解析概論/第一版 緒言

提供:Wikisource
移動: 案内, 検索

[編集] 第一版 緒言

本書は,著者の意図においては,時代に順応した一版向きの解析学予修書,あるいはむしろ解析学読本で,なるべく少量の一冊子内において,解析学の基本事項を大観して,自由に各特殊部門に入るべき素養を与えることを目標とするものである.解析概論といっても,内容は微分積分法の一般的解説であるが,ただ特に初等函数の理論に重点を置いたことを標出するために,この題名を選んだのである.応用上最も重要ないわゆる初等函数の致命的な性質はそれの解析性であるから,初等函数を自由に駆使するためには,なるべく早期に解析函数論の基礎概念を領得することの緊要なのは,あまりに当然である.実際,初等函数論は,前世紀の解析入門であったいわゆる代数解析の現代化に過ぎない.

予修書としての解析概論は繁冗を厭うて簡明を尊ぶことはもちろんであるが,本書が著者の予想を裏切って意外に部厚になった一つの原因は講義式の叙述にある.数学の解説法において,著しき対蹠的な二つの様式が認められる.その一つをかりに教本式というならば,Euclid の幾何学原本がその典型とされていたものである.それは既成の理論を整理して,それを論理的の系統に従って展開する方法で,その特色は正確と簡潔と,そうして難読とにある.教本式に整理された理論は精巧なる作為物であっても,それが内蔵する複雑な機構の秘密を看破するためには,いわゆる行と行との中間の空白を読むことを要するであろう.難読なる所以がそこにある.いわゆる講義式は反対で,数学上の概念発生の源をたずね,理論進展の後を追う方法であるが,その短所は冗長,一般に粗雑,細目においてはほとんど常に未完成なところにある.理論の根幹をつかむことを主眼として,それを枝葉にまで敷衍するにいとまなく,洗練を読者に一任することが止むを得ないからである.教本式の長所と講義式の短所とはかくの如くであるが,試みにその裏をいうてみるならば,教本式は既成数学を型に入れて,それを一つの現存物として,言わば一つの閉集合として取扱う嫌があるが,講義式では境界は開放的で,数学を活き物として,その生長の一つのフェイズを捕えようとするところに若干の新鮮味があり得るであろう.このほか,全書式ともいうべきものは,約言すれば数学現状の展覧会で,精粗錯雑,玉石同架である.それは玄人向きで,解析概論においてはまずは問題外であろう.解析概論において,最も理想的な方法は,理論の大局においては講義式,細節においては教本式にのっとって,なおその上に慾を言えば,全書式の各部門からなるべく多くのサンプルを取入れて,全体を具合よく調合するのであろうが,具合よくというところに無限の要求がある.このような理想を念頭に置きつつ,本書を書きは書いたが,もとより具合よくはいかないで校了の後,はなはだ不出来に終ったことを痛感したことであった.

解析概論に取入れるべき材料の取捨が外の一つの困難な問題である.根幹を取って枝葉を捨てることは当然でも,根幹と枝葉との境界は必らずしも分明でなく,実は確定でもない.その上に伝統の顧慮がある.一例として指数函数,三角函数をとってみる.彼等は初等解析において王位を占めるものであるが,その古典的導入法は,全く歴史的,従って偶発的で,すこぶる非論理的と言わねばなるまい.さて解析概論において,その歴史的発生を無視することが許されないとするならば,これらの函数の合理的導入法を述べる上に,古典的導入法が偶発的である所以をも説くことが,解析概論に課せられる迷惑な任務というものであろう.このような事例は一二に止まらない.Riemann 積分の解説のためにパルプを惜しむことを得ないのも同様の事情に由来する.本書を理想的の薄さに止め得なかった他の原因がここにある.もしも読了の後,読者が自ら不急の部分を抹消して,自家用の教本式体系を作成するならば,著者の目的は初めて達成されるのである.

本書に取入れた材料に少しも特異なものはないが,その排列に関しては,思考節約を方針として,若干考慮を費やした.一例を言えば,次元(独立変数の数)に無関係な事項は一所において,それを一般に最も印象的な二次元に即して解説した.次元が物を言うところは,もちろん次元に従って配置したが,初めから一変数・多変数というような形式的の対立を設定する必要を認めなかったのである.解説の方法は前にも述べたが,基礎的に事項に関してはなるべく論証の明確を努めて,応用的の部門においては解説の敏活を主として,微細な論点を読者の補充に委任した.各章の終りに少数の練習問題を配置して,読者の任意使用に供したが,精選を期したのではない.解法の示唆を附記して置いたけれども,誤算の有無は保証されないのだから,もとより拘泥すべきでない.問題の多きを貪らなかったのは,練習の効果を重視したからである.

これは些事ながら,記号と用語に関して弁解を附け加える.まず三角函数の記号は.本邦慣行の英米式によったが,逆三角函数は独仏式の arc を用いた.ただし逆正接は行きがかり上 arc tg の代りに arc tan と書いた.これは‘合いの子式’ではあるが,それを日本式にアーク・タンと読めば都合がよいと思った.学用語は一般に慣用に従った.往々著者の口癖を混入したかもしれないが,もちろん,それを固執する意志を有するのではない.冪の仮字巾を和算家の先例に藉口して,印刷上の不便を避けたのである.壔をおりおり筒と書いたのも不精な筆癖である.そのほか数々の杜撰は読者の寛容を乞わねばならない.

友人彌永昌吉君,菅原正夫君,黒田成勝君は,本書の校正刷を綿密周到に閲読して,多くの有益なる助言を寄与された.ここに特筆して謝意を表明する.

昭和 13 年 3 月
著者




PD-icon.svg
Flag of Japan.svg
この日本を法管轄とする文書は、著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の死亡した日の属する年の翌年から起算して50年を経過したものであるため、日本の著作権法第51条及び57条の規定により著作権の保護期間が満了しています。


個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
印刷/エクスポート
ツールボックス