私には夢がある

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私には夢がある
作者:マーティン・ルーサー・キング・ジュニア

この演説は、1963年8月28日にワシントンD.C.リンカン記念館で行われた。キングは、米国における黒色人種への差別の解消と、人種間・宗教間の融和を訴えた。修辞の面では、「A of B(Bという名のA)」といった隠喩表現を多用すると共に、「I have a dream(私には夢がある)」「Let freedom ring(自由の鐘を鳴らそう)」といった表現を繰り返し用いた。

[編集] 演説

米国史上最大の、自由のための示威行動として歴史に残るであろうこの集会に、本日諸君と共に参加できることを嬉しく思う。

今から100年前、偉大な米国人[1]が――我々は今日、その人物の象徴的な影の下に立っている訳だが[2]――、奴隷解放宣言に署名した。この重大な布告は、不正という容赦なき炎に焼かれていた何百万もの黒人奴隷に対する、偉大な希望の灯として現れた。捕らわれの身にあった彼らの長き夜を終わらせる、歓喜の夜明けとして現れたのである。

だが100年を経た今も、黒人は依然として自由ではない。100年を経た今も、黒人の生活は、悲しいことに依然として人種分離という枷と差別という鎖によって縛られている。100年を経た今も、黒人は物質的繁栄という大海原に浮かぶ、貧困という孤島の上で暮らしている。100年を経た今も、黒人は依然として米国社会の片隅で惨めに暮らし、自国にいながらにして流罪を受けている。故に我々は本日、この恥ずべき現状を訴えるべく、ここに来たのである。

ある意味では、我々は小切手を換金するために我が国の首都に来たと言える。建国者ら憲法独立宣言に崇高な文言を記したとき、彼らは、あらゆる米国民が受け取ることのできる約束手形に署名したのである。この手形は、全ての人々が、そう、白人と同様に黒人も、「生命、自由、及び幸福の追求」という「不可侵の権利」[3]を保障されるとの約束であった。米国が、こと有色人種の国民に関する限り、この約束手形を不渡りにしていることは今や明らかである。米国はこの神聖な義務を履行するどころか、黒人に対して不渡りの小切手を渡してきた。この小切手は、「残高不足」と押印されて突き返されたのである。

だが我々は、正義という銀行が破産しているなどとは信じない。この国の機会という巨大な金庫室が資金不足に陥っているなどとは信じない。故に我々はやって来たのである。我々の求めに応じ、自由という財産を、正義という保証金を渡してくれる、この小切手を換金するために。

我々がこの神聖な地に来たのは、現在の凄まじい緊急性を米国に気付かせるためでもある。冷却期間を置くという贅沢に耽ったり、漸進主義という鎮静薬を飲んだりする余裕などない。今こそ、民主主義の約束を実現する時である。今こそ、人種分離という暗く荒涼とした谷から、人種的公正という日の当たる道へと這い上がる時である。今こそ、我が国を人種的不公正という流砂から、兄弟愛という硬い岩の上へと引き上げる時である。今こそ、神の子全てに対して正義を現実のものにすべき時なのである。

この瞬間の緊急性を見過ごすことは、この国にとって致命的であろう。黒人たちの正当な不満に満ちたこのうだるような夏は、自由と平等に満ちた爽やかな秋が訪れるまで過ぎ去ることはない。1963年は、終わりでなく始まりである。「黒人は憂さを晴らしたかっただけだ。もう気が済んだろう」などと期待する人々は、この国が元に戻ったならば、ひどく幻滅することになろう。黒人が公民権を得るまでは、米国には安息も平穏も訪れない。正義という輝かしき日が来るまでは、反乱という旋風は我が国を根底から揺るがし続けるであろう。

だが、正義という宮殿に至る温かき入口に立つ同胞たちに言わねばならないことがある。正当な地位を得る過程において、過ちという罪を犯してはならない。敵意と憎悪という杯から飲むことによって、自由への渇きを満たさぬようにしよう。尊厳と規律という高い次元での闘争を絶えず行わねばならない。我々の創造的抗議が肉体的暴力へと堕すのを容認してはならない。体の力に魂の力で対峙するという荘厳な高みへと、何度でも昇らねばならないのである。

黒人社会を呑み込む驚くべき新たな闘志が、全ての白人への不信へと繋がってはならない。何故なら白人同胞の多くが、彼らが本日ここにいることからも判るように、彼らの運命が我々の運命と結び付いていることに気付いたからである。そして、彼らの自由が我々の自由と不可分に結び付いていることに気付いたからである。

我々は、独りきりで歩むことはできない。

そして、我々は歩む際に、常に前進すると誓わねばならない。

後戻りはできないのである。

公民権運動に献身する人々に対し、「君達はいつになったら満足するのか」と問う者もいる。黒人が警察の蛮行という言語に絶する恐怖の被害者である限り、我々は決して満足できない。旅の疲れで重くなった体を沿道のモーテルや街のホテルで癒せぬ限り、我々は決して満足できない。黒人の基本的移動範囲が小さなゲットーから大きなゲットーまでである限り[4]、我々は満足できない。「白人専用」という標識によって我々の子らが自我と尊厳を剥奪されている限り、我々は決して満足できない。ミシシッピの黒人が投票できず、ニュー・ヨークの黒人が「自分には投票すべき対象がない」と考えている限り、我々は決して満足できない。そう、我々は満足していないのである。そして、正義が水の如く、公正が尽きざる川の如く流れる[5]まで、我々は満足しないであろう。

艱難辛苦に耐えてきた者がこの中にいることを知らぬ訳ではない。狭き独房から出て来たばかりの者もいよう。自由を追求したがために、迫害という嵐に打たれ、警察の蛮行という大風に見舞われている地から、ここへ来た者もいよう。諸君は産みの苦しみを味わい続けてきた。不当な苦痛は贖われるとの信念をもって、活動を続けてほしい。ミシシッピへ戻ろう。アラバマへ戻ろう。サウスカロライナへ戻ろう。ジョージアへ戻ろう。ルイジアナへ戻ろう。北部の都市のスラムやゲットーへ戻ろう。現状は変わり得るし、変わるであろうと信じて。

友よ、本日私は諸君に言いたい。絶望という谷でもがくのはやめよう。

我々は今日も明日も困難に直面するが、それでもなお私には夢がある。それは、米国の夢に深く根差した夢である。

私には夢がある。それは、いつの日か国民が決起し、「全ての人間は平等に創られているという真実は自明であると考える」[6]というこの国の信条を、真の意味で実現させるという夢である。

私には夢がある。それは、いつの日かジョージアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫とかつての奴隷所有者の子孫が、同胞として同じ卓に着くという夢である。

私には夢がある。それは、不正という炎熱に焼かれ、抑圧という炎熱に焼かれている州であるミシシッピですら、いつの日か自由と正義のオアシスへと変わるという夢である。

私には夢がある。それは、4人の我が幼子がいつの日か、肌の色によってではなく人格の中身によって評価される国で暮らすという夢である。

今日、私には夢がある!

私には夢がある。それは、いつの日か、悪しき人種差別主義者らや、「干渉」と「無効化」[7]を唱える州知事の存在するアラバマですら――いつの日か、そんなアラバマですら――、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手を取り合うという夢である。

今日、私には夢がある!

私には夢がある。それは、いつの日かあらゆる谷が隆起し、あらゆる丘と山が低くなり、荒地が平らになり、歪んだ地が真っ直ぐになり、そして神の栄光が啓示され、全人類がその栄光を共に見る[8]という夢である。

これが我々の希望である。この信念と共に、私は南部へ戻る。

この信念があれば、我々は、絶望という山から希望という石を切り出すことができよう。この信念があれば、我々はこの国の耳障りな不協和音を、兄弟愛という美しい交響曲へと変えることができよう。この信念があれば、我々は共に働き、共に祈り、共に闘い、共に入獄し、自由のために共に立ち上がることができよう。いつの日か自由になると信じて。

そしてその日にこそ――その日にこそ、神の子全てが新たな意味を込めて、こう歌うことができよう。

「我が祖国よ、汝のために、素晴らしき自由の地よ、汝のために、我歌わん。

我が父祖らの死せる地、巡礼者の矜持の地、

あらゆる山腹より、自由の鐘を鳴らさん!」[9]

そして、米国が偉大な国家となるには、この歌が現実のものにならねばならない。

だから、ニュー・ハンプシャーの広大な丘の上から自由の鐘を鳴らそう。

ニュー・ヨークの巨大な山々から、自由の鐘を鳴らそう。

ペンシルヴェニアのアレゲーニー山脈の高みから、自由の鐘を鳴らそう。

コロラドの雪に覆われたロッキー山脈から、自由の鐘を鳴らそう。

カリフォルニアの美しき峰々から、自由の鐘を鳴らそう。

だが、それだけではない。

ジョージアのストーン・マウンテン[10]から、自由の鐘を鳴らそう。

テネシーのルックアウト・マウンテン[11]から、自由の鐘を鳴らそう。

ミシシッピのあらゆる丘や塚から、自由の鐘を鳴らそう。

そしてあらゆる山腹から、自由の鐘を鳴らそう。

これが実現するとき、自由の鐘の鳴るのを許したとき、あらゆる村やあらゆる集落、あらゆる州やあらゆる町から自由の鐘を鳴らすとき、我々は、全ての神の子が、黒人も白人も、ユダヤ教徒も異教徒も、プロテスタントカトリック教徒も、手を取り合い、古き黒人霊歌を歌うことのできる日を早めることができるのである。

「遂に自由になった! 遂に自由になった!

全能の神に感謝しよう、我々は遂に自由になった!」[12]という歌を。

[編集] 訳註

  1. エイブラハム・リンカンを指す。
  2. 演説は、巨大なリンカン像のあるリンカン記念館で行われた。この表現は、キングらがリンカン像の下に集ったことを示すと同時に、現代米国がリンカンの理想の影響下にあることをも示していると思われる。『完全保存版 オバマ大統領演説』は、「私たちが今日でも象徴的に影響を受けている」と訳している。
  3. 独立宣言を引用。
  4. 原文は「as long as the negro's basic mobility is from a smaller ghetto to a larger one」。在日米国大使館の訳によれば、「黒人の基本的な移動の範囲が、小さなゲットーから大きなゲットーまでである限り」。対して『完全保存版 オバマ大統領演説』の訳によれば、「黒人が基本的に移動できる範囲が、狭いゲットーからもっと広範囲にわたるようにならないかぎり」。ここでは、前者の解釈に従った。
  5. 旧約聖書アモス書第5章第24節を引用。
  6. 独立宣言を引用。
  7. 「干渉 (interposition)」とは、連邦政府が州の行政に干渉するのは不当であるとする考えを指す。「無効化 (nullification)」とは、州の主権を侵害する連邦法は無効であるとする考えを指す。
  8. 旧約聖書イザヤ書第40章第4節及び第5節を引用。ただし、演説中「丘と山 (hill and mountain)」とある部分は、イザヤ書では「山と丘 (mountain and hill)」である。
  9. 米国の愛国歌「我が祖国 (My Country, 'Tis of Thee)」より、1番の歌詞を引用。
  10. ジョージア州アトランタに位置。南部の指導者として南北戦争を闘った、ジェファースン・デイヴィスロバート・E・リートマス・ジャクスンの3名の肖像が岩肌に彫られている。
  11. テネシー州チャタヌーガに位置。南北戦争の戦場となった。
  12. 黒人霊歌「Free At Last」を引用。


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