き上り犬を見れば直ぐ又蒲団を引ツ被つて姉さん(海援隊の者はお龍を姉さんと呼び居たり)は悪るい事をする、なぞ云つて居りました。龍馬が長岡の様なキツイ顔付で犬が恐ろしいとは不思議ぢやないかと笑つて居りましたが、明治の初め東京で死んだのです。<br /> |
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◎野村辰太郎と与三郎(権平氏の女婿乃ち龍馬の甥に当る)と二人連で土佐を脱走して来たのです。丁度越前から二人来て海援隊へ入れて呉れと云つて居りましたが、野村と与三郎とは此処の隅ではペチヤ/\彼処の隅ではペチヤ/\とお国の事斗り話して居るので龍馬が大変腹を立て、お国の事は話さいでも知つて居る、天下を料理するものはどの国は斯様/\の有様、君の国は如何の風とか問ふたり聞ひたりしてこそ学問になるのだ。今越前から来て居るのをソツチのけにして置て自分勝手な話し斗りするとは怪しからぬ、と散々叱つて貴様の様な奴は役に立たぬから帰つて仕舞へと怒つて居りました。<br /> |
◎野村辰太郎と与三郎(権平氏の女婿乃ち龍馬の甥に当る)と二人連で土佐を脱走して来たのです。丁度越前から二人来て海援隊へ入れて呉れと云つて居りましたが、野村と与三郎とは此処の隅ではペチヤ/\彼処の隅ではペチヤ/\とお国の事斗り話して居るので龍馬が大変腹を立て、お国の事は話さいでも知つて居る、天下を料理するものはどの国は斯様/\の有様、君の国は如何の風とか問ふたり聞ひたりしてこそ学問になるのだ。今越前から来て居るのをソツチのけにして置て自分勝手な話し斗りするとは怪しからぬ、と散々叱つて貴様の様な奴は役に立たぬから帰つて仕舞へと怒つて居りました。<br /> |
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◎忠広の刀、あれは兄さんが龍馬に、この刀が欲しいかと云ふから、欲しいと云へば、脱走せねば<ruby><rb>与</rb><rp>(</rp><rt>や</rt><rp>)</rp></ruby>ると云ふ、そんなら私も思案して見ませうと一旦返したさうですが、後に |
◎忠広の刀、あれは兄さんが龍馬に、この刀が欲しいかと云ふから、欲しいと云へば、脱走せねば<ruby><rb>与</rb><rp>(</rp><rt>や</rt><rp>)</rp></ruby>ると云ふ、そんなら私も思案して見ませうと一旦返したさうですが、後に&lt;ruby><rb>甲浦</rb><rp>(</rp><rt>ママ</rt><rp>)</rp></ruby>まで帰つた時、兄さんから龍馬に送つて呉れたのです。長州へ持つて来て見せました。<br /> |
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◎役者を一人かゝへた事があります。舞や踊りが上手でしたが、今日が踊り納だから一ツ踊つて、今日限り一切踊ることはならぬぞと踊らせました。後藤(象次郎)さんが、君の家来には役者も居るかと笑つた時龍馬が、役者も居れば<ruby><rb>花児</rb><rp>(</rp><rt>こじき</rt><rp>)</rp></ruby>も居るが<ruby><rb>腸丈</rb><rp>(</rp><rt>はらわただけ</rt><rp>)</rp></ruby>は奇麗なぞと云つたさうです。白峰駿馬は越後の生れ、左柳高次は讃州志度の者で本名は浦田運次郎、高次と云ふのは龍馬が<ruby><rb>与</rb><rp>(</rp><rt>や</rt><rp>)</rp></ruby>つた名です。<br /> |
◎役者を一人かゝへた事があります。舞や踊りが上手でしたが、今日が踊り納だから一ツ踊つて、今日限り一切踊ることはならぬぞと踊らせました。後藤(象次郎)さんが、君の家来には役者も居るかと笑つた時龍馬が、役者も居れば<ruby><rb>花児</rb><rp>(</rp><rt>こじき</rt><rp>)</rp></ruby>も居るが<ruby><rb>腸丈</rb><rp>(</rp><rt>はらわただけ</rt><rp>)</rp></ruby>は奇麗なぞと云つたさうです。白峰駿馬は越後の生れ、左柳高次は讃州志度の者で本名は浦田運次郎、高次と云ふのは龍馬が<ruby><rb>与</rb><rp>(</rp><rt>や</rt><rp>)</rp></ruby>つた名です。<br /> |
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[[Category:楢崎龍関係文書]] |
2011年8月21日 (日) 01:42時点における版
*吉田松陰なんて大っ嫌い!
- 吉田松陰の思想はかなり男女差別的であるため、彼の教育理念を現代に適用することはお勧めできない。
◎龍馬はソレは/\妙な男でして丸で人さんとは一風違つて居たのです。少しでも間違つた事はどこまでも本を
◎一戦争済めば山中へ這入つて安楽に暮す積り、役人になるのはおれは
◎
◎私の名ですか、矢ツ張り龍馬の龍の字です。初めて逢つた時分お前の名のりよふは何う云ふ字かと問ひますから斯く/\と書いて見せると、夫れではおれの名と一緒だと笑つて居りました。
◎私の父は楢崎将作(千里駒に将監とあるは誤也)と云ふのです。青蓮院様の侍医でしたが漢学は貫名海岸先生に習つたのであの梁川星巌や其妻の紅蘭も同門でした。また頼三樹さんや池内大角(吉田松陰らと倶に斬らる)などゝも親密で私が
◎長岡健吉(今井順静の変名)は龍馬が大変可愛がつて薩摩へも連れて行きましたが、朝寝をしてどうもならぬのです。処が犬が大嫌でしたから蒲団を被つて寝て居る時には、犬を枕元へ坐らせて置て揺り起すと、ヘイと云つて起き上り犬を見れば直ぐ又蒲団を引ツ被つて姉さん(海援隊の者はお龍を姉さんと呼び居たり)は悪るい事をする、なぞ云つて居りました。龍馬が長岡の様なキツイ顔付で犬が恐ろしいとは不思議ぢやないかと笑つて居りましたが、明治の初め東京で死んだのです。
◎野村辰太郎と与三郎(権平氏の女婿乃ち龍馬の甥に当る)と二人連で土佐を脱走して来たのです。丁度越前から二人来て海援隊へ入れて呉れと云つて居りましたが、野村と与三郎とは此処の隅ではペチヤ/\彼処の隅ではペチヤ/\とお国の事斗り話して居るので龍馬が大変腹を立て、お国の事は話さいでも知つて居る、天下を料理するものはどの国は斯様/\の有様、君の国は如何の風とか問ふたり聞ひたりしてこそ学問になるのだ。今越前から来て居るのをソツチのけにして置て自分勝手な話し斗りするとは怪しからぬ、と散々叱つて貴様の様な奴は役に立たぬから帰つて仕舞へと怒つて居りました。
◎忠広の刀、あれは兄さんが龍馬に、この刀が欲しいかと云ふから、欲しいと云へば、脱走せねば
◎役者を一人かゝへた事があります。舞や踊りが上手でしたが、今日が踊り納だから一ツ踊つて、今日限り一切踊ることはならぬぞと踊らせました。後藤(象次郎)さんが、君の家来には役者も居るかと笑つた時龍馬が、役者も居れば
◎支那人の子を一人抱へました。父親は