初等科國語 六/源氏と平家
十四 源氏と平家
[編集]宇治 川の先陣
[編集] ころは、正月二十日餘りのことなれば、
大將軍九郎
- 「水の引くをば待つべきか。いかにせん。」
といへば、畠山の次郎
- 「この川、
近江 の湖 の末にて候へば、待つとも待つとも
水ひまじ。重忠、まづ瀬ぶみ仕らん。」 とて、五百騎ひしひしとくつわを並ぶ。
ここに
- 「いかに梶原殿、この川は西國一の大川ぞや。馬の腹帶の延びて見え候ぞ。しめたまへ。」
といひければ、梶原、腹帶解いて引きしむる。佐々木、その間につとはせぬいて、川へさつと打ち入れたり。梶原も續いて入る。梶原、
- 「いかに佐々木殿。水の底には大綱あるらん。心得たまへ。」
といひければ、佐々木、刀を拔いて馬の足にかかりたる大綱どもを、ふつふつと打ち切り打ち切り、宇治川速しといへども、
佐々木、あぶみふんばり立ちあがり、大音聲あげて、
- 「
宇多 天皇九代の後胤 、近江の國の住人、佐々木の四郎高綱、宇治川の先陣ぞや。」
と名のりたり。
畠山、五百餘騎にて打ち渡る。向かふの岸より敵の放つ矢に、畠山、馬の額を射られ、馬はねあがれば、弓杖ついており立ちたり。岩波さつと押しかかれども、畠山ものともせず、水の底をくぐりて、向かふの岸に着きにけり。打ちあがらんとするところに、後よりむづと引くものあり。「たぞ。」と問へば、「
- 「
大串 か。」 - 「さん候。あまりに水が速うて、馬をば川中より押し流され、これまでたどり着きて候。」
と申す。畠山、
- 「汝がやうなる者は、いつも重忠にこそ助けられんずれ。」
といふまま、大串をつかんで岸の上へ投げあげたり。
投げあげられて立ち上がり、太刀を拔いて額に當て、大音聲あげて、
- 「
武蔵 の國の住人、大串の次郎重親、宇治川のかち渡りの先陣ぞや。」
と名のりたり。敵もみかたもこれを聞きて、一度にどつとぞ笑ひける。
敦盛 の最期
[編集] さるほどに、
かかるところに、もえぎにほひの甲着て、黄金作りの太刀をはき、連錢あし毛の馬に乘りたる武者一騎、沖なる船をめがけて、海へさつと打ち入れ、泳がせけり。熊谷、
- 「あれはいかに。よき大將とこそ見まゐらせ候へ。敵に後を見せたまふな。返させたまへ、返させたまへ。」
と、
招かれて取つて返し、みぎはに打ちあがらんとするところに、熊谷、波打際にてむずと組んで、馬よりどうと落ち、取つて押さへて首を取らんと、かぶとをあふのけて見れば、わが子小次郎が年ごろにて十六七ばかり、花のごとき少年なり。熊谷、
- 「そもそも、いかなる人にておはすらん。名のらせたまへ。助けまゐらせん。」
と申せば、
- 「まづかういふ汝はたぞ。」
- 「ものの數には候はねど、武蔵の國の住人、熊谷の次郎直實。」
と名のる。
- 「さては汝のためにはよき相手ぞ。名のらずとも首を取つて人に問へ。見知りたる者もあるべし。」
といふ。熊谷、
- 「あつぱれ、大將かな。この人一人助け奉りたりとも、勝つべき軍に負くることあらじ。助けまゐらせん。」
とて、後をかへりみければ、土肥・梶原五十騎ばかり出で來たり。
熊谷、はらはらと涙を流して、
- 「あれ、ごらん候へ。いかにもして助けまゐらせんと思へども、みかたの軍兵滿ち滿ちて、よものがし候はじ。同じくは直實が手にかけ奉つて、のちのとぶらひをも仕らん。」
と申せば、
- 「ただ、いかやうにも。とくとく首を取れ。」
とぞいひける。
熊谷、あまりにいとほしく思ひけれど、さてもあるべきことならねば、泣く泣く首を打ちにけり。首を包まんとて、ひたたれを解きて見れば、錦の袋に入れたる笛を腰に指しゐたり。
- 「あないとほし。このあかつき、城の内にて
管絃 したまひつるは、この人々にておはしけり。やさしかりける人々かな。」
ちて、これを取つて大將義經の見參に入れたれば、見る人涙を流しけり。
のちに聞けば、平の
能登守敎經
[編集] さるほどに、源平のつはもの、
能登守敎經は、今日を最期とや思ひけん、赤地の錦のひたたれに、
- 「いたく
罪 作りたまふな。それらはよき敵かは。」
といへば、敎經、
- 「さては、大將に組めとや。」
とて、敵の船を飛んでまはる。されども義經を見知らざれば、甲かぶとのよき武者を、義經かと目をかけてかけまはる。
義經、目にたつさまはしたれども、かれこれ行きちがへて、敎經に組ませず。されども、いかにしたりけん、義經の船に乘り當り、あはやとばかり飛んでかかれば、義經、長刀をわきにかいはさみ、みかたの船の二丈ばかり離れたるに、ゆらりと飛び移る。
敎經、早わざにはおとりけん、續いても飛び得ず。今はかうと思ひ定め、太刀・長刀も海へ投げ、かぶとも脱いで海へ捨てたり。甲の袖、草ずりもかなぐり捨て、胴ばかり着て、大手をひろげて船の屋形に立ち出で、大音聲あげて、
- 「源氏の方にわれと思はん者あらば、敎經組んで生け捕りにせよ。寄れや、寄れ。」
といひけれども、寄る者一人もなかりけり。
ここに土佐の國の住人、
- 「能登殿いかに強くおはすとも、何ほどのことかあるべき。たとへ鬼神なりとも、われら三人がつかみかからば、などか勝たざるべき。」
とて、小舟に乘り、敎經の船に並べて乘り移り、太刀先そろへて一時に打つてかかる。 敎經これを見て、まづ眞先に進みたる安藝の太郎が家來を、どうとけて海へ落す。續いてかかる安藝の太郎を、左のわきにさしはさみ、弟の次郎を、右のわきに取つてはさみ、一しめしめて、
- 「いざ、おのれら、死出の旅の供せよ。」
とて、生年二十六にて、海へつつとぞ入りにける。