創世記1 (フランシスコ会訳)

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『聖書創世記 原文校訂による口語訳』
フランシスコ会聖書研究所、
1958年12月発行
『フランシスコ会訳聖書』
Gen

目次


第一部 世界と人間の起源

第1章 [編集]

第一創造史 宇宙の創造 [編集]

[1]

 1はじめに、神は天と地を造られた。 2地はむなしく何もなかった。やみは深淵しんえんの上にあり、神の霊は水の上をおおい動いていた [2]

 3神が、「光あれ」と言われると、光があった。神はその光を見てよいとされた。 4神は光とやみとを分けて、 5光を「昼」と名づけ、やみを「夜」と名づけられた[3]。そして夕となり朝となって、一日が過ぎた[4]

 6次に、神が、「水の中に大空[5]あれ。そして水と水とを分けよ」と言われると、そのとおりになった。 7神は大空を造り、その下の水と上の水とを分けられた。 8神は大空を「天」と名づけられた。そして夕となり朝となって、第二日が過ぎた。

 9次に、神が、「天の下の水は一つ所に集まれ。そしてかわいた所が現われよ」と言われると、そのとおりになった。 10神はかわいた所を「地」と名づけ、水の集まった所を「海」と名づけられた。神はそれを見てよいとされた。 11また神が、「地は草木くさきで青くなれ。種のある草と、地の上に種のある実を結ぶあらゆる種類の木とで青くなれ」と言われると、そのとおりになった。 12地は草木を、すなわち種のあるあらゆる種類の草と、種のある実を結ぶあらゆる種類の木とを生じた。神はそれを見てよいとされた。 13そして夕となり朝となって、第三日が過ぎた[6]

 14次に、神は言われた、「天の大空に光るものあれ。そして昼と夜とを分けよ。その光るものは季節と日と年とを定めるしるしとなれ。 15また天の大空にあって、地を照らす光となれ」。するとそのとおりになった。 16神は二つの大きな光るもの[7]を造り、そのうちの大きなものに昼をつかさどらせ、小さなものに夜をつかさどらせ、また星も造られた。 17神はそれらのものを天の大空に置かれた。これは地を照らし、 18昼と夜をつかさどり、光とやみを分けるためであった。神はそれを見てよいとされた。 19そして夕となり朝となって、第四日が過ぎた。

 20次に、神は、「水は生き物の群れで豊かになれ。また鳥は地と天の大空との間を飛べ」と言われた。 21そして神は大きな海の怪物、また水に群がるあらゆる種類の泳ぐ生き物をすべて造られた。また翼のあるあらゆる種類のものもすべて造られた。神はそれを見てよいとされた。 22そこで神はそれらのものを祝福して、「生めよ、ふえよ、海の水に満ちよ、また鳥は地にふえよ」と言われた。 23そして夕となり朝となって、第五日が過ぎた。

 24次に、神が、「地はあらゆる種類の生き物、すなわちあらゆる種類の家畜、はうもの、野の獣を生み出せ」と言われると、そのとおりになった。 25神は野のあらゆる種類の獣、あらゆる種類の家畜、地をはうあらゆる種類のすべてのものを造られた。神はそれを見てよいとされた。

人間の創造 [編集]

 26次に、神は、「われわれ[8]にかたどり、われわれに似せて人を造ろう。そして人に、海の魚、空の鳥、家畜、野のすべての獣、地をはうすべてのものを治めさせよう[9]」と言われた。

27神はご自身にかたどって人を造られた。
人を神にかたどって造り、男と女とに造られた。

28神はかれらを祝福して言われた、

「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、そして地を従わせよ。
海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を治めよ」。

29また神は、「見よ、わたしは、おまえたちに食べ物として、全地の種のあるあらゆる草と、種のある実を結ぶあらゆる木とを与える。 30そして地のあらゆる獣、空のあらゆる鳥、地をはうあらゆるもので、およそ命あるものには、それぞれの食べ物として青草を与える[10] 」と言われると、そのとおりになった。 31神はご自身が造ったすべてのものを見られた。それははなはだよかった。そして夕となり朝となって、第六日目が過ぎた。


【注】

  1. (1) 司祭伝承(5:25ページ解説参照)による第一創造史(1:1-2:3)では、宇宙のことが古代に普及していた考えに基づいて描かれている。記事は当時の知識を反映したもので、今日知られているような科学的なものではない。しかし他の古代の世界開びゃく説に見られるような宗教上の誤りはない。むしろここではその誤りを反ばくしている。神感による聖書の著者が創世記1章において説いていることは、(宇宙の部分ではなく)宇宙以前に存在する(多くの神々ではない)唯一の神が、全能のことばにより、その霊を通じ、労することなく、秩序正しく、万物を創造され、しかもその創造されたものはみなよかったということである。著者はさらに、人間が特に万物の霊長として神によって創造され、万物の支配権にあずかっていることも説いている。創造のみわざは六日間に分けられ、七日目は休息となっている(2:2-3)。これは守るべき安息日(出31:13-18 20:8-11、シナイ山で神と選民が結んだ契約のしるしであり、イスラエル人にとって最も重要なおきてとなる)のことを教えさとすためである。原始宇宙の創造(1 2節)のあとで、さらに八つのみわざが三日から成る二つの対称的な期間に行われたように述べられている(第一、二、四、五日にはそれぞれ一つのみわざ、第三、六日にはそれぞれ二つのみわざ)。記事全体はかたにはまった語句によって組まれている。これは巧妙にくふうして記事全体を明確、風雅、荘重にするためである。
  2. (2) 1節は原始宇宙(「天と地」)の由来を語り、2節は形も生命もないが何ものかが潜んでいる原始宇宙の最初の状態を描いている。1節の訳語「造る」の原語は「バラ」(1:21 27 2:3 5:12 6:7も同じ)。このヘブライ語は神の場合にだけ用いられ、労することなく造る、すなわちことばまたは意志によって造るという義。2節の「深淵」は、古代の世界開びゃく説の中の「原始の海」という語に相当する。しかし聖書中の「深淵」は神の支配下にあって全く受動的である(注4後半参照)。能動的なのは「神の霊」、すなわち創造力、または生命を与える神の息(詩104〔103〕30参照)。この「神の霊」は「おおい動いている」ように描かれている。この動詞はまれな語で、わしがひな鳥を飛ばせようとしてその巣の上を舞っているさまを描いている申32:11に用いられている。新約聖書中の三位一体の啓示に照らして、多くの教父たちは「神の霊」を聖霊にあてはめている。神のみわざを完成するのは聖霊のみわざとみなされ、典礼中では「創造主なる聖霊」と呼ばれている。(1節における目的語は「天」と「地」であるが、2節においては「地」と「水〔すなわち深淵〕」になっている。対称的な第一創造史の中としては、つり合いのとれない文句なので、1節の「天」という原語の中の一文字を取り除いて「水」と読み、「はじめに、神は水と地を造られた」とする修正が最近提唱されている。これは他の世界開びゃく説による原始宇宙の描写に完全に一致する。)
  3. (3) 「昼」と「夜」はあとで創造される「光るもの(14-18節)に依存するとはみなされていない。ヨブ38:19-20 26:10参照。創世記1章において、ものに存在を与えているのは、神の全能の「ことば」すなわち「…あれ」という命令である。しかしものは名をつけられではじめてその存在がじゅうぶんに確立されるという点では、古代の世界開びゃく説と同じである。被造物は名をつけられて、じゅうぶんな目的と意義を帯びる。2:19-20において人が動物に名をつけることは、動物に対する人の支配権を意味する。
  4. (4) 直訳では「一日」。動詞はない。8:13 19 23 31節の第二、三、四、五、六日の場合も同じ。このような事が六日間継続またはくり返され、その一つ一つが列挙され、七日目(通常その日のあかつき)にその事が終るか、または完成したようにする筆法は、古代近東においてよく用いられた。筆者は整然かつ秩序ある創造のみわざと神の完全が万物支配を述べるために、この筆法を採用したのであろう。古代の他の開びゃく説による秩序ある創造とはいちじるしく異なる。太陽が第四日につくられたことは(16節)、別に問題とはならない。月が夜をつかさどるために作られたように、太陽もすでに存在する昼(5a節)をつかさどるつくられたものとみなされている(前注参照)。
  5. (5) 直訳では「打ちのばされた(金属)板」。古代セム人は大空のことを「上に水をたくわえた堅い天井」と考え、その穴から大雨が降ると思っていた(7:11 8:2)。巻末第一図参照。
  6. (6) 第一の期間、すなわち最初の三日間は分離のみわざをもって終っている。(一)光がやみから分けられ、昼と夜が生じた(第一日)。(二)水の中に大空が造られ、上の水と下の水とに分けられた(第二日)。 (三)下の水が集められて海と地が分けられ、地から、植物が生じた(第三日)。 最初の三日間に宇宙を別々の領域に分けたというみわざと、あとの三日間にそれぞれの領域に住むものを創造したというみわざとは符合する。すなわち (一)昼と夜をつかさどる光体(第四日)、 (二)水の中に魚、空に鳥(第五日)、 (三)地上に動物と人間が造られ、食べ物として植物が与えられた(第六日)。 以上の分離の大みわざは、2:1の「こうして天と地とよろずのものは完成した」という文句に要約されている。
  7. (7) 当時エジプトなどで神として礼拝されていた「太陽」と「月」という名称を故意に省いている。これらは特に宗教的暦を定める場合に役立つ単なる被造物である。
  8. (8) この複数についてはいろいろの説がある。(一)著者が人間創造の重要性をあらわすために、神がその創造にあたってご自身と相談されたように描いた(11:7、24ページ解説参照)。または(二) 「神の充満性」(コロサイ1:19 2:9)を表すための尊厳複数。ヘブライ語では神を「エロヒム」という複数形で表す。しかし一般に単数形の動詞が続く。エズラ4:18ではペルシャ王が自分のことをいうのに単複両形を用いている(イザヤ6:8参照)。(三)人間創造に関する天使たちへの発表。詩8:6のギリシャ語訳とラテン語訳では「エロヒム」を「天使たち」と解し、「神は人間を天使たちより少し低く造られた」と訳している(3:22、ヨブ1:6a、列上22:19-22参照)。神父たちは聖三位のことであろうと解している。
  9. (9) 有形的被造物のうちで人間だけが神に似て理性と自由意志をもち、したがって地と被造物に対する神の支配権にあずかっている。
  10. (10) 人間も動物もお互いに殺し合うことなく、平和のうちに生活していた(未来のメシヤ時代のような)原始時代の描写である(イザヤ11:6-8参照)。9:2-3でこの関係は改められる。

第2章 [編集]

 1こうして、天と地とよろずのもの[1]は完成した。 2神はなされていたそのわざを第七日目[2]に完成された。そしてなされたすべてのわざを第七日目に休まれた。 3神はすべての創造のわざを第七日目に休まれたので、その日を祝福して聖日とされた。

第二創造史 エデンの園 [編集]

[3]

 4これは天と地の創造史である[4]

 神ヤーウェが地と天とを造られた時、 5まだ地には野の木が一本もなく、また野の草も一本もはえていなかった。神ヤーウェが地に雨を降らさず、土を耕す人もいなかったからである。 6しかし大水が地からわきでて、土のおもてをあまねく潤していた。 7神ヤーウェは土のちりで人を形造り、いのちの息をその鼻に吹き入れられた。そこで人は生きた者となった[5]

 8神ヤーウェはエデンの中の東に園を設け、その形造った人をそこに置かれた[6]9また神ヤーウェは、見て美しく食べるによいあらゆる木を土からはえさせ、さらに園の中央に生命の木[7]と、善悪の知識の木とをはえさせられた。

 10一つの川がエデンからわきでて園を潤し、そこから分れて四つの流れとなった。 11第一の名はピションといい、きんのあるハビラ全土をめぐって流れている。 12その地方の金は質が良い。またそこにはブドラク[8]もある。

 13第二の川の名はギホンといい、クシュ全土をめぐって流れている。 14第三の川の名はチグリスといい、アッシュルの東を流れている。第四の川はユーフラテスである[9]

 15神ヤーウェは人を取ってエデンの園に置き、そこを耕させ、そこを守らせられた。 16神ヤーウェは人に命じて、「おまえは園にあるどの木の実を食べてもよい。 17しかし善悪の知識の木の実は食べてはならない。それを食べると、必ず死ぬであろう」と言われた[10]

最初の女 [編集]

 18また神ヤーウェは、「人がひとりでいるのはよくない。かれにふさわしい助け手を造ろう」と言われた。 19そして神ヤーウェは野のあらゆる獣と空のあらゆる鳥とを土で形造り、人のところに連れてきて、かれがそれらになんと名づけるかを見ようとされた。人がそれぞれの生き物につけた名は、そのままそれらの名となった。 20人はすべての家畜、空の鳥、野のすべての獣のそれぞれに名をつけたが、人にふさわしい助け手は見つからなかった[11]21そこで神ヤーウェは人を深く眠らせ、眠っている間にそのあばら骨の一つを取り、その所を肉でふさがれた。 22神ヤーウェは人から取ったあばら骨をひとりの女に造りあげ[12]、人のところに連れてこられた。 23すると人は言った、

「これこそ、わたしの骨からの骨、わたしの肉からの肉。
男から取られたのだから、これを女と名づけよう[13]」。

24それゆえ、男は父母ちちははを離れて、妻に結びつき、ふたりは一体となるのである[14]25人とその妻とはふたりとも裸であったが、恥とは思わなかった。


【注】

  1. (1) 直訳では「万軍」(イザヤ6:3 45:12 13参照)。
  2. (2) 多くの古代語訳は「第七日目」ではなく「第六日目」と読んでいる。第六日目に完成されたとするほうが、出20:8-11、31:14-17(第七日目の神の安息を理由として安息日には全然仕事をしてはならないとさだめている)によく適合する。しかし著者は今まで用いてきた古代の筆法(1注4参照)にならって、みわざが七日目(のはじめ)に完成したとしるしている。
  3. (3) 第一創造史(1:1-2:3)は司祭伝承の文体と見かたを反映している。第二創造史(2:4-3:24)は前者とは文体、見かたともに異なっているので、別の伝承に基づいていることがわかる。第一創造史は、全体として宇宙のことを述べているが、第二創造史は人類始祖の歴史を詳しく物語っている。後者に使用されている伝承の特徴の一つは、神の固有名詞「ヤーウェ」(出3:14参照)を用いていることである。この理由でヤーウェ伝承と呼ばれている。司祭伝承は「神」を意味する普通のヘブライ語(エロヒム)を一様に用いている。しかし著者は23章で「神ヤーウェ」(ヤーウェ・エロヒム)という二重名称を使用している(ほかの所ではほとんど用いていない)。あたかも「神」(エロヒム)と「ヤーウェ」の同一性、および各種伝承の根本的調和を、最初にあたってここで主張しているように見える(3注3後部も参照)。このあと著者は各種伝承を用いるにあたり、その不調和を問題としていないようである。このことを考えれば、外見上の矛盾や重複記事が容易に理解できる。
  4. (4) 文法上4a節は第一創造史の結びとも第二創造史の題目ともなりうる。文体から見れば前者に属しているが、その用法から見れば後者に属している。というのは、創世記は十部に分けられ、それぞれの題目に同一のヘブライ語「トレドス」が使われていて(15ページ解説参照)、最初の題目がこの4a節に用いられているからである。「トレドス」は「産出」の義であるが、ここでは「創造史」と訳した。
  5. (5) ヘブライ語では「人」を「アダム」、「土」を「アダマ」。4:25 5:1 3において「人」という普通名詞「アダム」が最初の人間の名となっている。人間創造が実に具象的に描かれているが、このことからわれわれが知る重要なことは、人間の肉体は神によってすでにあるものから造られたが、霊魂は神によって直接創造されたということである。伝12:7参照。
  6. (6) 「エデン」は近東のある地域と考えられているが、その位置不明。「園」はエデンの一部で、近東さばくの中の緑地のように描かれている。
  7. (7) 死なないという特殊の恵み、または永久に生きるための手段(3:22参照)の象徴。原罪によってそれを失う(3:22b)。格3:18、黙22:2も参照。知識の木については注10を見よ。
  8. (8) かおりの高い樹脂(民11:7参照)。
  9. (9) 古代人は中央アフリカと中央アジアは大陸によって結ばれていると想像していた。したがってナイル川(ギホン川、シラ24:25参照)はその源をパレスチナの東のほうに発し、インダス川あるいはガンジス川の下流であると考えていた。この二つのうちどちらかがピション川のことであろう。このように四大河川はエデンにある尽きることのない一つの源から発しているものと思われていた。巻末第二図参照。「アッシュル」は、ヘブライ語では「アッシリア」と同じであるが、ここではアッシリア帝国(首都ニネベ、列下19:36参照)のことではなく、帝国誕生以前のその地方の中心地のことで、当時の首都アッシュルの名をそのまま取ったものである。10:11-12参照。
  10. (10) 「善悪の知識」という句は箇所によって異なった意味をもつ。申1:39、サムエル下14:17 19:36〔35〕、列上3:9、イザヤ7:15 16参照。2 3章の文脈からは、ヤーウェがご自分のため、また廷臣、使者としての天使のために取っておかれた知識を意味しているようである。この知識とは、生と死、健康と病気、多産と不妊、すなわち将来の善と悪の問題に関するものである。このような知識は人間の力では及ばないものなので、「人の目を開いて神のようにする」(3:5 22)といわれている(民24:3-4参照)。女はかかる知識を得ようとして木の実を食べることを決心する(3:6)。人間は誘惑に負けて、ヤーウェだけが啓示し、授与できる事がらをさぐり、または手に入れるために、占いや魔法など(申18:10-11参照)を使い、偶像、動物、自然物を崇拝した(エゼキエル8章にはこのような「いまわしい事」がしるされている)。動物のうちで「最も狡猾」と描かれているへびは、占いや魔法の力の象徴とされていた(出7:11-12参照、「占う」と「へび」はヘブライ語では同じ文字で、語原上関連があると思われる)。女をそそのかしたへびは、当時の女の心をひいていた生産力崇拝に特に結びつけられている。当時の女は多産と安産のため、生産力崇拝を行った。悪(人の労苦と死、女の出産の苦しみ、へびが動物の中でのろわれること)と善(将来の救世)を定め、人と女とへびにこれら将来の善悪を知らせるのは、ヤーウェだけである(3:15-19)。
  11. (11) 1章では人は神のみわざの最高傑作として最後に創造され、すべての生き物に対する支配権を与えられている。ここでは人は最初に創造され、そして他のすべての生き物が人のために造られている。これは人を中心とする見地からの描写であって、人間が万物の霊長であることを、この二つの説明から知ることができる。
  12. (12) 最初の女を男のあばら骨からとって造ったということは、両性が本質的にも人聞の尊厳性においても同等であること、および夫婦間の愛の義務を示し、男尊女卑の思想を否定する。しかし女は男に従うべきものである(コリント前11:8-9 11-12、チモテオ前2:12-13)。
  13. (13) ヘブライ語では男を「イシュ」、女を「イッシャ」。
  14. (14) キリストは婚姻の不解消性を本来の状態に復帰させるために、本節を引用している(マテオ19:3-6、マルコ10:2-9)。聖パウロは婚姻の一体制をキリストと教会の一体性にたとえている(エフェゾ5:29-32)。

第3章 [編集]

誘惑と堕落 [編集]

[1]

 1さて神ヤーウェが造られた野のすべての動物のうちで、へび[2]は最もこうかつであった。へびは女に、「神は、『おまえたちは園にあるどの木の実も食べてはならない』と確かに言ったのでしょう」と聞いた。 2女はへびに、「園にある木の実を食べてもよろしいのですが、 3神は、『園の中央にある木の実を食べてはいけない。また触れてもいけない。おまえたちが死ぬといけないからである』と言われました」と答えた。 4しかしへびは女に、「いいえ、あなたがたは死にはしません。 5それを食べると、あなたがたの目が開かれて善悪を知り、神のようになることを、神は知っているからです」と言った[3]

 6そこで女は木をながめると、その実は食べるのによく、目をそそり、賢くなるには望ましいと思われたから、それを取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、かれも食べた。 7するとふたりの目は開かれ、裸であることを知った[4]ので、いちじくの葉をつづり合わせ、腰に巻く物を造った。

 8いつものようにそよ風の吹きはじめるころ[5]、ふたりは園をそぞろ歩きされる神ヤーウェの足音を聞いたので、人とその妻とは神ヤーウェを避け、園の木の間に隠れた。 9神ヤーウェは人に声をかけて、「おまえはどこにいるのか」と言われた。 10そこで人は、「わたしは園であなたの足音を聞き、裸なので恐れて隠れました」と答えた。 11すると、「だれがおまえの裸であることを教えたのか。おまえは、わたしが食べてはならないと命じておいた木の実を食べたのか」と言われた。 12人は、「わたしの連れとしてくださったあの女が木から取ってくれたので、わたしは食べました」と答えた[6]

 13そこで神ヤーウェは女に、「おまえはなんということをしたのか」と言われた。女は、「へびがわたしを迷わしたので、食べました」と答えた。

罪の罰、救世主の約束 [編集]

 14神ヤーウェはへびに言われた、

「おまえはこの事をしたので、
すべての家畜、野のあらゆる獣のうちでのろわれる。
おまえは腹ばい、一生ちりを食べるであろう[7]
15わたしはおまえと女との間に、
またおまえの子孫と女の子孫との間に恨みをおく。
かれはおまえの頭を踏みつけ、
おまえはかれのかかとにかみつく[8]であろう」。

16次に女に言われた、

「わたしはおまえのみごもりの苦しみを大いに増す。
おまえは苦しんで子を産む。
おまえは夫を慕うが、夫はおまえをおさえる[9]」。

17さらに人に言われた、「おまえは妻のことばを聞き、食べてはならないと命じておいた木の実を食べたから、

土はおまえゆえにのろわれる。
おまえは一生ほねおって土からかてを取れ。
18地はおまえのためにいばらとあざみをはやし、
おまえは野の草を食べるであろう。
19土から取られたおまえは土に帰るまで、
ひたいに汗してかてを取れ。
おまえはちりであり、ちりに帰るのだから」。

20さて人はその妻の名をエワ[10]と名づけた。彼女がすべて生きた者の母だからである。

楽園からの追放 [編集]

 21神ヤーウェは皮の衣を造り、人とその妻に着せられた。 22神ヤーウェは、「見よ、人は善悪を知り、われわれのひとりのようになった[11]。さて、人は生命の木の実をも食べ、いつまでも生きるであろうから、かれが手を伸ばしてこれをとらないように――」と言われて、 23人をエデンの園から追い出された。これは土から取られたかれに、その土を耕させるためである。 24神ヤーウェは人を追い払われた。そして生命の木への道を守るためにエデンの園の東にケルビム[12]ときらめく炎[13]のつるぎとを置かれた。


【注】

  1. (1) 「原罪」の話は前章に準備され、本章にしるされる。聖パウロはロマ5:12で、「ひとりの人によって罪が世にはいり、また罪によって死が世にはいったように、すべての人が罪を犯したので死がすべての人に及んだ」と、はっきりしるしている。著者も同様に神感によって、世に広まっている罪と死は、全善である創造主から来たのではなく、すべての人の父が犯した罪の結果であることをよく承知していた。またこの事実を描くための資料を選ぶにあたっても、特に「人の子」、すなわちひとりの人イエズス・キリスト(アダムはキリストの前表であると聖パウロはロマ5:14-19で言っている)によって、世があがなわれるであろうという神の荘厳な約束を記録するにあたって、神感を受けている。
  2. (2) へびのしわざは知2:24では悪魔のしわざとされている。黙12:9 20:2も参照。禁じられた「善悪の知識」に関連して象徴となっているへびについては2注10参照。
  3. (3) 悪魔は誇張した文句(一本でなく「どの木の実も」)からはじめ、次に、知識の木の実を食べると必ず死ぬという神のことばを否定しただけでなく、人間がこの知識を得て神と同等になることを神が恐れているのだとしている。悪魔は悪知恵があり(コリント後11:3)、「うそつきで、うそをつく者の父」、また「はじめから人殺し」である(ヨハネ8:44)。「神のように」の「神」はヘブライ語では複数形の「エロヒム」である (1注8(二)参照)。この語はまた、22節の場合のように、天使たちという意味の「神々」をさすこともできる(1注8(三)参照)。ギリシャ語訳、ラテン語訳、多くの近代語訳では後者の意味に解している。悪魔は「エロヒム」という語をヤーウェの意味に二回用い(1節と5節後部)、ここでは二重の意味をもたせて欺こうとしたのかもしれない。著者が2:4から3:24まで「ヤーウェ・エロヒムしという名称を絶えず用いたのは、このあいまいな語を避けるためであったかもしれない。
  4. (4) 欺かれた後、彼らの目は開かれ、自分たちがしたことは善ではなく悪であったという事実を知り、「裸」であること、すなわち恥だということに気がつく(イザヤ20:4 47:3、エレミヤ13:26、エゼキエル16:37-39、ナフム3:5-6参照)。「こうかつな」(ヘブライ語で「アルム」)へびに関する語句と、「裸」(「エルッミム」)の人祖に関する語句との間にしゃれが含まれているようである。この二つのヘブライ語の子音は同じ。こうかつなへびは人をさとくしないで、裸のままの状態にとどめている。裸であることの恥は、肉の霊に対する反抗、不従順を暗示している(ロマ7:15-23特に23節参照)。この事は人の霊が神にそむいたことから生じたものである。人が神から隠れたことは(8節)、罪によって神との親交を失ったことを意味する。
  5. (5) 直訳では「日のそよ風のころ」(雅2:17 4:16参照)。
  6. (6) 人は罪を認めることをせず、女を非難し、また女を与えてくれた神に対しても間接に責めを負わしている。
  7. (7) 「腹ばい」「ちりを食べる」は最もひどい屈辱を意味する表現。詩72〔71〕9、イザヤ49:23〔65:25〕、ミカ7:17 参照。
  8. (8) 「踏みつける」と「かみつく」は全然意味は異なるが、その語幹は同形でしゃれを含んでいる。本節で神から直接話しかけられているへびは悪魔のことである。悪魔の子孫は悪魔のように神にそむくものたちをさす(ヨハネ8:44でキリストは自分を殺そうとしている者は悪魔を父にもっていると述べている)。「女の子孫」は集合名詞である「悪魔の子孫」に並行する文句なので、エワ(すべて生きた者の母、20節)の子孫である全人類をさすと解するものが多い。もちろん人の子キリストを通じてのみ勝利が得られるので、間接にはキリストをさす。しかしこの解釈は後世の啓示からみてじゅうぶんだとは思われない。本節後半における対立は二つの集合体の間のものでは なく、一つの悪魔とひとりの人間、すなわち悪魔(「おまえ」)と「女の子孫」をさす単数代名詞との聞のものである。ギリシャ語訳と古いラテン語訳はこのように解し、本節後半に男性単数形の代名詞「かれ」をあてている(ヴルガタ訳ではあやまって「彼女」としるしている)。したがって「かれ」は「やがて来る者」(49:10)、救世主キリストを直接にさす。キリストは悪魔の頭を踏みつける、すなわち十字架上の死によって悪魔を滅ぼす(ヘブライ2:14、ヨハネ一書3:8)。神は悪魔とキリストの間の対立のようなものを悪魔と女の聞におかれているので、「女」はエワだけを意味すると解するのはじゅうぶんではない。むしろ本節に予言されている将来における救世においては、キリストの母、無原罪のマリアがエワに代って「女」の役割を演ずると解するほうが他の解釈よりもすぐれている。救世 における協償者マリアの「女」という役割は、原罪における協力者エワの「女」という役割に相当するものであるが、エワの罪を償って余りあるものである。原罪が「女」で始まったように、救世も「女」で始まる。本節は堕落した人類の救いに関する最初の約束を含んでいるので、「原始福音」と呼ばれている。
  9. (9) 「慕う」と「おさえる」のヘブライ語はまた4:7cにおいてもともに用いられている。へびが女を誘惑した罰として、前節において女との間に恨みをおかれたように、女は人を誘惑した罰の一つとして、男に従うことになる。
  10. (10) 「エワ」という名は、「生命」、「生きる」というヘブライ語の語根に由来する。
  11. (11) 複数形「われわれ」については1注8参照。二節あとに、ケルビムのことがしるされているので、その(三)の説明、すなわち神か玉座を囲む天使たちに話しかけているとする説は、ここではそれほど不適当には見えない。 「人は善悪を知り、われわれのひとりのようになった」は、悪魔のいつわりの約束のことば(5節)をまねて、神がやさしく皮肉を言ったものと一般に考えられている(7a節も参照)。本句はまた、16-19節に啓示されたばかりの、人のために用意された善悪、すなわち人の罪から生じたこれからの「悪」と神の慈悲による将来の「善」を、人が知るようになったという意味にもとれる(2注10参照)。
  12. (12) 古代バビロニアでは「カリブ」は半人半獣の姿をした第二級の神々の一種で、宮殿を守るために入口の両側に置かれてあった。聖書のケルビムは神の創造による霊であり、出37:7-9では人の姿、エゼキエル1 10章ではさまざまのかたちで現われる。
  13. (13) いなずまのような形をしていて、バビロニアでは門にとりつけられ、入門を禁ずる象徴。ここでは園にはいることを禁じた神の命令を意味する。

第4章 [編集]

カインとアベル [編集]

 1人はその妻エワを知った。彼女はみごもってカインを産み、「わたしはヤーウェの助けで、ひとりの男の子を得ました[1]」と言った。 2また、彼女はカインの弟アベルを産んだ。アベルは羊飼いとなり、カインは農夫となった。 3日がたって、カインはヤーウェに供え物として地の作物をささげた。 4アベルもまた、羊のういごを取り、そのあぶらみをそえてささげた[2]。ヤーウェはアベルとその供え物とをよみされたが[3]5カインとその供え物とはよみされなかった。カインは大いにおこり、顔を伏せた。 6そこでヤーウェはカインに言われた、「おまえはなぜおこるのか。どうして顔を伏せるのか。 7おまえが正しければ、顔を上げればよいではないか。おまえが正しくなければ、罪が戸口で待ちかまえているようなものではないか。それはおまえを慕うが、おまえはそれをおさえなければならない[4]」。

 8カインは弟アベルに、「野原へ行こう」と言った。さてふたりが野原にいる時、カインは弟アベルにとびかかって、かれを殺した。 9そこでヤーウェはカインに、「弟アベルはどこいるのか」と聞かれた。カインは、「知りません。わたしは弟の番人なのでしょうか」と答えた[5]10ヤーウェは言われた、「なんという事をしたのか。聞け、おまえの弟の血が土からわたしに叫んでいる[6]11土は口を開いて、おまえの手から弟の血を受けた。今やおまえは土からのろわれる。 12おまえが土を耕しても、もはや土はおまえのために実を結ばない。おまえは地をさまよいさすらう者となるであろう」。 13カインはヤーウェに言った、「わたしの悪は重すぎるので、人々はがまんしないでしょう[7]14あなたはきょうわたしをこの土地から追い出してしまいます[8]。わたしはあなたの目の届かない所にやられます[9]。わたしは地をさまよいさすらう者となり、わたしを見る人はだれでも、わたしを殺すでしょう。 15ヤーウェは、「それならば、カインを殺す者はだれでも、七倍の復しゅうを受けるであろう」とカインに言われた。そしてヤーウェは、だれがカインを見ても、かれを打ち殺すことのないように、カインにしるしを付けられた[10]16カインはヤーウェのみまえを退き、エデンの東、ノドの地に住んだ[11]

カインの子孫と文明のはじまり [編集]

[12]

 17カインは妻を知った。妻はみごもってハノクを産んだ。カインは一つの町をつくり、その子ハノクの名にちなんで、その町を名づけた。 18ハノクにはイラドが生れ、イラドはメフヤエルを生み、メフヤエルはメトシャエルを生み、メトシャエルはレメクを生んだ。 19レメクはふたりの妻をめとった。ひとりの名はアダ、他のひとりはチッラと呼ばれた。 20アダはヤバルを産んだ。ヤバルは天幕に住み、家畜を飼う者の始祖[13]となった。 21その弟の名はユバルといい、琴と笛を奏するすべての者の始祖となった。 22チッラはトバル・カインを産んだ。トバル・カインは青銅と鉄で種々の道具を造るかじやであった[14]。トバル・カインの妹はナアマといった。

 23レメクは妻たちに言った、

「アダとチッラよ、わが声を聞け、
レメクの妻たちよ、わがことばに耳を傾けよ。
わたしを傷つけるならば、わたしは人を殺し、
わたしに打ち傷を与えるならば、若者を殺す。
24カインのための復しゅうが七倍ならば、
レメクのためには七十七倍[15]」。

シェトの子孫と祭式のはじまり [編集]

 25アダムはまた妻を知った。彼女は男の子を産み、「カインに殺されたアベルの代りに、神はわたしにもうひとりの子を授けられました」と言って、シェトと名づけた[16]26シェトにも男の子が生れ、その子をエノシュと名づけた。エノシュはヤーウェのみ名を呼んだ[17]最初の人であった[18]


【注】

  1. (1) 「カイン」は「かじや」の義(22節のトバル・カイン参照)。しかしここではエワが「カイン」とこれに発音が似ている「カナー」(「得る、所有する」の義)とを結びつけたものである。「カナー」には「産む、造る」の義もある。神が主語の場合には「創造する」の義。この義だとすれば、本句は神に協力して最初の子を形造る(マカバイ下7:21b-23a参照)にあたってのエワの驚いた表現である。3:20はここに属すると考えるものが多い。
  2. (2) レビ1:12参照。「ういご」「肥えたもの」は、アベルが最も良いものだけを心からささげたことを意味する(出34:19、民18:17、レビ3:9-11 14-16参照)。
  3. (3)ヘブライ11:4参照。神は特別なしるしで表わす(例、士6:21、レビ9:24)。
  4. (4) 本節の大体の意味ははっきりしている。すなわちカインの心の中にはいりこもうとしている邪念(アベルを殺そうという悪い考え)を制するようにと神がカインに警告しているのである(ヨハネ一書3:12参照)。直訳では、「おまえがよくすれば、『上げること』ではないか。しかしおまえがよくしなければ、罪は戸口に伏しているものではないか。それ(伏しているもの)はおまえを慕うが、おまえはそれをおさえなければならない」。「上げることではないか」を「おまえ(とその供え物)はよみされるではないか」の意味に解する者も多いが、本訳のほうが適当と思われる。「伏しているもの」は文法上から見れば分詞(創世記に用いられている他の箇所は29:2 49:14 25)で、男性(「ロベツ」)であるが、この語に関連している名詞「罪」は女性である。おそらく著者の考えが罪の象徴として一般によく知られていたある男性名詞に移ったのであろう。したがってそのあとに続く「それ」は女性ではなく男性となっている。著者が3:24で神の使いを描くにあたってバビロニアの「カリブ」の姿を借りて表現したように(3注12参照)、ここにはじめてしるされた「罪」というものの本性、すなわち人の心にはいりこもうとするものであることを描くために、ここではアッカド人の考える悪鬼「ラビツ」(ロベツと子音は同じ)の姿を借りたものと思われる。この「ラビツ」は家の中にはいりこもうとして戸口のところですきをうかがっている野獣のように伏したものと、当時一般に信じられていた。ペトロ一書5:8で悪魔が「しし」と呼ばれている。
  5. (5) アダムとエワは神に問いただされて苦しい弁解をしたが(3:10 12 13)、カインは無礼な虚偽の答をした。
  6. (6) 申12:23「血は命……」参照。血が土の上に流されておおわれないならば、復しゅうを天に呼び求める。エゼキエル24:6-9、ヨブ16:18。
  7. (7) 「わたしの罰は重すぎてたえられません」、あるいは「わたしの罪はあまりにも大きすぎてゆるされません」とも訳される。
  8. (8) 今まで耕してきたエデンの肥えた土地から追い出されること。
  9. (9) エデンで生活している人々が受けている神の特別保護から離れること。
  10. (10) エデンから離れるカインを保護するために彼につけられたしるしは、カインの嘆願に答えられた神の慈悲によるものである。この「しるし」はカインに与えられた保証という意味にも解される。
  11. (11) 「ノド」についてはここにしるされている以上のことは何も知られていない。12:14節の「さまよいさすらう者」の原語「ナー」「ナド」によく似ている。エデンの外にはすでに他の人々がいてカインを見れば殺すだろうということが14-15節にしるされているので、カインとアベルの事件は実際にはもっとあとで起ったのかもしれないと考えられる筋もある。それで二代後のケナン(5:9)とカインを同一人物であろうと見るものもある。それはとにかく著者はここで世にはびこってゆく罪悪をわれわれにはっきり示している(注5参照)。3章では最大のおきての第一にそむいた人祖の罪とその結果が述べられ、ここでは第二(マテオ22:36-40)にそむいた罪とその結果が述べられている。時にはっきり表わされていることは、神が罪をきらっておられることと、その罪がどこでだれによって犯されようと必ず復しゅうがあるということである。しかし神は親心から前もって警告を与え(7節参照)、犯罪後でも慈悲を示される(前注参照)。それでも人の罪悪はふえるばかりで(19節の一夫多妻、23-24節の高慢と残忍性)、罰として大洪水が起るまで続く(6:1-7)。
  12. (12) 2節はカインとアベルの二つの職業をしるし、17-22節はカイン家の七代について物語っている。これらが文明のはじまりとなっている。叙述された事がらとその名は符合する。たとえば、「ハノク」は新築祝いをする(申20:5参照)という意味の「ハナク」に似ている。ヤバル、ユバル、トバル・カインについては注14を見よ。あとで放浪者となったカインの名はケニ人と呼ばれる放浪かじや(民24:21 22。士1:16 4:11 17参照)の名のおこりであると思われる。
  13. (13) 直訳では「父」。
  14. (14) 「ヤバル」「ユバル」「トバル・カイン」の意味は彼らが身につけたわざに符合する。「ヤバル」は「導く」の義で、らくだ係「ウビル」(歴上27:30)と語根は同じ。「ユバル」は角笛(出19:3)を意味する「ヨベル」に似ている。「トバル」は北に住み(10:2)青銅で物を造る(エゼキエル27:13)人々の名である。「トバル」のあとについている「カイン」は「かじや」の義でギリシャ語訳にはない。あとの書入れと思われる。
  15. (15) キリストは復しゅうの正反対、すなわち人をゆるすことを命じるにあたって、さらに数字をふやしている。七度でなく七の七十倍まで兄弟をゆるさなければならないと、ペトロに命じている(マテオ18:22)。
  16. (16) 「シェト」は「授ける」の義の「シャート」によく似ている。「シャート」には「置く」の義もあり、3:15にも用いられている。なお「子」の原語と3:15の「子孫」の原語は同じ。シェトは救世主を出す家系の祖。
  17. (17) 「み名を呼ぶ」ということは、唯一の神を礼拝するときの正式の型で一般に供え物とか宗教的儀式を伴う(12:8 26:25、列上18:24-26)。ロマ10:13も参照。ヤーウェ伝承は洪水以前でも「ヤーウェ」という名称が使用されていたように伝えているが、これと異なり司祭伝承とエロヒム伝承(これもモイゼ五書のおもな資料)は、この名称が正式にモイゼに示されるまでその使用のことについては述べていない(出6:2-3 3:14)。
  18. (18) 本訳は原典の意味に近いと思われる。現存原文によれば、「そのとき人々はヤーウェのみ名を呼びはじめた」。「エノシュ」は他の箇所では「人」「人々」を意味する詩的用語(例、申32:26)。

第5章 [編集]

洪水以前の太祖 [編集]

[1]

 1アダムの系図[2]は次のとおりである。神はアダムを創造された時、ご自身に似せて造られた。 2そして男と女とに造って祝福し、その名を「人」と名づけられた。これはかれらが創造された時のことであつた。 3アダムは百三十歳の時、自分にかたどられて自分に似た男の子を生み、その名をシェトとつけた。 4アダムはシェトを生んでから八百年生きながらえ、幾人かの男の子と女の子を生んだ。 5アダムの一生は九百三十年であった。そして死んだ。

 6シェトは百五歳の時、エノシュを生んだ。 7シェトはエノシュを生んでから八百七年生きながらえ、幾人かの男の子と女の子を生んだ。 8シェトの一生は九百十二年であった。そして死んだ。

 9エノシュは九十歳の時、ケナンを生んだ。 10エノシュはケナンを生んでから八百十五年生きながらえ、幾人かの男の子と女の子を生んだ。 11エノシュの一生は九百五年であった。そして死んだ。

 12ケナンは七十歳の時、マハラレエルを生んだ。 13ケナンはマハラレエルを生んでから八百四十年生きながらえ、幾人かの男の子と女の子を生んだ。 14ケナンの一生は九百十年であった。そして死んだ。

 15マハラレエルは六十五歳の時、エレドを生んだ。 16マハラレエルはエレドを生んでから八百三十年生きながらえ、幾人かの男の子と女の子を生んだ。 17マハラレエルの一生は八百九十五年であった。そして死んだ。

 18エレドは百六十二歳の時、ハノクを産んだ。 19エレドはハノクを生んでから八百年生さながらえ、幾人かの男の子と女の子を生んだ。 20エレドの一生は九百六十二年であった。そして死んだ。

 21ハノクは六十五歳の時、メトシェラーを生んだ。 22ハノクは神とともに歩んだ[3]。ハノクはメトシェラーを生んでから三百年生きながらえ、幾人かの男の子と女の子を生んだ。 23ハノクの一生は三百六十五年であった。 24ハノクは神とともに歩み、神がハノクを取られたので[4]、見えなくなった。

 25メトシェラーは百八十七歳の時、レメクを生んだ。 26メトシェラーはレメクを生んでから七百八十二年生きながらえ、幾人かの男の子と女の子を生んだ。 27メトシェラーの一生は九百六十九年であった。そして死んだ。

 28レメクは百八十二歳の時、男の子を生み、 29「この子はヤーウェにのろわれた土地でほねおって働くわれわれを慰めるであろう」と言って、その子をノエと名づけた[5]30レメクはノエを生んでから五百九十五年生きながらえ、幾人かの男の子と女の子を生んだ。 31レメクの一生は七百七十七年であった。そして死んだ。

 32ノエは五百歳になって、セム、ハム、ヤフェトを生んだ。


【注】

  1. (1) 本章の系図と11:10-26のセムの系図にしるされている年齢は象徴的なものである。一般に太古の年表が文字どおりとられていないことはバビロニアの年表を見れば明らかである(これによれば洪水前のバビロニア王朝の十代はそれぞれ数万年ずつになっている)。また本章中の数字が他の古代語写本と訳本(サマリア五書や七十人訳)の中で計画的に変えられているように見えることからも明らかである。これらの数字は文献的史料の存在しなかった時代の未知の数万年に橋渡しするために案出されたもので、この方法は当時一般に用いられていた。ここではアダムからアブラハムまでの時代、すなわちアダムからノエまで(5章)とセムからアブラハムまで(11:10-26)がこの方法でしるされている。著者は当時の支配者の系図のかわりにアダムの系図をしるし、全人類はみな同一の先祖をもち、その先祖は神によって神にかたどられ(1:26)、神に似せて(5:1)造られたことを説いている。その「かたどり」は、大部分の人の心が悪に傾いたにもかかわらず、神のまことの「かたどり」である救世主キリスト(コリント後4:4)が第二のアダムとしてすべてのものをご自身において一つのかしらのもとにまとめる(エフェゾ1:10)ために来られるまで、選民の中の神の子ら(6:2、申14:1参照)によって受け継がれている。アダムはキリストの先祖(ルカ3:23-38)、前表(ロマ5:14)である。
  2. (2) ヘブライ語では「トレドス」。2注4参照。アダムとシェトの系図はヤーウェ伝承に基づいて4:25-26から始まっているが、本節で断ち切られ(しかし注5を見よ)、もっと系統的な司祭伝承に基づく系図がこれに代っている。これは1:1-2:4aの伝承に同じ。
  3. (3) 同句がノエのことについて6:9で用いられている。アダムとエワの堕落以前の状態(3:8参照)に似たもので、神との親交を意味する。
  4. (4) おそらく神がエリアを引き取られた時と同じように。列下2:1-12に同句が数回でる。ハノクの神との親交はシラ44:16に後世の鏡とされ、聖パウロはヘブライ11:5にその信仰をたたえている。またハノクのことはユダ14-15節にもしるされている。
  5. (5) 本節は「ヤーウェ」の文字が使用されているので、4:26でとぎれたヤーウェ伝承による系図物語の断片である。「ノエ」という名は「慰める」のヘブライ語「ナヘム」にちなんでつけられている。「ナヘム」のはじめの二つの子音は「ノエ」の子音に同じ。「ヤーウェにのろわれた土地で」については3:17 8:21参照。原語からは「……土地から慰めをわれわれに与えるであろう」という意味にもとれる。そうだとすれば、本句はノエのぶどうづくり(9:20)を暗示したもの(詩104〔103〕15、格31:6-7、エレミヤ16:7参照)。本節に含まれている予言は救世主を意味するものと解する教父もある(ペトロ一書3:20参照)。

第6章 [編集]

[1]

人類の堕落 [編集]

 1人間がこの世にふえはじめてかれらに娘たちが生れた時、 2神の子らは人の娘たちを見て好ましいと思い、望むままに彼女らを妻にめとった。 3そこでヤーウェは、「わたしの霊はその中にいつまでもとどまらない。人はまったく肉であるから。人の日数は百二十年にすぎない[2]」と言われた。

 4神の子らが人の娘たちの所にはいり、娘たちが子を産んだころ、またそのあとでも[3]、地上にネフィリムがいた。その人たちは太古の勇士で、名高い人々であった。

罰としての洪水 [編集]

[4]

 5ヤーウェは、人の悪が地上にはびこり、あらゆる心の思いが絶えず悪いことにばかり傾いているのを見て、 6地の上に人を造ったことを悔み[5]、心を痛められた。 7ヤーウェは、「わたしは、創造した人をはじめ、家畜、はうもの、空の鳥までも、地のおもてから滅ぼそう。それらを造ったことを悔いるから」と言われた。 8しかし、ノエはヤーウェの心にかなっていた。

 9ノエ家の歴史は次のとおりである。ノエは当時の人々の中で正しく、かつ全き人であった。ノエは神とともに歩んだ。 10ノエは三人のむすこ、セム、ハム、ヤフェトを生んだ。 11神の前に、世は堕落し、暴虐に満ちていた。 12神が世を見られると、非常に[6]堕落していた。肉からなるものがみな堕落した生活をしたからである。 13そこで神はノエに言われた、「わたしは肉からなるものをみな絶やそうと思う。かれらのゆえに世は暴虐に満ちているから。わたしはかれらを世もろとも滅ぼそう。

ノエの箱船 [編集]

 14おまえはゴーファ材[7]で箱船を造れ。箱船の中にへや[8]を造り、そのうちそとをチャンで塗れ。

 15造り方は次のとおりである。箱船の長さは三百アンマ[9]、幅は五十アンマ、高さは三十アンマ。 16箱船に屋根を造り、上から一アンマに仕上げよ[10]。また箱船の戸口を横側に設けよ。なお箱船の中にふなぐらと二階と三階を造れ。 17見よ、わたしは地の上に洪水をおこし、天の下の命の息のある肉からなるものをすべて滅ぼそうとしている。世にあるものはことごとく死に絶えるであろう。 18しかし、わたしはおまえと契約をする。おまえは、むすこたち、妻、むすこたちの嫁らとともに、箱船にはいれ。 19すべて肉からなるあらゆる生きものを、それぞれ二つずつ箱船に入れて、おまえとともに生き残るようにせよ。それらは雄と雌でなければならない。 20あらゆる種類の鳥、あらゆる種類の家畜、地をはうあらゆる種類のすべてのものの中から、それぞれ二つずつがおまえのところに来るから、それらを生き残らせよ。 21そしておまえは食べられるあらゆる種類の食べ物を集めて手もとにたくわえ、おまえとそれらの食べ物とせよ」。 22ノエはそのとおりにした。ノエはすべて神が命じたとおりにした。


【注】

  1. (1) 著者は1章で創造の事実を述べるにあたり、当時の通俗な世界開びゃく説を用いて写実的にしるしているが、ここでもだいたい同じように、洪水をひき起したころの堕落状態を描くにあたって、当時一般に伝えられていた神話、すなわち天人と人の女との不倫から生れた巨人に関する伝説の中の語句を用いたものと思われる。それはとにかく、著者のいう「神の子ら」はここでは天人のことではない。義人、特にシェトの子孫中の霊的な人々をさしている(ルカ3:38にシェトの父アダムは神の子としるされている。申14:1参照)。「人の娘たち」は悪い女、特にカインの子孫でまったく肉的な女たちのこと。2節の「望むままに…めとった」は不信仰なレメク(4:19)がはじめた一夫多妻のことを意味し、当時一般のならわしとなっていた。「めとりとつぎ」(マテオ24:38、ルカ17:27参照)はこの時代について述べたキリストのことばである。
  2. (2) 一般人類の生命の息(2:7、詩104〔103〕29-30参照)は百二十年後の洪水によって断だれるであろうという神の宣告(おそらくヨナ3:4の場合と同じような悔い改めの期間。ハノクの審判についての予言、ユダ14-15節参照)。義人までも罪を犯すようになり、人間は「まったく肉」的になった。そしてもはや神に似たものではなくなり(1:26参照)、神から与えられた生命を持つにふさわしくなくなった。以上の解釈はギリシャ語訳、ラテン語訳、シリや語訳に一致するものである。またこの不明なヘブライ文の意味を「わたしの霊はいつまでも人の中で(人の堕落によって)卑しめられるべきではない」と解する者もある。この不明なヘブライ語に類似したアッカド語の語根の意義にしたがって解すれば、「わたしの霊は人のためにいつまでもその責めを負うべきではない」。すなわち「わたしの霊(罪に悩まされる神聖な霊、イザヤ63:10参照)は、わたしが造った人間をいつまでも生かしておくということをわたしに許さないであろう」。5-7節はこの考えが発展したものであろう。
  3. (3) 「またそのあとでも」はおそらく後の書入れ(民13:33参照)。知14:6には昔の巨人の高慢と洪水による罰のことがしるされている(バルク3:26-28、シラ16:7参照)。ネフィリム(巨人)もしくは勇士は不道徳な結婚によって生れたものと考える者が多い。しかし著者ははっきりとそうは言っていない。人のいかなる力も神のさばき(洪水)にあえば無力であることを示すために、その時代に巨人が存在していたことを引合いに出したのであろう。
  4. (4) 洪水物語は司祭伝承とヤーウェ伝承に基づくもので、6:5から9:17にわたってしるされている。著者は統計的な司祭伝承のほうを主として用い、これに鮮明で通俗的なヤーウェ伝承を少しずつ織り込んでいる。6:5-7a 7c-8 7:1-6 7a 8a 9b-10 12 22-23a 23c 8:2b-3a 6 8-12 13bがだいたいヤーウェ伝承によるものであろう。その結果交互に組み合わされほとんど二重記事になっている。著者は両者の不調和(例、箱船の中の動物の数や特に洪水の日数)を別に問題としていない。このことは著者が記事の細部に歴史性を認めていないことを意味する。これらは著者にとってはまったく二次的なものである。聖書の記事に類似した古代バビロニアの伝説はかなりある。前者は後者に依存するものではないが、両者の内容に多くの共通点が見られる。したがってともに同じ「歴史上の核心」を持ったものであるということがわかる。すなわちメソポタミアの大洪水中の出来事を核心として通俗な叙事詩の形で洪水が世界に及んだものとしている。しかしヤーウェ伝承と司祭伝承に含まれている叙事詩の要点(8:22および注8、9:8-17および注2参照)や、著者が両伝承を用いた目的はバビロニア伝説の場合と全く異なっている。その目的は洪水物語中に説明されているように「神は聖にして罪をきらい罪を罰する一方、他方では義人をあわれむ」という真理を公にすることである。新約中には、教訓的な意味をもって洪水のことがしるされている。ヘブライ11:7、ペトロ一書3:20-21、マテオ24:37-38、ルカ17:26-27参照。教父たちは、「ノエの箱船は教会の前表で、教会にはいらないものは救われない」と説いている。
  5. (5) 神が罪を極度にきらっておられることを強く表現したことば。神は不変(民23:19、サムエル上15:29参照)。
  6. (6) 直訳では「見よ」。注意を引くための語。本節は1:31の形とまったく同じ。神のわざと人のわざとは著しい対照をなすことが暗示されている。
  7. (7) この語はここに一回用いられているだけ。[いとすぎ」か「もみ」のような木をさしているのであろう。
  8. (8) 直訳では「巣」。原語の子音から「よし」「あし」、すなわち船板のつぎ目を詰める「繊維」の意味にもとれる。
  9. (9) 原始的尺度。ひじから中指の先端までの長さで約四十五センチ。一般にはラテン語の「クビト」という単位名で表わされている。ノエの箱船と同じ大きさの近代船は約一万五千トンぐらいであろう。
  10. (10) 「屋根」と訳されている語は本節に一回用いられているだけで、その意味はあいまいである。側面の最上部を一アンマの幅で取り巻いているすきまのような「窓」と訳す者もある。「上から…仕上げよ」の原語の意味も不明で、いろいろと推測されているが、その一つは「箱船の上の端から一アンマ外側におおいのように屋根をかぶせよ」という解き方である。これはノエが箱船の外を見ることができなかったことと符合する(8:6-13および注3参照)。

第7章 [編集]

 1ヤーウェはノエに言われた、「おまえとおまえの家族はみな箱船にはいれ。わたしはおまえを今の世の人の中で正しいと見たからである。 2おまえはすべての清い獣の中からそれぞれおすめすあわせて七匹ずつ[1]、清くない獣の中から雄雌一つがいずつ、 3また空の鳥の中からもそれぞれ雄雌あわせて七羽ずつ取り、それらの種類が全地の上に生き残るようにせよ。 4あと七日たてばわたしは地の上に雨を四十日四十夜降らせ、地のおもてからわたしが造った生きものをすべて滅ぼすからである」。 5ノエはすべてヤーウェの命じたとおりにした。

乗船 [編集]

 6洪水こうずいが地の上におこった時、ノエは六百歳であった。 7ノエ、むすこたち、妻、むすこらの嫁たちは、洪水を避けるためにともに箱船にはいった。 8神がノエに命じたとおり、清い獣、清くない獣、鳥、地をはうすべてのものの中から、 9雄雌一つがいずつがノエの所にきて箱船にはいった。 10それから七日たって洪水が地の上におこった。

洪水 [編集]

[2]

 11ノエの生涯の六百年目の第二の月の十七日、ちょうどその日に大きな深淵しんえんの源がことごとく破れ、天の水門が開かれた。 12そして大雨が四十日四十夜、地の上に降った。 13その同じ日に、ノエとノエのむすこたちセム、ハム、ヤフェト、それからノエの妻とむすこたちの三人の嫁がともに箱船にはいった。 14あらゆるすべての種類の獣、あらゆるすべての種類の家畜、地をはうあらゆるすべての種類のもの、あらゆるすべての種類の鳥、羽のあるすべてのものも翼のあるすべてのものも、はいった。 15命の息のある肉からなるものがみな一つがいずつ、ノエの所にきて箱船にはいった。 16はいったものはすべて肉からなるものの雄と雌で、それらは神がノエに命じたとおりのものであった。そしてヤーウェはノエを中に閉じ込められた。 17洪水は四十日の間、地の上に続いた。水が増して箱船をおし上げ、箱船は地から浮き上がった。 18水はみなぎり地の上に大いにみちあふれ、箱船は水のおもてに漂った。 19水はますますみなぎり、天の下の高い山はすべておおわれてしまった。 20水はさらに十五アンマみなぎり、山々はおおわれた。 21地の上を動く肉からなるものはみな、鳥も家畜も獣も地に群がるすべてのものも、人もみな死んだ。 22鼻に命の息のあるすべてのもの、すなわち陸にいたものはことごとく死んだ。 23ヤーウェは地の上の生きものをすべて、人をはじめ、家畜、はうもの、空の鳥までも、滅ぼされた。それらはこの世から滅ぼされ、ノエと、箱船にノエとともにいたものだけが生き残った。 24水は百五十日の間、地の上にみなぎっていった。


【注】

  1. (1) 「清い獣」は食用といけにえに供せられた獣。「七匹ずつ」はおそらくそれぞれ三つがいと一匹の雄。この雄は8:20に述べられているいけにえのためのものかもしれない。直訳では「七つ七つ」で、七つがいの意味にもとれる。司祭伝承ではただ種類ごとに一つがいとなっている(6:19-20)。またモイゼの律法によって定められるまで清い獣と清くない獣の区別をしていない(レビ11)。
  2. (2) 司祭伝承によれば、深淵の水がまだ大空によって分けられていなかったころの原始宇宙の状態に復帰しかかったために洪水がおこり(11節の「天の水門が開かれた」、1:6-9および注5参照)、水は百五十日の間高くなっていったことになる(7:24)。ヤーウェ伝承によれば、四十日四十夜降った雨のために洪水がおこったことになる。著者は両者をあわせ用いて後者の四十日を前者の百五十日のはじめの部分とし、また8:6ではこの四十目を箱船から外に出るまで待っていた期間のはじめの部分であるとしている。

第8章 [編集]

水の衰え、下船 [編集]

 1神は、ノエと、箱船の中にノエとともにいたすべての獣と、すべての家畜とを思い出された。そこで神は地に風を送られ、水はおさまった。 2深淵しんえんの源と天の水門は閉ざされ、天からの雨は止められた。 3水は地の上から絶えず引いていった。洪水こうずいがおこって[1]から百五十日後に減りはじめた。 4第七の月の十七日に箱船はアララト[2]の山に留まった。 5水はますます減って第十の月に及び第十の月の一日に山々の頂が現われた。

 6四十日後にノエは箱船に造っておいた窓[3]を開いて、 7からすを放した。からすは地の上の水がかれるまで出たりもどったりした[4]8そこでノエは水が地の面から引いたかどうかを見るために、かれのもとからはとを放した。 9しかしはとは足をとどめる所が見つからなかったので、箱船のノエの所に帰ってきた。水が全地をおおっていたからである。ノエは手をさし伸べてはとを取り、箱船の中に引き入れた。

 10ノエはさらに七日待って、またはとを箱船から放した。 11はとは夕方ノエの所に帰ってきた。見ると、むしり取ったばかりのオリーブの葉を口にくわえていた。 12それでノエは水が地から引いたことを知った。ノエはさらに七日待って、またはとを放した。しかし、はとはもうノエの所に帰ってこなかった。

 13第六百一年[5]の第一の月の一日に、地の上の水はかれた。ノエが箱船のおおいをはずして、地の面を見るとかわいていた。 14第二の月の二十七日に地はかわききった。 15そこで神はノエに言われた、 16「おまえは、おまえの妻、むすこたち、むすこたちの嫁らとともに箱船から出よ。 17あらゆる肉からなるもののうち、おまえの所にきた生きものは、鳥も家畜も地をはうすべてのものもことごとく、地に群がり、地の上に生み、ふえるように、外に連れて出よ」。 18ノエは、むすこたちと妻とむすこたちの嫁らを連れて外に出た。 19すべての獣、すべての家畜、すべての鳥、地をはうすべてのものは、その種類ごとに箱船の外に出た。

洪水後ノエのささげたいけにえ [編集]

 20さてノエはヤーウェのために祭壇を築き、すべての清い獣すべての清い鳥の中から取って、祭壇の上で燔祭はんさい[6]をささげた。 21ヤーウェは意にかなうかおり[7]をかがれた時、心の中で言われた、「わたしはもう二度と人のゆえに土をのろわない。人の心は若い時から悪に傾いているからである。わたしがこのたびしたように、もう二度とすべての生きものを滅ぼすということはしない。

22地のあるかぎり、
種まき時と取入れ時、寒さと暑さ、
夏と冬、昼と夜は、
やまないであろう[8]」。

【注】

  1. (1) 「洪水がおこってから」はヘブライ文にはない。直訳では単に「あの(百五十日)」。すなわち7:24の「百五十日」。
  2. (2) アララトは古代のウラルト地方で、アルメニアおよび少し南にはみでた地方も含む。アララト山の位置は巻末第三図の中にしるされている。
  3. (3) 「窓」は屋根に造られたということがはっきりしている。そこからは空しか見えなかったので、ノエはかわいた所があらわれたかどうかを見るために、はとを放した。古代の船乗りは四面陸の見えない海上で鳥を放し、その飛んでいった方向に進路を定めたものである。三度目に放したはとが帰ってこないので、ノエはおおい(13節)をはずしても心配はないことを知った(6:16および注10参照)。そしてノエ自身で大地のかわいているのを見た。
  4. (4) 「からす」のことをしるした本節は洪水を物語るもう一つの伝承から取られたものかもしれない。そうだとすれば、本節をここにさしこんだために、「七日待ってはじめてはとを放した」という文句が押し出されたのかもしれない。10節の「さらに七日」という文句からそう思われる。
  5. (5) ノエの生涯の第六百一年のこと。ギリシャ語訳ではこのように書き入れている。
  6. (6) 宗教用語。いけにえを焼きつくし少しも司祭や献納者の食用とせず、全部を神にささげる祭。レビ1参照。
  7. (7) 直訳では「なだめるかおり」。後に「よみされるささげ物」を表わす形容語となる(例、出29:18 25 41、レビ1:9 13 17)。ミサ聖祭中カリス奉献の時の祈りの中にもこれと同じ表現がある。
  8. (8) もう二度と大洪水をおこさないというヤーウェの厳粛な約束。洪水に関するヤーウェ伝承はここで終っている。司祭伝承は同じ保証を厳粛な契約の形で表わしている(9:8-17参照)。

第9章 [編集]

ノエ祝福される。禁断の血 [編集]

[1]

 1神はノエとそのむすこたちを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ。 2野のすべての獣、空のすべての鳥は、地をはうすべてのものと海のすべての魚とともに、おまえたちを恐れおののくであろう。これらのものはおまえたちの手に渡される。 3命のある動くものはことごとく、おまえたちの食べものとなる。わたしはすべてのものを青草と同じように、おまえたちに与える。 4しかし命のある、すなわち血のある肉は、食べてはならない。 5わたしは、おまえたちの命の血の値を必ず要求する。いかなる獣からも、また人からも、それを要求する。人間同志からでも、わたしは人の命を要求する。

6人の血を流す者はだれでも、人によって血を流される。
神にかたどって、人は造られたからである。

7おまえたちは、生めよ、ふえよ、地に群がり、地にふえよ」。

ノエとの契約 [編集]

[2]

 8次に神はノエとそのむすこたちに言われた、 9「見よ、わたしはおまえたちとおまえたちのあとに続く子孫と契約を立てる。 10またおまえたちとともにいるすべての生きものと、おまえたちとともにいる鳥、家畜、野のすべての獣、およそ箱船から出てきたものはみな、野のすべての獣とさえも、契約を立てる。わたしはおまえたちに契約をする。 11もうふたたび洪水こうずいによって、すべて肉からなるものが断たれることはない。もう二度と地を滅ぼす洪水はない」。

 12また神は言われた、「わたしと、おまえたちおよびおまえたちとともにいるすべての生きものとの間に、わたしが代々よよいつまでも立てる契約のしるしはこれである。 13わたしは雲の中にわたしのにじを立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。 14わたしが地の上に雲を集め、にじが雲の中に見える時、 15わたしは、おまえたち、すべての生きもの、すべて肉からなるものと、わたしとの間の契約を思い出す。水はもう二度とすべて肉からなるものを滅ぼす洪水とはならない。 16にじが雲の中にある時は、わたしはそれを見て、神と、地の上にあるすべての生きもの、すべて肉からなるものとの間の永久の契約を思い出す」。 17また神はノエに、「これはわたしと、地の上のすべて肉からなるものとの間に、わたしがする契約のしるしである」と言われた。

ノエの子ら [編集]

[3]

 18箱船を出たノエのむすこたちは、セム、ハム、ヤフェトであった。ハムはカナアンの父である。 19この三人はノエのむすこで、全地の人々はこの三人から分れ出た。

 20さてノエは農夫となり、ぶどう畑を造りはじめた。 21ノエはぶどう酒を飲み、酔って天幕の中で裸になっていた。 22カナアンの父ハムは父の隠しどころを見て、外にいたふたりの兄弟に告げた。 23しかしセムとヤフェトはマントを取って、自分たちの肩にかけ、うしろ向きになって進み、父の隠しどころにかぶせた。ふたりは顔をそむけていたので、父の隠しどころを見なかった。 24ノエは酔いからさめて、末のむすこが自分にしたことを知った時、 25ノエは言った、

「カナアンはのろわれよ。
兄弟のしもべのしもべとなれ」。

26さらに言った、

「セムの神、ヤーウェは賛美されますように[4]
カナアンはセムのしもべとなれ。
27神はヤフェトを広がらせ[5]
セムの天幕にかれを住まわせられるように。
カナアンはかれのしもべとなれ」。

28ノエは洪水のあと三百五十年生きながらえた。 29ノエの一生は九百五十年であつた。そして死んだ。


【注】

  1. (1) ノエとその子らは第二の人祖として(19節)、アダムとエワが受けた祝福と同じものを受ける(9:1と1:28を比べよ)。しかし人間と動物の間に新しい関係が立てられる。すなわち人類ははじめ平和のうちに動物を支配し(2:19)、食べものとして植物だけを与えられていたが(1:29)、これからは力ずくで動物を支配し(2節)、その肉を食べてもよいことになる(3節)。しかし血は魂であり(申12:23、レビ17:10-14参照)、神のものであるから、食用とせずに(4節)、神に返さなければならない(レビ17:4)。神にかたどって造られた人間の生き血はなおさら聖である(5-6節)。人間の血がはじめて流された時、神が直接カインを罰されたが(4:9-12)、これからは人の血を流せば、殺害者の生き血が要求される。すなわちほかの人、または「血のあだを討つ者」(民35:19-21、申19:12)と呼ばれる親族の手によって要求される。また人間を殺す動物も殺される(出21:28)。動物の血を食べた者は神から罰を受ける(レビ17:10)。
  2. (2) 神がノエとすべての生きものになされたこの契約は(6:18参照)、司祭伝承による洪水物語の要点である(8:22参照)。この伝承による宇宙の概念(1:1-10)すなわち陸地は天界の大洋、地上の海、地下の深淵に取り囲まれているという考えからすれば、全物語のいちばん重要な箇所は大洪水は二度とおこらないという神の厳粛な約束である(イザヤ54:9参照)。次の滅亡、すなわち世界最後の滅亡は火によって行われるであろう(ペトロ二書3:5-7 10-13参照)。ノエに与えられた契約は、旧約における神の三つの契約の最初のもの。この三つは新約の準備(コリント前11:25、ルカ22:20参照)。第一、ノエとの契約のしるしは「にじ」(9:13、直訳では「〔神の〕弓」)、第二、アブラハムとの契約のしるしは割礼(17:11)、第三、モイゼとの契約のしるしは安息日(出31:16-17)。契約という考えは旧約聖書に行きわたっている。
  3. (3) 18-27節では次の点があいまいである。(一)18節ではハムはノエの次男であるが、24節では末のむすことなっている。(二)22節はハムを犯人にしているが、25-27節ではのろわれるのは彼のむすこカナアンとなっている。20-27節は、セム、ヤフェト、カナアンをノエのむすことして物語っている古いほうのヤーウェ伝承から取ったものであり、22節の「……の父ハム」は後のつけ加えで、この伝承では末のむすこカナアンが犯人となっていたのであろうという解き方がある。もう一つは、ハムはすでに神から祝福されたものであるから(9:1)、犯人ではあるが、のろわれるのはむすこのカナアン以下の子孫であるという解き方である。後にイスラエル人(セム族)に征服されるカナアン人(26節)は堕落した有名な民族である。
  4. (4) セム族は特別の祝福を受け、神ヤーウェを知る民族となる。ヤーウェはイスラエル人と特別の契約を結び、彼らは選民となる(イザヤ51:16参照)。太祖の祝福は効力があって取り消すことができず、子孫にも及ぶものとされている(27 49章参照)。
  5. (5) 「ヤフェト」は「ヤフト」(広がらせる)に発音が似ている。「セムの天幕に……」という文句に、イスラエル(セム)の霊的子孫である教会にはいる異邦人(ヤフェト)は救われるという予言が含まれていると解する教父が多い。

第10章 [編集]

民族表 [編集]

[1]

 1ノエのむすこセム、ハム、ヤフェトの系図は次のとおりである。洪水の後、かれらに子が生れた。

 2ヤフェトの子は、ゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メシェク、チラスである。 3ゴメルの子は、アシュカナズ、リファト、トガルマである。 4ヤワンの子は、エリシャ、タルシシュ、キヅチ人、ドダン人である。 5これらから民族の島々[2]は分れ出ている。以上は、その国々、それぞれのことば、その氏族、その民族にしたがったヤフェトの子孫である。

 6ハムの子は、クシュ、エジプト、プト、カナアンである。 7クシュの子は、セバ、ハビラ、サブタ、ラーマ、サブテカである。ラーマの子は、シェバとデダンである。

ニムロドの偉業 [編集]

8クシュはニムロド[3]を生んだ。ニムロドはこの世の最初の征服者で、 9ヤーウェの前に強いかりうどであった。それで、「ヤーウェの前に強いかりうどニムロドのように」とうたわれた。 10かれの王国の基は、バベル、エルク、アッカドで、みな[4]、シンアル地方にあった。 11その地方からアッシュルに進み、ニネベ、レホボト・イル[5]、カラー、 12およびニネベとカラーの間にレセンを築いた。それはあの大きな町[6]である。

 13エジプトは、ルド人、アナム人、レハブ人、ナフトー人、 14パトロス人、カスルー人、カフトル人を生んだ。カフトルからペレシェト人が出た。

 15カナアンは、長男シドン、ヘト、 16およびエブシ人、アモル人、ギルガシ人、 17ヒッビ人、アルキ人、シニ人、 18アルワディ人、ゼマリ人、ハマチ人を生んだ。後にカナアン人の諸族は散り広がった。 19カナアン人の境界はシドンからゲラルの方向のガザに至り、ソドム、ゴモラ、アドマ、ゼボイムに向かい、レシャーにまで及んだ。 20以上は、その氏族、そのことば、その国々、その民族にしたがったハムの子孫である。

 21セムにも子が生れた。セムはエベルのすべての子孫の先組で、またヤフェトの兄である。 22セムの子は、エラム、アッシュル、アルパクシャド、ルド、アラムであった。 23アラムの子は、ウツ、フル、ゲテル、マッサであった。 24アルパクシャドはシェラーを生み、シェラーはエベルを生んだ。 25エベルにふたりの男の子が生れ、ひとりをペレグといった。その時代に地の人が分れたからである[7]。その弟はヨクタンであった。 26ヨクタンは、アルモダド、シェレフ、ハザルマベド、エラー、 27ハドラム、ウザル、ディクラ、 28オバル、アビマエル、シェバ、 29オフィル、ハビラ、ヨバブを生んだ。これらはみな、ヨクタンのむすこであった。 30これらの人たちが住んだ所は東の高原地帯で、メシャからセファルの方向に及んでいた。 31以上は、その氏族、そのことば、その国々、その民族にしたがったセムの子孫である。

 32民族と血筋ごとに分けると、ノエのむすこたちの家族は以上のとおりである。洪水こうずい後、かれらから地上の民族は分れたのである。


【注】

  1. (1) 著者は本章で彼の知っているすべての民族の家系をさかのぼってノエの三人の子の名をあげ、全人類は同一の祖先から出たことを述べている。これも前と同じ二つの伝承から取られたものである。すなわち司祭伝承が土台となり、ヤーウェ伝承が1b:8-15 18b-19 21 25-30節に織り込まれている。16-18a 24節はおそらく著者自身が付け加えたものであろう。洪水物語の場合と同様、著者はその不調和を問題としていない。7節ではハビラとシェバはハムの子孫になっているが、28 29節ではセムの子孫となっている。その分類は人種学的というよりも、むしろ地理的歴史的なものである。ヤフェトの子孫の分布は北から西にかけて、すなわち小アジアおよびカスピ海、黒海、地中海の沿岸に、ハムの子孫の分布は南のほう、すなわちアフリカの北東部およびその対岸地方とカナアン(パレスチナ)に、セムの子孫の分布は東のほう、すなわちメソポタミアとアラビアに及んでいる。巻末第三図参照。記述の順序は逆で、末の子ヤフェトの子孫から始めて、セムの子孫を最後にしるしている。そしてヘブライ人の祖エベルを経て神の選民イスラエル人の祖アブラハムに向かっている。選民の記事を中心にするためにこの方法をとったのであろう。この表の目的はすべての民族の中から神の民として選ばれたイスラエル人の特権を強調することである。
  2. (2) 地中海の島々および沿岸に住む民族「ドダン人」の代りに、あるヘブライ語写本とサマリア五書とギリシャ語訳は、歴上1:7と同じように、「ロダン人」と読んでいる。おそらく、ロド島のことを連想したのであろう。しかし「ドダン人」というヘブライ語は、アッシリア文献中の「ヤドナン人」に符合しているようである。
  3. (3) 本章中の名の大部分は民族の名称であるが、「ニムロド」は個人の名で9節のことわざにされるほど有名な英雄である。彼の領地アッシュル(11節、ミカ5:5参照)に、セム人のものとされているが(22節)、彼はハムとクシュ(エチオピア)の子孫となっている。彼の名のおもかげは「ニムルド」という現代の町の名に残っている。この町はニムロドの建てた古代の町「カラー」(11節)のことだとされている。
  4. (4) 「みな」の原語は「カルネ」とも読まれ、町の名ともなりうる。「バベル」(11注5参照)と「バビロン」はヘブライ語では同じ。
  5. (5) 「レホボト・イル」の跡はまだ発見されていない。「町の郊外」、すなわちニネベの郊外を意味しているのかもしれない。「レセン」も発見されていない。単に「とりで」を意味するものかもしれない。アッシュルについては2注9後部参照。
  6. (6) おそらく書入れ箇所をまちがったもので、「ニネベ」にかかる形容語と思われる。あるいは「レホボト・イル」というあいまいな原語の意味を説明したものかもしれない。ヨナ1:2 3:2-3参照。
  7. (7) 「ペレグ」の子音は「分ける」という動詞の子音に同じ。

第11章 [編集]

バベルの塔 [編集]

[1]

 1全地は同じ言語と同じことばを使っていた。 2東のほう[2]で人が移り住んでいるうちに、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住みついた。 3かれらは、「さあ、れんがを造ってよく焼こう」と互に言った。石の代りにれんがを、しっくいの代りにチャンを用いた。 4次に、「町を造り、頂が天に達する塔を建てよう。われわれの名をあげてわれわれが全地に散らばらないようにしよう[3]」と言った。 5ヤーウェは人の子らが建てた町と塔を見るために下られた。 6そしてヤーウェは言われた、「見よ、かれらはみな同じことばをもつ一つの民である。これはかれらのわざのはじめにすぎない。これからもかれらがしようと思うことはなんでも、成し遂げられないことはないであろう。 7さあ、われわれ[4]は降りて行って、あそこでかれらのことばを乱し、互のことばがわからなくなるようにしよう」。 8ヤーウェはその人たちをそこから全地のおもてに散らされた。かれらは町を建てるのをやめた。

9それでその名はバベル[5]と呼ばれた。ヤーウェがそこで全地のことばを乱されたからである。そこからヤーウェはその人たちを全地の面に散らされた。

洪水以降の太祖 [編集]

[6]

 10セムの系図は次のとおりである。セムは百歳になってアルパクシャドを生んだ。これは洪水の二年後である。

 11セムはアルパクシャドを生んでから五百年生きながらえ、幾人かの男の子と女の子を生んだ。

 12アルパクシャドは三十五歳の時、シェラーを生んだ。

 13アルパクシャドはシェラーを生んでから四百三年生きながらえ、幾人かの男の子と女の子を生んだ。

 14シェラーは三十歳の時、エベルを生んだ。

 15シェラーはエベルを生んでから四百三年生きながらえ、幾人かの男の子と女の子を生んだ。

 16エベルは三十四歳の時、ペレグを生んだ。

 17エベルはペレグを生んでから四百三十年生きながらえ、幾人かの男の子と女の子を生んだ。

 18ペレグは三十歳の時、レウを生んだ。

 19ペレグはレウを住んでから二百九年生きながらえ、幾人かの男の子と女の子を生んだ。

 20レウは三十二歳の時、セルグを生んだ。

 21レウはセルグを生んでから二百七年生きながらえ、幾人かの男の子と女の子を生んだ。

 22セルグは三十歳の時、ナホルを生んだ。

 23セルグはナホルを生んでから二百年生きながらえ、幾人かの男の子と女の子を生んだ。

 24ナホルは二十九歳の時、テラーを生んだ。

 25ナホルはテラーを生んでから百十九年生きながらえ、幾人かの男の子と女の子を生んだ。

 26テラーは七十歳の時、アブラム、ナホル、ハランを生んだ。


【注】

  1. (1) 次章から選民の歴史が始まるが、その前に第一部「世界と人間の起源」の締めくくりをつけるために、著者は本章で、世界中に広がっている人間のことばの不統一の原因についての通俗な言伝えを用いている。その出所はヤーウェ伝承で、おそらく二つの古い言伝え、すなわち町建設の言伝えと、塔建設の言伝えとをいっしょにしたものであろう。神が第二原因(たとえば自然現象)を通じてたされたことが、直接なされたようにしるされている。すなわち創造の計画にはなかった人間社会のことばの混乱は、人間がその団結力を過信した高慢の罪に対する神の罰としてしるされている(4節、シラ40:19参照)。セム族の遊牧民が誇らしい大きな町におけることばの多様性と、その近くにあった未完成のジグラトの廃虚とを見て、これは明らかに神が人々のことばを乱し、その結果、人々が離散したのであろうと考え、このことを言い伝えたものであろう。もちろん実際にはニッサの聖グレゴリオがすでに論じているように、彼らが離散した結果、ことばが次第に分れていったのである。この聖書記事に並行するバビロニア伝説はない。というのは、バビロニアでは「バベル」は「神の門」の義で、このような塔、すなわちジグラトは神々の聖所として建てられているからである。原罪のあとで原始福音が授けられたように、この混乱と離散のあとで、アブラハムとそのすえキリストにおいて再結合を見る、という約束が授けられる(12:3 22:18、ガラチア3:6 16)。この再結合の最初の成果は、五旬祭の日に使徒たちが聖霊にみたされて他国のことばを話したこと、および「天が下のすべての国々から」きた人が教会に入れられた、という事実の中にあらわれている(使2:4-11 41)。
  2. (2) アララトの山(8:4)からのセム族の最初の移動を描いたものであろう。
  3. (3) 団結力を過信した彼らの高慢(4a節、注1参照)に加えて、本節の最後のことばは、「地に満ちよ」という神の命令(9:1 7)に対する不従順を描いたものかもしれない。
  4. (4)複数形については1注8参照。
  5. (5) 「バベル」はここでは類似音「バラル」(混乱する)に由来する。バビロニアでは「バベル」は「神の門」、「バビロン」は「神々の門」の義(注1参照)。バビロンはニムロド王国の基(10:10)、後に旧新両約聖書中で不道徳と偶像崇拝の象徴となる(例、イザヤ13、エレミヤ50、黙18)。
  6. (6) 系図の目的と意義については5章の「洪水以前の太祖」の注参照。両者とも司祭伝承によるものであるが、本系図は前者よりも簡単で各太祖の年齢はかなり短くなっている。要するにその目的は、洪水からアブラハムの誕生までの期間に橋渡しをすることである。5章の場合と同様、他の古代語写本や訳本の中で数字が計画的に変えられているということは、その数字に歴史性がないことを示す。数字の点ではヘブライ語、原文においてすら、つじつまが合っていない(11:10と5:32 7:6 8:13とを比べよ)。ギリシャ語訳にはアルパクシャドとシェラーの間にカイナン(ヘブライ読みではケナン、5:9-14参照)を入れている。このカイナンは同訳の10:22ではセムの子孫となり、10:24 11:12-13ではアルパクシャドの子でシェラーの父となっている。ルカ福音書中のキリストの系図は、このギリシャ語訳からとったものである(ルカ3:36)。巻末系図参照。