作者:坂上望城

提供:Wikisource
作者索引: さ 坂上望城
(? - 天元3(980))
坂上 望城(さかのうえ の もちき)は、平安時代中期の官人・歌人。加賀介・坂上是則の子。三十六歌仙の一人である父・坂上是則と同様に和歌に優れ、天暦5年(951年)に村上天皇の命により昭陽舎に置かれた和歌所の寄人(御書所預)となり、梨壺の五人の一人として、『万葉集』の訓読や『後撰和歌集』の撰集にあたった。『勅撰和歌集』には『拾遺和歌集』『後拾遺和歌集』に1首ずつ作品が入集している。— ウィキペディア日本語版坂上望城」より。

この作者の作品は、1929年1月1日より前に公表され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。後に出版された翻訳や版にも著作権が発生する場合があります。死後の作品は、特定の国や地域で出版された期間に応じて著作権が発生する場合があります。