先見の明なき近代的政治家

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先見の明なき近代的政治家[編集]

日本贔屓の一人

▽過激派は世界を革命の火中に投ぜんと計画し世界の総ての国家を敵視し特に国家組織の堅固にして動かすべからざる日本に対しては敵意を抱いて居る、露国反過激の徒は共産党の恐るべき無政府運動を無効に帰せしめんと熱中して居るのである、而して彼等は最も熱心な国家主義者であると共に目下強勢なる善隣日本国を唯一の恃みとし之と同盟提携して以て将来永く相互の福利増進の為に図らんことを希望して止まぬのである。

▽目下過激派は勢力を得反過激派は連戦連敗の結果として士気全く振はざる姿であつて今や僅に二名の偉大なる中心人物残り反過激徒を統一す是れ則ち南露に於けるウランゲリ将軍と極東に於けるセミヨノフ頭領

▽極東に就いて云へば目下後貝加爾には露国の四方より多くの反過激派徒集まり来り彼等は皆過激派と決戦せんとしてセミヨノフの軍に投じたのである、此反過激派軍は日本が過激派と戦ふべき有力なる援助を与へたるを常に感謝して日本を徳として居るのである。

▽後貝加爾は目下国家の牙城たる姿であつて沿海州より多くの人を呼集す沿海州には過激派の走狗である浦塩政府設置せられし以来過激派の権下に属するを欲せざる者は沿海州内に住むに堪へ難くなつたのである、メドウエデフを首領と戴く浦塩政府の子分等が百四人の露国人をホール河畔に於て惨殺したことは周知のことである、彼等は無辜の同胞を銃剣に刺し小銃の台尻にて叩き槌にて打殺した、尼港事件に至つては尚甚だしく七百の日本人と二千の露人は彼等の犠牲となったである

(以下欄外)

△是れ皆ウイシンスキー、メドウエエデフ其一味の所行である而して彼等は此事に全く関係なき者の如き様を為し、一切罪をパルチザンに転嫁して憚らぬのである、仮面を脱すべき時分となった、多くの露人は浦塩政府の権下を脱して日本に遁れ或は後貝加爾に避くる者最多であるハルビン経由にてチタ地方に赴く●●一昼夜に百人以上に達すと云ふ故に露国民の同情を買んと欲して衆の憎む所の浦塩臨時政府を援助するが如き、政策を施す者を称して近眼政事●る片と云ふも已むを得ぬのである●田 舎のウエルフネウジンスクに於て嘗て人を殺し懲役に処せられたるタラスノチョフ本名トポリソンとの協調を思ふては他事乍ら赤面せざるを得ぬのである是れ即ち強大なる日本国民の恥辱と云はねばならぬ。

△極東唯一の反過激派の関門である後貝加爾は専ら日本の援助を恃(たのみ)にして生存して来のである凡ての反過激徒は今や只独り日本を信ずるのであらうモスクワ浦塩若くはウエルフネウジンスクは決して日本人を歓迎するものでなく却って敵意を抱へて居る者である、日本の親友たる者は只独り過激派を掃蕩し平和と秩序を露国に回復せんことを熱慕する反過激派の露国人なのであと、日本は反激派の分子に援助を与ふることを謝絶するは是れ其親友たる者は斥くると同意である、今日に至る迄反過派は日本人の敵であったが近眼政事家は日本より援助を蒙り感謝の心を抱いて居る、反過激派をして日本に対する友情を失はしむるに至らしむるのである。

△日本の政治家は能く此事を真面目に熟考するの必要あるでのある或は先見の足らざるを悟ることになるであらう、若し日本は真に露國並に露国民と親善を求めんと欲するならば之を唯反過激派たる純露西亜人の間に見出すことが出来るである。

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。