中東と北アフリカに関するバラク・オバマの演説

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中東と北アフリカに関するバラク・オバマの演説
作者:バラク・オバマ

以下は、2011年5月19日午後0時15分(東部夏時間)から同1時00分にかけてアメリカ合衆国国務省にて行われた、アメリカ合衆国大統領バラク・オバマの演説である。
オバマ大統領は、テュニジアジャスミン革命に端を発する一連の民主化運動への支持を表明し、国内のデモ隊を弾圧するイランリビアシリアを批判した。また、エジプトに対しては10億ドルの債務免除と10億ドルの融資保証を行うと述べた。演説後半では、イスラエルパレスティナとの対立について言及し、イスラエルに対してはヨルダン川西岸地区へのユダヤ人入植を、パレスティナに対しては和平交渉を拒絶している現状をそれぞれ批判した。さらに、将来パレスティナ国家を樹立する際には、1967年第三次中東戦争以前の境界に基づく国境画定をすべきだとの公式見解を、アメリカ合衆国大統領として初めて表明した。

ありがとう。ありがとう。どうもありがとう。ありがとう。どうぞご着席頂きたい。どうもありがとう。まずは、ヒラリー・クリントンに感謝したい。この半年間の外遊で、彼女のマイレージは100万マイルの大台に乗ろうとしている。私はヒラリーを日々頼りにしているし、彼女が我が国史上最高の国務長官の1人として退任すると確信している。

国務省は、米国外交の新たな章を記念するに相応しい場所である。この6ヶ月間、我々は中東北アフリカで起きている驚くべき変化を目の当たりにしてきた。広場から広場へ、町から町へ、国から国へと、人々は基本的人権を求めて決起した。2人の指導者[1]が退陣した。こうした動きは今後も続くであろう。これら諸国は確かに我が国から遠く離れているかもしれないが、経済や安全保障の力によって、また歴史や信仰によって、我が国の将来はこの地域と結び付いているのである。

本日は、こうした変化――それを動かす力や、我が国の価値を高め安全を強化するには如何に対応すればよいのかといったこと――について話したい。

さて、既に我々は、2つの代償多き紛争によって特徴付けられてきた10年間の外交政策を転換すべく、多くのことをしてきた。数年間に及ぶイラク戦争の後、我々は10万人の米兵を帰還させ、同地での戦闘任務を終えた。アフガニスタンではターリバーンの勢いを削いできたし、この7月には部隊の帰国を開始して、アフガニスタンへの権限委譲を続行する。そして、アルカーイダとその関連組織に対する長年の戦争の果てに、我が国はアルカーイダの指導者ウサーマ・ビン・ラーディン殺害によって、アルカーイダに大打撃を与えた。

ビン・ラーディンは殉教者などではなかった。彼は憎悪のメッセージ――ムスリム西洋に抗い武器を取らざるを得なかったとの主張――を発した大量殺戮者だったが、男女や児童に対する暴力は変化への道に過ぎなかった。彼は暴力的過激主義に熱狂する余り、ムスリムの民主主義私権を否定した。彼の行動計画は、何を破壊できるか――何を構築できるかではなく――に焦点を当てていた。

ビン・ラーディンと彼の殺人構想は、若干の支持を獲得した。だが彼が死ぬ以前ですら、アルカーイダは妥当性を求める闘争を見失っていたし、圧倒的多数の人々は、無辜の民の虐殺はより良い生活を求める声に応えていないと見ていた。我々がビン・ラーディンを発見した時には既に、アルカーイダの行動計画は大半の地域で行き詰まっていると見られており、中東と北アフリカの人々は自国の未来を手中に収めていた。

民族自決の物語は、半年前にテュニジアで始まった。ムハンマド・ブーアズィーズィーという名の若き露店商は、12月17日に警官が荷車を押収した際に落胆した。これは特殊な例ではなかった。世界の大半においては、それは日々行われる屈辱――国民の尊厳を否定する政府の冷酷な圧政――と変わりない。今回だけは、違うことが起こった。己の苦情を地元当局者に拒絶された後、特段政治活動もしていなかったこの若き男は県庁舎に赴き、燃料を浴びて焼身自殺したのである。

長い歴史の中には、一般市民の行動が改革運動に火を点ける時代がある。こうした改革は、長年に亙り培われてきた自由への熱望に、彼らが語り掛けるが故に起こる。米国では、国王への納税を拒否したボストンの愛国者らの抵抗について、或いは勇気を持って自席に座ったローザ・パークスの尊厳について考えて欲しい。同様のことがテュニジアで起こった。絶望に駆られた露店商の行動は、国中の人々が感じていた不満を噴出させた。数百人の抗議者が通りを占拠し、その後数千人に膨れ上がった。20年以上君臨してきた独裁者が権力を放棄するまで、警棒や、時には銃弾を目の前にしてもなお――幾日も、幾週も――、彼らは家に帰ることを拒否した。

この革命の物語やその後の出来事は、驚くに当たらない。中東と北アフリカの国々は遥か以前に独立を勝ち得たが、余りに多くの地において、国民は独立できなかった。余りに多くの国において、権力は少数者の手に集中させられてきた。余りに多くの国において、あの露店商の若者のような市民には、向かうべき場所がなかった――自分の主張を聞いてくれる公正な司法組織も、自分の声を伝えてくれる独立メディアも、自分の意見を代弁してくれる確かな政党も、意中の指導者を選べる自由公正な選挙制度もなかったのである。

こうした自己決定――希望通りの人生を送る機会――の欠如は、この地域の経済においても同様であり続けた。確かに一部諸国は、石油天然ガスといった富に恵まれているために若干繁栄している。だが、知識や技術革新に基づく世界経済においては、大地の恵みだけに基づく開発戦略などあり得ない。また、賄賂を支払うことなく事業を開始できなければ、人々は可能性を発揮できない。

こうした試練に直面した際、この地域における余りに多くの指導者らは国民の不満をそらそうとした。植民地主義の終焉から半世紀後、西洋は諸悪の根源として非難された。イスラエルへの反感は、政治的表現のための唯一にして格好の捌け口となった。部族、民族、宗派といった部門は、権力を保持し、あるいは他者から権力を奪うための手段として操られた。

だが過去6ヶ月間の出来事は、抑圧戦略や陽動戦略がもはや通用しないことを我々に示している。衛星テレビインターネットは、より広い世界――インドインドネシアブラジルといった地における驚異的進歩の世界――への窓を提供している。携帯電話ソーシャル・ネットワークのお陰で、若者らはこれまでにないほど結び付き、組織化されるようになった。そして、新たな世代が出現した。彼らの声は、変革を否定することはできないということを教えてくれる。

カイロにて我々は、「それは、ついに新鮮な空気を吸えるようになった私のようなものだ」と語る若き母親の声を聞いた。

サヌアにて我々は、「夜は必ず明ける」と唱える学生らの声を聞いた。

ベンガジにて我々は、「我々の言葉は今や自由だ。この気持ちはあなたには判らないだろう[2]」と話すエンジニアの声を聞いた。

ダマスカスにて我々は、「最初の叫び、最初の大声の後、諸君は尊厳を感じる」と語る若き男の声を聞いた。

人間の尊厳に関するこうした声が、この地域の至る所で聞こえてくる。非暴力という道徳的な力により、この地域の人々は6ヶ月のうちに、テロリストらが数十年かけて成し遂げた分よりも多くの変革を実現してきた。

もちろんこの大変革は、容易に訪れた訳ではない。現代――24時間ニュースサイクルと常時コミュニケーションの時代――では、人々はこの地域における改革が数週間以内に終わることを期待している。だが、この物語が結末を迎えるまでには何年も掛かるであろう。その過程では、悪い時期も良い時期もあろう。場所によっては変革は迅速に為されようが、別の場所では徐々に為されよう。既に見てきたように、変革を求める声が熾烈な権力闘争に取って代わられることもあろう。

我々に突き付けられた問いは、この物語が進んだら米国は如何なる役割を果たすのかというものである。何十年にも亙り、合衆国はこの地域における核心的利益の設定を追求してきた。テロに対処し核兵器の拡散を阻止してきた。商取引の自由な流れや、この地域の安全を独力で守ることを保証してきた。イスラエルの安全のために立ち上がり、アラブとイスラエルとの平和を追求してきた。

米国の利益は国民の期待に背くものではないという確固たる信念を持って、我々はこれらのことを継続する。これらは彼らにとって不可欠である。我々は、この地域の核軍拡競争、あるいはアルカーイダの残忍な攻撃によって得する者などいないと信じている。エネルギー供給の途絶によって経済が麻痺するさまを、世界中の人々が目撃することになると信じている。湾岸戦争時と同様に、我々は国境を越えた侵略を容認しないし、友邦やパートナーへの関与を維持する。

それでも我々は、これらの利益を偏狭にも追求することのみに基づく戦略では空腹を満たせないし、誰かが意見を表明するのを許可することもできないことを認めねばならない。さらに、一般市民の広範な願望に語り掛けねば、合衆国は彼らを犠牲にして己の利益を追求しているのではという、長年に亙り悪化してきた疑念を増幅させるだけである。この不信感が両方の道に繋がっていることを鑑みるに――幾千人もの米国市民を殺害してきた人質行為と暴力的言辞とテロ攻撃とが米国民の意識に焼き付けられてきたように――、我々が対処法を転換できなければ、合衆国とアラブ世界との分裂という悪循環が深まる虞がある。

だからこそ、私は2年前にカイロにて、相互の利益と尊敬に基づく我が国の関与の拡大を始めたのである。我が国は諸国の安定だけでなく、個々人の自己決定にも利害を有するということを、私は当時信じていたし、今でも信じている。現状を擁護する訳にはゆかない。恐怖と弾圧によって結び付いた社会は、一時的には安定しているかのような錯覚を与えるかもしれないが、そのような社会は断層線上に築かれているのであって、結局は四分五裂してしまうのである。

つまり我々は、歴史的機会を迎えている。米国がテュニジアの独裁者の権力よりも露店商の尊厳を重視していることを示す好機である。自己決定と機会を促す変革をアメリカ合衆国が歓迎していることには、疑問の余地などない。もちろん、こうした希望の時期には危険が付き物であろう。だが、この地域がありのままの世界を受け入れてから数十年も経てば、我々はあるべき世界を追求する機会を持てるであろう。

もちろんその際には、謙虚に進める必要がある。テュニスやカイロの街に人々を集めたのは米国ではない――それは、こうした動きを始めた人々自身であり、彼ら自身が最終結果を決定せねばならないのである。

必ずしも全ての国が、我が国特有の議会制民主主義の形態に従うとは限らないし、時期によっては、我々の短期的利害がこの地域に対する我々の長期的展望と完全には整合しないこともあろう。だが我々は、一連の核心的原理――この6ヶ月間の出来事への対応を導いてきた原理――を支持できるし、支持してゆく。

合衆国は、この地域の住民に対する暴力や弾圧の行使に反対する。

合衆国は、普遍的権利の設定を支持する。ここでいう権利には、言論の自由平和的集会の自由信教の自由、法の支配の下での男女平等指導者を選ぶ権利――諸君が住んでいるのがバグダードかダマスカスか、サヌアかテヘランかに関係なく――が含まれる。

そして我々は、地域全体の一般市民の正当な願望を満たし得るような、中東・北アフリカ地域の政治的・経済的改革を支持する。

これらの原則に対する我々の支持は、二次的利害ではない。本日私ははっきりさせておきたい。行使可能な外交的・経済的・戦略的手段の限りを尽くしてこれを具体的行動に移し、支援することこそが最優先課題であると。

具体的に述べよう。第1に、それはこの地域全体の改革を促すために民主主義への移行を支援するという合衆国の政策となる。その努力は、大きな利害関係を有するエジプト及びテュニジアから始まる ――テュニジアはこの民主主義の波の先頭に立ってきたし、エジプトは長年のパートナーにしてアラブ世界最大の国家である。両国は、自由で公正な選挙、活気ある市民社会、責任ある有効な民主主義制度、地域の正しい指導力によって、強力な前例を作り得る。だが我々の支持は、未だ移行が起こっていない諸国にまで拡がらねばならない。

残念ながら、余りに多くの国々が、変化を求める声に暴力で応えてきた。その最たる例がリビアである。同国のムアンマル・カッザーフィーは自国民との戦争を開始し、国民をラットのように狩ると宣言した。既に述べたように、国際社会の協調介入に合衆国が参加すれば、政権が自国民に対して犯した不正の全てを防げるという訳ではない。力で政権交代を押し付けようとするのが――それが如何に善意をもって為されようとも――如何に代償を伴う困難なことであるかということを、我々はイラクでの経験から学んだ。

だがリビアにて我々は、殺戮が迫っているさまを目の当たりにし、行動の負託を受け、リビア国民の助けを求める声を聞いた。もし我々がNATO加盟諸国やこの地域のパートナーと共に行動しなければ、数千人が殺害されていたであろう。それが意味するところは、以前から明確であったはずだ。即ち、「権力を維持するために必要とあらば、多数の人々をも殺害する」ということである。今や、時代はカッザーフィーに不利に働いている。彼は自国の支配権を失っている。反政府勢力は、適法かつ信頼に足る暫定評議会を組織した。カッザーフィーが否応なく退陣し、または権力の座を追われたとき、数十年に亙る挑発は終焉し、民主リビアへの移行が進み得るのである。

リビアは最大規模の暴力に直面してきたが、指導者らが権力維持のため弾圧に訴えているのは同国だけではない。直近では、シリアの政権が国民の殺害と大量逮捕という道を選んだ。合衆国はこうした行為を非難し、国際社会と協力してシリア政権に対する制裁――昨日アサド大統領及び側近らに通告した制裁を含む――を強化してきた。

シリア国民は勇気を出して、民主主義への移行を要求した。今、アサド大統領には選択肢がある。移行を導くか、さもなくば退陣するかである。シリア政府はデモ隊への発砲をやめ、平和的抗議を認めねばならない。政治犯を釈放し、不当逮捕をやめねばならない。ダルアーのような都市への出入りを自由にし、人権監視団を認め、民主主義への移行を進めるべく、真摯な対話を開始せねばならない。さもなくば、アサド大統領とその政権は内部崩壊の危機に曝されるばかりか、国外での孤立を深めるであろう。

これまでのところ、シリアは抑圧戦術に関するテヘランからの支援を求めて、イランの協力者に追随してきた。このことは、国外では抗議者の権利を支持すると言いながら国内では自国民を弾圧するという、イラン政権の偽善を物語っている。この地域における最初の平和的抗議はテヘランの街で起こり、政府は人々を惨殺し、無辜の民を投獄したということを忘れないで欲しい。テヘランの屋根の上から、今も詠唱のこだまが聞こえる。街頭で死んだ若き女性の姿は、今も我々の記憶に焼き付いている。そして我々は、イラン国民は普遍的権利を享受して然るべきである、政府は彼らの熱望を潰してはならないと主張し続ける。

さて、我々がイランの不寛容とイランの抑圧的施策だけでなく、その違法な核開発やテロへの支援にも反対していることは、周知の事実である。だが、米国が信頼に足る存在になろうとするならば、我々はこの地域における友邦が、整合性のある変化――本日述べてきた原則と整合する変化――を求める声に時として応じてこなかったことを認めねばならない。このことはイエメンにおいて当て嵌まる。同国のサーレハ大統領は、己の責任で権力移行を遂行する必要がある。そして今日では、バーレーンにも当て嵌まる。

バーレーンは長年のパートナーであり、我々は同国の安全保障に関与している。イランが混乱に付け込もうとしてきたこと、バーレーン政府が法の支配の正当な利益を持っていることは判っている。

それでも我々は、大量逮捕と暴力はバーレーン国民の普遍的権利に背いていると公式にも非公式にも主張しており、我々は――そしてこうした措置は――改革を求める合法的な声を消したりしない。唯一の道は政府と反政府勢力が対話することであり、平和的な反政府勢力の一部が獄中にいる限り、真の対話は得られない。政府は、対話の条件を創らねばならないし、反政府勢力はバーレーン国民全員の未来の形成に参加せねばならない。

この時代から学ぶべきより広い教訓の1つは、宗派の分裂が紛争を招くようなことがあってはならないということである。イラクにて我々は、多民族的・多元的民主主義の希望を見る。イラク国民は自国の安全保障への責任を全うしつつも、民主化を支持し、政治的暴力の危機を拒絶してきた。もちろん、全ての新興民主主義国家と同様、彼らは挫折に直面するであろう。だが平和的な歩みを続ければ、イラクはこの地域で重要な役割を果たすであろう。そして、彼らがそうすれば、我々は誠実なパートナーとして協力することを誇れるであろう。

だから今後数ヶ月間に、米国はその影響力の限りを尽くしてこの地域の改革を奨励せねばならない。我々は、各国が一様ではないことを認識しつつも、己の信ずる原則について敵味方を問わず正直に語る必要がある。我々のメッセージは単純なものである。危険を恐れず改革を行えば、合衆国の全面支援を得られる。

同時に我々はエリートを超えて、未来を創る人々――殊に若者ら――にも関与が及ぶよう努力をせねばならない。我が国は、私がカイロで行った公約――起業家らの人脈を築き、教育分野での交流を展開し、科学技術分野での協力を促し、疾病と闘うこと――を遂行し続ける。我々はこの地域の至る所で、市民社会への支援を行う。この中には、公認されないであろう団体や不快な真実を語る人々も含まれる。我々は、人々の声と繋がりを持つために――そしてそれらに耳を傾けるために――技術を用いる。

実際のところ、改革は投票箱の上のみに訪れる訳ではない。我々は、意見を表明したり情報にアクセスしたりするための基本的権利を支持する努力をせねばならない。我々は、インターネットへのオープンアクセスジャーナリストの発言権を――それが大きな報道機関であれ、1人のブロガーであれ――支持する。21世紀において情報は力であり、真実を隠すことはできない。そして政府の正当性は、究極的には行動力や識見を有する市民に懸かっている。

たとえ我々の世界観にそぐわないと言われようとも、こうした開かれた演説は重要である。はっきり言いたい。米国は平和的かつ遵法精神溢れた傾聴すべき意見を言う権利の全てを尊重する。たとえ我々が彼らの意見と対立しようとも。そして、時として強く対立しようともである。

我々は真の包括的な民主主義を受け入れる者全てとの協力に期待している。我々は、他者の権利を制限する試みや、合意ではなく強制を通じて権力を維持する試みには、それが如何なる団体によるものであろうとも反対する。民主主義は選挙だけでなく、強く責任ある機関や、少数派の権利の尊重に依存しているのだから。

こうした寛容は、特に宗教に絡む話の際に重要になる。タハリール広場にて我々は、あらゆる階層のエジプト国民が「ムスリム、キリスト教徒、我々は1つだ」と歌うのを聞いた。米国は、この精神が広く受け容れられるさま――あらゆる信仰が尊重され、これらの間に架け橋が架かるさま――を見るために努力する。3つの世界宗教[3]の発祥の地であった地域において、不寛容は苦痛と停滞を招くのみである。そして、この変革の季節が成功するためには、シーア派がバーレーンにてモスクを破壊されてはならない[4]のと同様に、コプト教徒はカイロにて自由に礼拝する権利を持たねばならない[5]

宗教的少数派について当て嵌まる事実は、女性の権利についても同様である。歴史が示すところによれば、女性が力を得ているときに国家はより繁栄し、平和を享受している。だからこそ我々は、男性だけでなく女性にも普遍的権利を適用せよと主張し続けるのである――母子の健康に支援を集中し、教育や起業をしようとする女性を助けることによって。女性の発言権や被選挙権を支持することによって。過半数の国民が可能性を存分に発揮できなければ、その地域は可能性を存分に活かせないのである。

さて、我々は政治改革を促したからといって、地域の人権を促したからといって、そこで取り組みをやめる訳にはゆかない。故に、我々がこの地域の積極的変化を支持すべき第2の道は、民主主義へ移行しつつある諸国の経済開発を進める努力によるものである。

結局のところ、街頭に抗議者らが溢れたのは政治だけのせいではない。大多数の者にとっての転機は、食卓に食事を並べ家族に提供できるのかという絶えざる不安である。この地域では余りに多くの人々が、他の地域の者ならば1日中持っているはずの希望をほとんど持つことなく目覚め、運が上向くことを恐らく期待している。この地域の至る所で、多くの若者が確かな教育を受けているが、閉鎖的経済のせいで職を見付けられずにいる。起業家らは発想に満ちているが、社会の腐敗のせいでそれらの発想から利益を得られずにいる。

中東や北アフリカにおける最大の未開発資源は、人民の才能である。最近の抗議行動において我々は、人々が技術を駆使して世界を変えた時、そうした才能が示されるさまを見る。タハリール広場における指導者の1人がGoogleの幹部だった[6]ことは、偶然ではない。今こそこうした活力を国から国へと伝播させ、経済成長によって街の発展を維持できるようにする必要がある。何故なら、民主革命が個々人の機会の欠如によって起こり得るのと同様に、民主的権力移転の成否は成長の拡大と広汎な繁栄に懸かっているからである。

だから、世界中で学んできたことから鑑みて、我々は救済だけでなく貿易に、援助だけでなく投資に焦点を当てることが重要であると考える。この目標は、保護主義が開放主義に道を譲り、商業の支配権が少数者から多数者へと移り、経済が若者向け雇用を生むような模範とならねばならない。従って、米国による民主化支援は、金融の安定を確保する改革を推進し、相互に競争力ある市場と世界経済とを統合することに基づいて行われる。我々は、テュニジアとエジプトでこれを始めようとしている。

第1に、我々は世界銀行国際通貨基金に対し、テュニジア及びエジプトの経済の安定化・近代化に向けて行うべき計画を、来週のG8サミットにて提示するよう要請した。同時に、両国の民主的激動の混乱からの回復を支援し、今年後半に選出される政府を支援せねばならない。そしてエジプト及びテュニジアの短期的資金需要を満たすべく、他の諸国に働き掛けねばならない。

第2に、我々は民主エジプトが過去の債務を引き摺ることを望まない。だから我々は民主エジプトに対する債務を最大10億ドル免除すると共に、エジプトのパートナーと協力してこれらの資金を投じ、成長と起業意欲を促す。エジプトがインフラストラクチャーと雇用創出の費用を賄う上で必要な借り入れを行うに際して10億ドルを保証することにより、市場への再参入を支援する。そして、新たな民主政府を助け、盗まれた資産を政府が取り戻せるようにする。

第3に、我々はテュニジア及びエジプトへ投資する事業基金を設立すべく、議会と協力している。これらは、ベルリンの壁崩壊後に東欧の政権移行を支援した基金を手本としている。OPICは地域全体の民間投資を支援すべく、近く20億ドルの融資を実施する。同時に、同盟諸国と協力して欧州復興開発銀行に再び焦点を合わせ、もって同銀行が欧州に行ってきたのと同様の民主化や経済近代化の支援を、中東と北アフリカにも提供できるようにする。

第4に、合衆国は中東と北アフリカの包括的な貿易投資連携構想に乗り出す。石油輸出について言えば、4億人以上の人口を抱えるこの地域全体でスイスの輸出総額はとほぼ同額となっている。我々は、域内貿易を促進するために合衆国市場と欧州市場との統合を促進するための既存の協定に基づき、EUと協力して、地域貿易協定を構築するために改革と貿易自由化という高い目標を設定し、これらの国の門戸を開放する。また、EU加盟諸国が欧州改革の誘因として機能したのと同様に、近代的で豊かな経済像は、中東と北アフリカの改革のための強靭な力を築くべきである。

繁栄のためには、進歩を妨げる障壁――国民から掠め取るエリート層の腐敗、ビジネスに発展しそうな発想を差し止めるお役所仕事、部族や宗派に基づき富を分配する利権政治――の打破も必要である。我々は、政府が国際的な義務を果たすのを助けると共に、腐敗防止の取り組みに投資する――改革を進める国会議員らや、技術を駆使して透明性を高めたり政府に責任を持たせたりする活動家らと協力することによって。政治、人権、経済改革。

最後に、この地域への取り組みに関するもう1つの要について話したい。これは平和の追求に関するものである。

何十年にも亙り、イスラエルとアラブの対立がこの地域に影を落としている。イスラエルにとって、それはバスの爆破や自宅を狙ったロケット弾によって子らが吹き飛ばされる恐怖と共に、そしてこの地域における他の児童らが自分たちを憎むよう教わっていることを知る痛みと共に生きることを意味してきた。パレスティナ人にとって、それは占領の屈辱に苦しむことを、そして自分の国に住んでいないことを意味してきた。さらにこの対立は、一般市民に安全と繁栄と自信をもたらす協力を妨げるにつれて、中東にとって大きな損失となってきた。

2年以上に亙り、我が政権はこの紛争を終わらせるべく、過去の政権が数十年に亙って築き上げてきたように、各党や国際社会と協力してきた。だが、期待通りにはならなかった。イスラエルの入植活動は続いている。パレスティナ人は交渉を拒絶してきた。世界が見ているのは果てなき消耗戦であり、膠着状態に他ならない。確かに、この地域における全ての変化や不確実性を考えれば、今前進するのは到底無理だと主張する者もいる。

私はそうは思わない。中東と北アフリカの人々が過去の負担から脱却しようとしている時にあっては、対立を終わらせ全ての要求を解決し得るような、恒久平和を求める動きがかつてない急務となっている。それは両当事者にとって、紛れもない真実である。

パレスティナについて言えば、イスラエルの正当性を剥奪する試みは失敗に終わるであろう。9月の国連(総会)でイスラエルの孤立を図る象徴的行動をとったとしても、独立国家は樹立できない。ハマースがテロと拒絶の道を主張するのなら、パレスティナの指導者らが平和や繁栄を実現することはない。また、イスラエルの存在権利を否定することによってパレスティナが独立を実現することはない。

イスラエルについて言えば、我々の友情は共通の歴史と共通の価値観に深く根差している。イスラエルの安全保障に対する我々の関与は揺るぎない。そして我々は、それを国際会議で槍玉に挙げる試みには反対である。だが、我々の友情だからこそ、我々が真実を伝えることが重要なのである。現状を擁護する訳にはゆかないし、イスラエルも恒久平和を進めるべく大胆に行動せねばならない。

ヨルダン川西岸地区に居住するパレスティナ人の数が増えている。科学技術は、イスラエルの自衛をより困難にするであろう。大きく変化しつつある地域ではポピュリズムが生じるであろうが、その中では多くの人々――1人または2人の指導者だけでなく――が、平和は実現可能であると信じなければならない。決して結果の出ない果てなき過程に、国際社会は倦んでいる。ユダヤ人の民主国家という夢は、永続的占領によっては実現しない。

結局、行動するか否かはイスラエル人とパレスティナ人次第である。合衆国も、他の如何なる存在であろうとも、彼らに和平を強制する訳にはゆかない。だが、いつまでも先延ばしにしたところで問題は解消しない。米国と国際社会にできることは、周知の事実――恒久平和には、2つの人民を抱える2つの国家が関係してくるという事実――を率直に述べることである。ユダヤ人国家にしてユダヤ人の故郷たるイスラエルと、パレスティナ人の故郷たるパレスティナ国家の両国が、自己決定と相互理解と平和を享受することが必要となるのである。

紛争の核心的問題について交渉が必要だが、その一方で、交渉の原則は明確である。即ち、パレスティナの発展と、イスラエルの安全である。イスラエル、ヨルダン、及びエジプトとを分かつ永続的なパレスティナ国境と、パレスティナとを分かつ永続的なイスラエル国境とによる2つの国家を交渉によって樹立すべきであると、合衆国は信じている。我々は、イスラエルとパレスティナとの国境は、相互に合意されたやり取りによって1967年の線に基づくべきであり、そうすることで安全かつ認められた両国国境が確立されると信じている。パレスティナ人民は永続的主権国家として自治を行い、己の可能性を充分発揮する権利を持たねばならない。

安全保障について言えば、あらゆる国家が自国を防衛する権利を有しており、イスラエルは自国を――自らの手で――あらゆる脅威から防衛できねばならない。テロの復活を防ぎ、兵器の浸透を阻止し、効果的な国境警備を提供するための規定も、充分堅固であらねばならない。イスラエル軍の全面的かつ段階的な撤退は、非武装の主権国家としてのパレスティナにおける安全保障の責任の引き継ぎと連動すべきである。この移行期間について合意されねばならないし、安全保障体制の有効性が実証されねばならない。

これらの原則は、交渉の基礎を与えてくれる。パレスティナ人は、自国領土の輪郭線を知るべきである。イスラエルは、基本的な安全保障上の懸念が解決するであろうことを知るべきである。こうした措置だけでは対立を解消できまい。エルサレムの未来とパレスティナ難民の運命という、痛ましく感情的な2つの問題が残るだろうからである。私もそれは承知している。だが、領土と安全保障に基づいて今前進することは、正当かつ公正な、しかもイスラエル人とパレスティナ人の権利と願望を尊重するような方法でこれら2つの問題を解決するための基礎を与えてくれるのである。

ここで言っておきたいことがある。領土や安全保障といった問題から交渉を始める必要があると認識することは、交渉の席に戻るのが容易だということを意味しない。特に、最近発表されたファタハとハマースの間の協定は、イスラエルに対する深い論理的問題を提起している。即ち、「どうすれば、あなたの生存権を認めようとしない相手と交渉できるのか」という問題である。そして、今後数週間あるいは数ヶ月間のうちに、パレスティナの指導者らは、その問いに対する満足な解答を出さねばならない。その一方で合衆国、中東カルテットのパートナー[7]、及びアラブ諸国は、行き詰まった現状を打破すべく、あらゆる努力を続ける必要があろう。

これがどれほど困難であるかは判っている。疑惑と敵意は幾世代も続き、時に硬化してきた。だが私は、イスラエル人とパレスティナ人との大半は過去に幽閉されるよりも未来に目を向けると確信している。我々はその精神を、息子をハマースに殺されたイスラエル人の父親に見る。この息子は、愛する者を失ったイスラエル人とパレスティナ人が集まる組織の発足に貢献した。父親は語った。「進歩に向けた唯一の希望は、紛争の様相を認識することなのだと、私は次第に気付いた」と。我々はそれを、ガザ地区でイスラエルの炸裂弾により3人の娘を失ったパレスティナ人の行動に見る。彼は「私には憤りを覚える権利がある」と言った。「多くの人々は、私が憎悪に駆られると思っていた。彼らに対する私の答えは、『私は憎んでいない』である。明日への希望を持とう」と。

それは為されねばならない選択――単にイスラエル・パレスティナ紛争に関する選択であるだけでなく、この地域全体に関する選択――憎悪と希望との選択であり、過去の足枷と将来の約束との選択――である。それは指導者や人民によって為されねばならない選択であり、文明の揺り籠にして闘争の坩堝となった地域の未来を決める選択なのである。

前途に待ち受けるあらゆる試練について、我々は希望を持てる多くの理由を見る。我々はエジプトで、デモを主導する若者らの努力にそれを見る。シリアにて我々は、「平和的に、平和的に」と唱えながら銃弾に立ち向かう人々の勇気にそれを見る。破壊の危機に曝された街ベンガジにて我々は、人々が裁判所前広場に集い、初めて手にした自由を祝うさまに、それを見る。この地域の至る所で、我々が当然視しているこれらの権利が、鉄の拳をこじ開けようとする人々によって歓喜と共に主張されている。

米国民は、この地域における混乱の光景に不安を覚えるかもしれないが、それを動かす力に疎い訳ではない。我が国は帝国への抵抗を通じて樹立された。我が国民は辛い内戦を戦い、奴隷化された者に自由と尊厳を広めた。そして、過去の諸世代が――我が国について宣言した「全ての人間は平等に創られているという真理を、我々は自明のことと信ずる[8]」という言葉を実現すべく、共に平和的に団結し、前進し、抗議しつつ――、連邦を築き上げる手段として非暴力という道義的な力を奉じなければ、私は今日ここに立てなかったであろう。

これらの言葉――弾圧が失敗し、暴君が失脚し、全人民が不可侵の権利を享受することを我々に教えてくれる言葉――は、中東と北アフリカを動かしつつある変化への我が国の対応を導くに違いない。

それは容易ではあるまい。進歩へ繋がる一本道など存在しないし、希望の季節には常に苦難が伴っている。だがアメリカ合衆国は、国民が己を支配すべきであるとの信念に基づき建国された。そして今や我々は、己の権利を求める人々の成功がより平和で安定した正当な世界をもたらすことを肝に銘じ、彼らの側に立つのを躊躇する訳にはゆかないのである。

皆さん、どうもありがとう。 ありがとう。

訳註[編集]

  1. テュニジア大統領ザイン・アル=アービディーン・ベン=アリーエジプト大統領ムハンマド・ホスニー・ムバーラクを指す。
  2. 原文は「It's a feeling you can't explain」。「それは、あなたでは説明できないような気持ちだ」の意。
  3. ユダヤ教、キリスト教、イスラームを指す。
  4. バーレーンでは、政府がシーア派モスクの破壊を行った。Bahrain targets Shia religious sites, Al Jazeera, 14 May 2011 08:23.
  5. 2011年5月7日、カイロのインババ地区でコプト教徒とAQIMイスラーム過激派の一派)とが衝突し、この中でAQIMがコプト教会を放火するなどの事件が発生した。「宗教対立で12人死亡=コプト教会放火される-エジプト」(2011年05月08日21時43分、時事通信社)
  6. Google中東・北アフリカの地域幹部を務めるワエル・ゴニムは、民主化運動に揺れるエジプトで、11日間に亙って身柄を拘束された。ゴニムは、エジプト人男性ハーリド・サイードが警官の暴行により死亡した事件を受けて、拷問に反対する団体「我々は皆ハーリド・サイードである (We are all Khaled Said)」をfacebook上にて組織した人物であった。「エジプトで不明のグーグル幹部が解放、当局が取り調べで拘束」(2011年2月8日10時19分、ロイター)
  7. 原文は「our Quartet partners」。ロシア、EU、国連を指す。これに米国を加えた4者によって、中東和平に関する協議が行われている。
  8. アメリカ独立宣言冒頭の一節。

外部リンク[編集]