バラク・オバマの第1回施政方針演説

提供: Wikisource
移動: 案内検索

ジョージ・W・ブッシュの第8回一般教書演説

バラク・オバマの第1回一般教書演説

バラク・オバマの第1回施政方針演説
作者:バラク・オバマ

以下は、2009年2月24日にアメリカ合衆国下院本会議場で行われた上下両院合同会議における、アメリカ合衆国大統領バラク・オバマの演説である。
なお、本稿における章立ては飽くまで訳者が便宜的に為したものであり、底本とは何らの関係もない。

演説[編集]

はじめに―大胆かつ賢明な行動を[編集]

下院議長[1]副大統領[2]、議員諸君、そして合衆国のファースト・レディ[3]よ。

私は今夜、この議場にいる諸君に向けてのみならず、我々をこの場に送り出した国民諸君に向けて率直かつ直接に語りかけるため、ここに来た。

只今見ている多くの米国民にとって、我々の経済状況は他の何にも増して重大な懸念であろう。まさしくその通りなのである。仮に諸君がこの景気後退の影響を受けていなくとも、周囲の誰か―友人、隣人、家族の一員―が影響を受けていることであろう。我々の経済が危機にあることを知るために、種々の統計を聞くまでもない。なぜなら、諸君は危機の時代を毎日生きているからである。それは、諸君が目覚めの際にも抱えている不安であり、夜も眠れぬ原因である。それは、(定年まで勤め上げてから)引退するつもりであったのに失ってしまった仕事である。今や糸によって吊るされている、夢を築くための事業である。そして、諸君の子が封筒に戻さざるを得なかった、大学の合格通知である。この景気後退の衝撃は本物であり、しかも至る所に存在するのである。

だが我々の経済が弱体化し、我々の自身が揺らいでいるやも知れぬとはいえ、そして我々が困難かつ不確実な時代に生きているとはいえ、今夜、私はあらゆる米国民に次のことを知ってもらいたい。

我々は再建する。我々は復活する。そして、米国は以前よりも強くなって甦るであろう。

この危機の重大さがこの国の運命を決する訳ではない。我々の問題への解答は、手の届かぬところにある訳ではない。それらは我々の研究所や大学に、農場工場に、そして起業家の創意や地球上で最も勤勉な人々の矜持の中に存在するのである。米国に人類史上最も強力な進歩と繁栄をもたらしたこうした資質を、我々は今なお充分に有している。現在この国に求められているのは、団結し、直面する難題に大胆に立ち向かい、将来に対していま一度責任を持つことである。

さて、もし我々が己に正直であるならば、我々は―政府としても個人としても―余りにも長きに亙り、常に責任を果たしてきた訳ではないことを認めるであろう。何も私は非難したり、過去を振り返ったりするためにこのようなことを言っているのではない。如何にして現在の状況に至ったかを理解することによってのみ、この窮地を脱し得るが故である。

実際、我々の経済は一夜にして傾いた訳ではない。我々の諸問題の全てが住宅市場の崩壊や株式市場の低落に伴い始まった訳でもない。我々の生存が新たなエネルギー源の発見に懸かっていることは、何十年も前から判っていた。にもかかわらず、我々は今日、以前にも増して大量の石油を輸入している。年を追うごとに、医療費がますます多額の貯蓄を食い潰しているにもかかわらず、我々は改革を先送りし続けている。世界的規模の経済の中、我々の子らは職を求めて競争することになろうが、それに備えていない学校が余りにも多い。そして、これら全ての問題が未解決であるというのに、我々は個人として、あるいは政府を通じて、未曾有の規模で資金を消費し、また債務を増やしているのである。

言い換えると、我々は長期的な繁栄よりも短期的な利益が余りにもしばしば重視される時代を過ごしてきた。次の支払い、次の四半期、次の選挙などのさらに先について考えない、そんな時代をすごしてきたのである。黒字は我々の将来に投資する機会ではなく、富裕層に富を移す口実となった。手早く利益を得んがために規制は骨抜きにされ、健全な市場は失われた。人々は支払い能力がないことを知りつつ、悪質な融資を押し付ける銀行や金融会社から住宅を購入した。そしてこうしている間ずっと、重大な論議や困難な決定はいつかまた別の日に、別の時にと後回しにされた。

その総決算の日[4]が到来した。未来への責任を引き受ける時が到来したのである。

経済を回復させるためのみならず、永続的な繁栄の新たな礎を築くため、今こそ大胆かつ賢明に行動する時である。我々は、赤字の削減という厳しい選択をするが、今は雇用を早急に創出し、融資を再開させ、経済を成長させるであろう分野―エネルギー医療教育など―に投資する時である。これこそ我が経済政策の企図するところであり、今夜諸君に話したいことなのである。

雇用政策[編集]

まずは雇用の話から始める。

私は就任するなり、人々が仕事に戻り収入を得られるようにするための再建計画をプレジデンツ・デイ[5]までに送るよう、議会に要請した。それは、私が大きな政府を信じているからではない―私はそのようなものを信じない。我々が引き継いだ巨額の債務のことを忘れているからでもない。私は忘れてはいない。私が行動を求めたのは、そうしなければより多くの職が失われ、より多くの困難を生み出したやもしれないからである。実際、行動しなければ何年間にも及ぶ経済成長の鈍化を確実にすることにより、長期的な赤字を悪化させていたことであろう。だからこそ私は、迅速な行動を求めたのである。そして今夜、私は議会が結果を出したことに感謝し、米国再生再投資法[6]が成立したことを喜ばしく思う。

この計画は今後2年間で350万の雇用を守り、または創出する。これらの雇用の90%以上は民間部門のそれである―即ち、道路橋梁の再建、風力発電機太陽光パネルの建設、ブロードバンドの敷設、大量輸送機関の拡充といった仕事である。

この計画によって、教師は職を維持し、児童を教育できる。介護従事者は患者の世話を続けることができる。ミネアポリスの通りには今夜も57人の警察官が立っているが、これは警察署が行わんとしていた解雇を同計画が阻止したからである。

この計画によって、学費の支払いに苦労していた家族は4年間の大学の学費に対して2500ドルの税控除を受ける。また、この景気後退で職を失った米国人は、拡充された失業手当や、継続された医療保険を受けることで、この嵐をしのげるであろう。

この議場にいる者や自宅で見ている者の中に、同計画が機能するのか否かを疑う者がいることは承知している。疑うのも無理はない。ここワシントンで、我々は善意というものが如何に早く公約違反や無駄な支出へと化けるのかを目の当たりにしてきた。そして、斯様に大規模な計画を適切に遂行するためには、途方もない責任が伴うのである。

だからこそ私はバイデン副大統領に、困難かつ前例のない監視の任を指揮するよう依頼したのである―誰もジョー[7]には口出しできないからである。全国の市長や州知事と同様、各閣僚に対し、1ドルごとの支出について私と米国民とに説明する責任があると告げた。あらゆる浪費や不正の事例を暴くため、私は有能かつ活動的な監督官を指名した。そして我々は、新たなウェブサイト「政府再生 (recovery.gov)」を開設し、税金がどのように、どこで使われているのかを全国民が確認できるようにした。

我々が成立させた再生計画は、我々の経済を軌道に戻すための第1歩である。だが、それは飽くまでも第1歩に過ぎない。なぜなら、仮にこの計画を瑕疵なく遂行したとしても、金融システムをひどく弱体化させてきた信用危機を一掃せずしては、真の回復などあろうはずもないからである。

私は今夜、この問題について平易かつ率直に話をしたい。これは自身とその家族の幸福に直接影響するのだということを、全国民が知るべきだからである。同時に、諸君は知るべきである。全国の銀行に預けた資金が安全であることを。保険が磐石であることを。そして、金融システムは依然として信頼できるものだということを。それは懸念材料ではない。

懸念すべきは、国内融資を再開せねば、再生は始まる前に窒息してしまうということなのである。

金融政策[編集]

資金の流れは経済の血液である。融資を受ける能力とは、住宅から自動車、大学教育に至るまで、あらゆるものの購入に際し、如何にして資金を調達するかということに他ならない。如何にして商店が棚に商品を並べ、農家が農機具を購入し、企業が人件費を生み出すかということに他ならない。

だが、資金はそのあるべき流れを止めてしまった。住宅ローン問題から生まれた余りにも多くの不良債権が、余りにも多くの銀行の帳簿上に流れ込んだ。負債が膨らみ、信用を失っていったことで、こうした銀行は現在、家庭や企業に融資をしたり、銀行間で資金を融通し合うことに消極的になっている。融資が途絶えると、家や車を買うことができなくなる。企業は解雇の実施を強いられる。経済はより苦しくなり、資金はさらに枯渇してしまう。

だからこそ、この悪循環を打破し、自信を回復し、そして融資を再開するために、我が政権は迅速かつ積極的に動いているのである。

それをいくつかの方法で実施する。第1に、我々は新たな貸出基金を創設する。これは、経済を動かし続ける消費者や起業家に対する自動車ローンや学資ローン、そして中小企業向けローンの供給を支援するための過去最大の取り組みである。

第2に、我々は住宅政策に着手した。これにより、差し押さえの脅威に直面した家庭の返済月額を軽減し、借金の借り換えを支援する。この計画は投機家や、払う当てもないのに家を購入した隣人を救うのではなく、住宅価格の下落に苦しむ何百万人もの米国民を救うのである。米国民はこの計画がもたらした低金利の恩恵を受けられる。実際、本日ローンを借り換える平均的な世帯の場合、年額にして2000ドル近くを節約できるのである。

第3に、米国民が頼りにする主要銀行がより困難な時期にあっても、融資するための充分な信頼性や充分な資金を確保できるよう、我々は連邦政府の全精力をもって取り組む。そして主要銀行が深刻な問題を抱えていると判明した場合は、当該銀行の責任を明らかにし、必要な修正を強制し、貸借対照表の正常化を支援し、人民及び経済に奉仕する強い機関としての継続性を確保する。

いつであっても、銀行を無条件で救済し、無謀な決定に関する説明責任を誰にも問わない、そのような手法を取れば、ウォール街はより安心するであろう。だが、そのような手法が問題を解決することはあるまい。我々の目的は、人民及び米国企業への融資を再開し、危機が最終的に終わる日を早めることにある。

私はこれらの銀行に、受ける支援についての充分な説明責任を果たさせるつもりである。銀行は今回、税金が如何にして米国の納税者へのさらなる融資に繋がるのかを明確に示さねばならない。CEOらは今回、己の報酬を水増ししたり、高額なカーテンを購入したり、自家用ジェット機に乗って姿を眩ませたりするために税金を使うことはできない。そのような時代は終わったのである。

もっとも、この計画は連邦政府からの多額の財源を要する―恐らく、我々が既に確保した額を上回るであろう。だが、断言してもよい。行動の対価は甚大であろうが、不行動の対価は遥かに甚大であろうことを。何もしなければ経済は数カ月や数年でなく、恐らく10年間にわたって停滞することになるからである。それは赤字を悪化させ、企業を悪化させ、諸君を悪化させ、そして次世代を悪化させるであろう。私は斯様な事態を起こさせない。

前政権が苦境にある銀行への支援を議会に要請した際、その不手際と、それが招いた結果に対し、民主党員も共和党員も等しく激怒したことは承知している。納税者も同様であった。私も同様であった。

だから、直ちに銀行を救うことが、殊に銀行の過てる判断によって誰もがある程度は苦しんでいる時にそうすることが、如何に不興を買うのかは承知している。断言しよう―そのことについては承知していると。

だが私は、危機の時に怒りに任せた統治をしたり、時の政治に屈したりする訳にはゆかないことも承知している。私の仕事、あるいは我々の仕事は、問題を解決することである。責任感を持って国家を統治することである。1セントたりとも、ウォール街の重役に報いるために使う気はない。だが、従業員に賃金を払えない中小企業や、節約してもなお融資を得られない家庭を救うためとあらば、如何なることでもする。

これが計画の肝なのである。銀行を救済することではない。人々を救済することである。何となれば、再び融資を受けられるようになれば、若い家庭が新居を買えるようになるからである。そうなれば、家を建てるために労働者を雇う会社も現れよう。労働者は使う金銭を得られるであろうし、ローンを組めれば、最終的には自動車を買ったり、事業を始めることもできよう。投資家は市場に戻り、米国の家庭は再び安心して退職後の生活を送れるようになろう。徐々に、しかし確実に、信用は戻り、そして経済は再生するであろう。

故に私は今議会に対し、共に必要なことをなすよう要請する。なぜなら、国民を果てなき景気後退へと追いやる訳にはいかないからである。斯様に大規模な危機が2度と起きないようにするため、私は議会に対し、時代遅れの規制を改革するための立法を迅速に進めるよう要請する。我々の金融市場が活力や革新性に報いることができるよう、また抜け道や特権濫用を罰することができるよう、強力で、新たな常識に基づいた規範を導入すべき時なのである。

重要分野への投資[編集]

再生計画や金融安定化策は、経済を短期的に回復させるために進めている当面の措置である。だが、米国経済の強さを完全に取り戻すための唯一の道は、雇用、新しい産業、世界との新たな競争力に繋がるような、長期的な投資を行うことである。今世紀が再び米国の世紀となるための唯一の道は、石油依存や高額の医療費、我が子らに対する備えのない学校や、子らが引き継ぐ負債の山などに、我々が立ち向かえるか否かに懸かっている。これが我々の責務である。

数日中に、私は議会に予算を提出する。我々はしばしば予算教書を単なる数字の羅列か、長々とした計画のリストと見做してきた。私はこの教書を異なる視点で見る。私はこれを米国の展望として、我々の将来の青写真として見る。

私の予算は全ての問題の解決を目指している訳でも、全ての問題を扱う訳でもない。我々が引き継いだ厳しい現実―1兆ドルの赤字や金融危機、多大な損失を伴う景気後退―を反映している。

こうした現実を踏まえ、この議場の誰もが―民主党員も共和党員も―、予算の足りない優先事項のいくつかを犠牲にせねばなるまい。私も同様である。

だがそれは、我々が長期的課題を無視してもよいという意味ではない。私は、諸問題が自然に解決されるとの見方や、共通の繁栄の礎を築く上で政府は役割を持たないという見方を拒絶する。

なぜなら、歴史は異なる教訓を与えているからである。歴史は我々に想起させる。経済が激変したり転換した際にはいつも、この国は大胆な行動と壮大な思想で対応してきたということを。南北戦争の最中、我々は海岸と海岸とを結ぶ鉄道を敷設し、商工業を活性化させた。産業革命の混乱から公立高校制度が生まれ、市民は新たな時代への備えができるようになった。戦争と不況の後、復員兵援護法は1つの世代を一挙に大学へ送り込み、史上最大規模の中産階級を創出した。そして、自由を求める黎明期の苦闘は高速道路大国を、に到達した米国人を、そして今日の世界を形成する技術の爆発的進歩を生んだ。

いずれの場合も、政府が民間企業に取って代わることはなかった。政府は民間企業に対する触媒として作用してきた。何千人もの起業家や新興企業が順応し、成長するための条件を創出してきたのである。

我々は危機の中に希望を見出だし、試練から好機をつかんできた国民である。我々は今、再びそのような国民たらねばならない。だからこそ私が提示する予算は、不要な計画を削減しつつも、経済の未来にとって決定的に重要な3つの分野に投資する。それはエネルギー、医療、そして教育である。

エネルギー政策[編集]

エネルギーから始める。

クリーンで再生可能なエネルギーの力を活用する国こそが、21世紀を主導する。けれども、エネルギー効率の高い経済を作るために史上最大の行動に乗り出したのは中国である。我々は太陽光発電技術を発明したが、生産ではドイツ日本の後塵を拝している。我々の製造ラインでは新型のプラグ=イン・ハイブリッド車が造られているが、それらは韓国製のバッテリーで動いている。

明日の雇用や産業が国境の外で根付くような将来など、私は容認できない―諸君もそうであろう。今こそ、米国が再び主導すべき時である。

再生計画によって、この国の再生可能なエネルギーの供給量を今後3年のうちに倍増させる。同時に我々は、基礎研究の財政支援に関して米国史上最大の投資―エネルギー分野での新たな発見のみならず、医学や科学、技術工学の躍進を促すであろう投資―をしてきた。

我々は近く、何千マイルもの電線を敷設し、もって新エネルギーを国中の都市や町に運ぶ。また、住居やビルのエネルギー効率を向上させるよう国民に努力してもらい、何十億ドルもの光熱費を節約する。

だが経済を真に変革し、安全を守り、気候変動による破壊から我々の惑星を救うためには、究極的にはクリーンで再生可能なエネルギーを採算性のあるエネルギーにしなければならない。故に私は議会に対し、市場原理に基づく炭素排出規制を導入し、米国内でのさらなる再生可能なエネルギーの生産を促す法律を私に送るよう要請する。また、その新機軸を支援するため、風力発電や太陽光発電の技術、先進的バイオ燃料やクリーンな石炭、そして完全にここ米国で製造された低燃費の自動車やトラックの開発などのために、年間150億ドルを投資する。

自動車産業に関して言えば、長年にわたる誤った経営判断と世界的不況が自動車製造業者を崖っ縁に追いやったことは周知の事実である。我々は、彼らを過ちから保護すべきではないし、そのつもりもない。だが我々は、新たな手段と新たな発想を持ち、競争して勝つことができる自動車産業という目標を堅持する。これには数百万の雇用が懸かっている。数十の地域社会が懸かっている。そして私は、自動車を発明した国が自動車を見放すことなどできないと信じる。

これらはいずれも代償なくしてはできないし、簡単でもない。だが、ここは米国だ。我々は、安易な行動はしない。この国を前進させるために必要なことをするのである。

医療政策[編集]

同様の理由により、我々は医療における激しい負担にも対処せねばならない。

この負担のために、今や米国では30秒ごとに破産が発生している。年末までに、150万人の米国民が家を失うことにもなりかねない。過去8年間に、保険料は賃金の4倍の速さで上昇した。この間、年に100万人以上の米国人が医療保険を失った。これは小さな事業所が廃業し、企業が海外へ雇用を移す主因の1つである。また、我々の予算の中で、最も大きく、最も急速に増大している部分の1つでもある。

こうした事実を考慮すると、これ以上医療制度改革を店晒しにはできない。

既に我々はこの30日間に、医療制度改革を進めるために過去10年間で行われたよりも多くの努力をしてきた。今議会は開会直後に、フルタイムで働く両親を持つ米国の児童1100万人に対して医療保険を提供・保証する法案を通過させた。我々の再生計画は、電子的診療記録や新技術に投資し、もって過誤を減らし、経費を引き下げ、プライバシーを確保し、そして生命を救う。我々の時代にの治療法を模索することにより、ほぼ全ての米国人の生命に影響を与えてきた病を克服するための新たな取り組みを開始する。そして、予防医療に史上最大の投資を行う。なぜなら、それが人民の健康を保ち、経費を抑制する最善の方法の1つだからである。

この予算は、これらの改革から成り立っている。それは包括的医療制度改革への歴史的な公約―質が高く、しかも手頃な医療をあらゆる米国民に提供せねばならないという原則に対する、言わば頭金―を含んでいる。長年の懸案だった制度の効率化によって、この公約の一部は実現できる。そしてそれは、我々が今後の赤字を引き下げたくば取らねばならない手段なのである。

さて、如何にして改革を達成するかに関しては、多様な見解や案があろう。故に私は来週、企業と労働者、医師と医療保険関係者、民主党員と共和党員を集め、この課題への取り組みを開始する[8]

これが容易な道のりだなどという幻想を、私は抱いていない。これは困難であろう。だが、セオドア・ローズヴェルト大統領が初めて改革を呼び掛けてから1世紀近く、医療費が我々の経済と良心とを長きに亙って圧迫してきたことも承知している。だから、この際はっきりさせよう。医療改革はもう待てない。待ってはならない。1年たりとも待てないのである。

教育政策[編集]

取り組まねばならない第3の課題は、米国における教育の展望を拡大する緊急の必要性である。

諸君が売りにできる最も価値ある技能は諸君の知識である、そんな世界的規模の経済にあっては、良い教育とはもはや単なる機会への道筋ではない―それは前提条件なのである。

目下、急成長している職種の4分の3が高校卒業以上の学歴を要する。しかしながら、その教育水準にある国民は半数強に過ぎない。我が国は、高校中退率が先進工業国中で最も高い国の1つである。しかも、大学に入学した学生の半数は卒業できない。

これは経済不振への処方箋である。なぜなら、今日、教育で我々に勝る諸国は、明日にはきっと競争力で我々に勝ることになるからである。故に、あらゆる児童が完全で競争力ある教育を―生まれた日から仕事を始める日まで―受けられるよう保証することが、この政権の目標となろう。

既に、我々は経済再生計画を通じて、教育に対する歴史的な投資をしてきた。幼児教育を劇的に拡大し、その質を高め続ける。なぜなら、最も学習能力が高いのは人生の初めの時期だからである。我々は、700万人以上の学生が大学教育を受けられるようにしてきた。また、児童の発達を妨げる予算削減や教師の解雇を防ぐのに必要な財源を供給してきた。

だが、学校はさらなる財源のみを要しているわけではない。学校は、さらなる改革を要しているのである。だからこそこの予算は、教師の業績を高めるための新たな奨励金を創設したのである。これは昇進への道であり、成功への報酬である。我々は、学校が高い水準を達成し、学力の格差を縮めることに既に貢献している、革新的な計画に投資する。そしてチャーター・スクールへの関与を拡大する。

このシステムを機能させるのは、政治家や教育者としての、我々の責任である。だが、これに参加するのはあらゆる市民の責任である。故に私は今夜、少なくとも1年以上の高等教育か職業練を受ける約束をするよう、あらゆる米国民に要請する。コミュニティ・カレッジでもよいし、4年制学校、職業訓練あるいは実習でもよい。だが、訓練が何であれ、あらゆる米国民には高卒以上の学歴が必要である。高校中退はもはや選択肢ではない。それは単に己を見捨てるのみならず、国家を見捨てるということである―そして、この国はあらゆる国民の才能を必要とし、重視している。だからこそ我々は、諸君が大学を卒業し、新たな目標、即ち2020年までに米国は大学卒業者の割合が世界で最も高い国家に返り咲くという目標を達成するために、必要な支援を提供するのである。 授業料はこれまでになく上昇している。故に、近隣で奉仕活動をしたり、地域に貢献したり、国家に尽くす意欲があるなら、より高度な教育を受けられるよう保証する。今の、そして未来の世代のための新たな国家奉仕の精神を促進すべく、私は議会に対し、オリン・ハッチ上院議員と、国家のために何ができるか考えるのを決してやめなかった米国人、エドワード・ケネディ上院議員の名を冠した超党派の法律を私に送るよう要請する。

こうした教育政策は、児童らに機会の扉を開くであろう。だが、彼らが確実に扉を通れるようにできるか否かは我々に懸かっている。結局、児童にとって、PTAの会合に出席したり、夕食後に宿題を看たり、テレビを消しビデオ・ゲームを片付け、本を読み聞かせたりする母や父の代わりとなりうる政策や計画はないのである。私は単に大統領としてのみならず、1人の父親として諸君に言いたい。児童の教育に対する責任は、家庭から始まらねばならないのである[9]

財政再建のために[編集]

無論、児童らに対する我々の責任は他にもある。それは彼らが支払えないほどの債務を残さなぬよう確約する責任である。我々が引き継いだ債務、我々が直面している危機の代償、そして我々が遂行せねばならない長期的課題に関して言えば、経済が回復するにつれて、債務を削減させるために必要なことを為すと確約することが、これほどまでに重要だったことはない。

私は、再生計画が使途制限なく通過したことを光栄に思う。そして、我々が支出するドルを最も重要な国家的優先課題にのみ反映させるような、来年度予算を通過させたい。

私は昨日、財政サミット[10]を開催し、最初の任期を終えるまでに財政赤字を半減させると約束した。無駄で非効率な計画を排除するため、我が政権では連邦予算を逐一見直してきた。お察しの通り、これは相当な時間が掛かる作業である。だが、我々は最大の方針から始めている。既に、今後10年間で2兆ドルを削減できる見通しである。

この予算では、我々は機能しない教育計画や、支援を要しない大規模農業への直接支出を終了する。我々はイラクで数十億ドルを浪費してきた随意契約を排除し、使いもしない冷戦時代の兵器システムに対する出費をせぬよう、防衛予算を見直す。高齢者を健康にしないメディケア[11]での浪費、不正、悪用を根絶する。また、雇用を海外に移している企業への減税を終了し、もって税制に公正さとバランスの感覚を取り戻す。

児童らを将来の債務から救うため、我々は米国民の2%を占める最富裕層への優遇税制を終了させる。だが、こうした優遇税制を終わらせるということは、米国民への大規模な増税を意味する、などという古臭い主張を聞くことになるであろうから、ここで完全に明確にしておきたい。もし諸君の家族の年収が25万ドルを下回るのであれば、10セントたりとも税額は増えない。繰り返すが、10セントたりともである。実際、この再生計画は米国の95%の勤労世帯に減税を―そう、減税を―提供する。そして、こうした減税策は間近なのである。

長期的な財政の健全性を維持するには、我々は増え続けるメディケアと社会保障の費用にも注意を向けねばならない。包括的な医療制度改革は、メディケアを将来にわたって強化する最善の道である。同時に我々は、全国民のために非課税の普遍的貯蓄制度を創設する一方で、社会保障についても如何にして同様の措置を行うかに関する議論を始めねばならない。

安全保障政策[編集]

最後に、我々は信頼の不足にも苦しんでいるので、誠実さと説明責任の感覚を予算に取り戻すことを約した。だからこそ、この予算は10年先を見据え、従来のルールの下では除外されてきた支出についても説明した―そして同予算は初めて、イラクアフガニスタンでの戦費の全額を含めた。7年間に亙り、我々は戦争をしてきた。もはや我々は、その費用を隠すつもりはない。

我々は現在、両戦争に関する政策を慎重に再検討している。イラクをイラクの人民に委ね、責任ある形でこの戦争を終わらせる道を近く発表する。

また、アル=カーイダを打倒し過激主義と闘うため、我々は友好国や同盟国と共に、アフガニスタンとパキスタンに対する新たな包括的戦略を構築する。なぜなら私は、テロリストらが地球の反対側の安全地帯から米国民に対する陰謀を企てることを許さないからである。

今夜、我々がここに集っている間にも、軍服に身を包んだ男女が海外を哨戒しており、さらに多くが派遣に備えている。彼らの各々に対し、そして彼らの不在という静かな負担に耐えている家族に対し、米国民は1つの伝言を送るため団結する。我々は諸君の奉仕を誇りに思う。我々は諸君の犠牲によって勇気付けられる。そして、諸君は我々の揺るぎなき支持を得ている。軍の負担を軽減するため、私の予算は陸軍兵士と海兵隊員の人数を増加させる。また、軍務に就く者に対する我々の神聖な信頼を維持するため、彼らの給与を引き上げると共に、退役軍人に対しては、これまで彼らが得てきた医療制度や給付金をより拡充して提供する。

過激主義を克服するためには、我々は同時に、部隊が守っている価値を支えることに用心深くあらねばならない―なぜならこの世界には、米国の規範より強い力は存在しないからである。だからこそ私は、グアンタナモ湾岸にある収容所の閉鎖を命じ、拘束されたテロリストに対する迅速かつ確実な裁きを求めるのである―なぜなら、我々の価値を体現することは、我々をより弱くするのではなく、我々をより安全にし、そして我々をより強くするからである。だからこそ、私は今夜ここに立ち、例外も曖昧さもなく表明するのである。米国は拷問を行わないのだと。

国際協調[編集]

我々は、新たな関与の時代が始まったことを、言葉と行動で世界に示している。それは、米国は単独では今世紀の脅威には対処できないが、世界も米国抜きでは対処できないということが判っているからである。我々は交渉のテーブルを避けることも、我々を害し得る敵や勢力を無視することもできない。代わりに我々は、深刻な時代が求める自信と誠実の感覚を持って、前進することを求められている。

イスラエルとその周辺国との間の安全及び永続的和平に向けた進展を探るため、我々は特使[12]を任命して努力を継続する。21世紀における様々な課題―テロリズムや核拡散、流行病、電脳世界における脅威、深刻な貧困など―に対処するため、我々は古くからの同盟関係を強化し、新たな同盟関係を構築し、国力の全要素を用いる。

世界的規模の経済危機に対応するため、我々はG-20諸国と協力して金融システムに対する信頼を回復し、保護主義拡大の可能性を回避し、また世界中の市場で米国製品への需要を促す。強い経済を得るために世界は我々に依存しているし、我々の経済もまた世界経済の強さに依存しているからである。

我々が歴史の岐路に立っている今にあって、あらゆる国家のあらゆる人民の目は再び我々に向けられている―この瞬間に我々が何をなすのかを注視し、我々が主導するのを待っているのである。

結び―我々は諦めない[編集]

今夜ここに集った我々は、非常時に統治することを求められている。途方もない重責ではあるが、大いなる特権―米国でもごくわずかな世代にしか委ねられたことのないような―でもある。世界を良くも悪くもする能力は、我々の手の内にあるからである。

我々はこうした真理を見失い、冷笑的かつ懐疑的になり、些細な、取るに足らないことに囚われやすい。

だが私は人生の中で、希望は思わぬ所で見つかるということも学んだ。閃きはしばしば、大きな権力や名声を有する者からではなく、ごく普通の米国民が抱く夢や願望から生ずるのである。

私は、マイアミの銀行の頭取、レナード・アベス氏のことを思う。報道によると、彼は会社を売却して6000万ドルのボーナスを受け取り、彼の下で勤務した行員全399人と元行員72人に分け与えたという[13]。彼はそれを誰にも言わなかったが、地元紙が取り上げた際、彼は「彼らの中には、私が7歳であった頃からの知人もいる。自分だけがこの金を得るのは良い気分がしなかった」とだけ語った。

私はカンザス州グリーンズバーグのことを思う。この町は竜巻で完全に破壊された[14]が、住民の手で再建中である―クリーンなエネルギーが如何に地域全体に電力を供給できるのか、また、それが1度は煉瓦と瓦礫に覆われてしまった場所に、如何に雇用や事業をもたらすのかを示す世界的な模範として。「恐ろしい惨劇だった」。再建を支援した男性の1人は語る。「だが、惨劇は同時に、信じられぬほどの機会をもたらしたことを、ここの人々は知っている」と。

そして私は、サウスカロライナ州ディロンで訪問した学校の少女、ティシェーマ・ベシアのことを思う―この学校は、天井から雨漏りがし、壁の塗装は剥げ落ち、しかも教室のすぐ脇を列車が通るので1日に6回も授業を中断せねばならない、そんな所であった。この学校はどうにもならないとの声を彼女は聞かされ続けてきたが、ある日の放課後、彼女は図書館に行き、ここにいる我々に宛てて手紙を書いた。切手代を校長に頼んでまで。手紙は我々に助けを求め、こう綴られていた。「私たちは法律家や医師に、皆さんのような議員に、そしていつの日か大統領になろうと努力している生徒に他なりません。私たちはサウスカロライナ州だけではなく、世界に変革をもたらすことができるのです。簡単に諦めたりはしません」と。

我々は簡単に諦めたりはしない。

これらの言葉や物語は、我々をここに送り込んだ人民の精神について教えてくれる。最も耐え難い時代や最も困難な状況にあっても、寛容、回復力、良識、忍耐強い決意、そして我々の将来と後世のために責任を取る意志があることを教えてくれるのである。

彼らの決意は我々の刺激たらねばならない。彼らの懸念は我々の大義たらねばならない。そして我々は彼らと全国民に、目の前の課題に対して皆が平等であることを示さねばならない。

我々は、今まであらゆる問題に関して合意してきたわけではないし、将来別々の道を歩む時も必ずや来るであろう。そのことは承知している。だが、今夜ここに座っているあらゆる米国人が国を愛し、国の成功を願っていることも承知している。それが今後数カ月間に行うあらゆる議論の出発点であり、また議論が終わった後で帰着する場所であらねばならない。我々がこの基礎の上に共通の土台を築くことを、米国民は期待しているのである。

そしてもし我々が行動するならば―もし我々が協力し、この国を危機の深みから引き上げるならば、もし人民を仕事に復帰させ、繁栄の原動力を再始動させるならば、もし我々が恐れることなくこの時代の困難に立ち向かい、諦めざる米国の永続する精神を奮い起こすならば、今から何年も後のいつの日か、我々の子らはそのまた子らに対し、伝えることができるであろう。あの時に我々が、まさにこの議場に刻まれている文言の通り、「記憶される価値のあること (something worthy to be remembered)」を為したのだと。ありがとう。諸君に神の祝福があらんことを。そしてアメリカ合衆国に神の祝福があらんことを。

訳註[編集]

  1. ナンシー・ペロウシー(1940年3月26日 - )。
  2. ジョーゼフ・バイデン(1942年11月20日 - )。
  3. ミシェル・オバマ(1964年1月17日 - )。
  4. 原文では「Day of reckoning」。「最後の審判」の意味もある。日本語における慣用表現では、「年貢の納め時」がこれに相当する。
  5. プレジデンツ・デイ (President's Day) 、即ち「大統領の日」とは、ジョージ・ワシントンの誕生(1732年2月22日)を記念して設けられた祝日である。別名「ワシントンの誕生日 (Washington's Birthday)」。2月の第3月曜日と定められており、2009年は2月16日。
  6. 米国再生再投資法 (American Recovery and Reinvestment Act) は、7872億ドルを投じて減税や公共事業、雇用創出などの施策を実施する法律。日本では、専ら「景気対策法」の名で報道された。
    2009年2月13日に上下両院で採決が行われ、賛成多数で可決された。上院での結果は賛成60票、反対38票。下院での結果は賛成246票、反対183票。同月17日、オバマ大統領の署名により成立した。研究開発戦略センターHP内資料「米景気対策法案、上下両院で可決」(産経新聞、2009年2月14日)。「総額72兆円、米景気対策法成立」(朝日新聞、2009年2月18日)。
  7. バイデン副大統領のフルネームは、ジョーゼフ・ロビネット・バイデン・ジュニア (Joseph Robinette Biden, Jr.)。ジョー (Joe) は通称。
  8. 「医療サミット (health care summit)」は、2009年3月5日に開催された。同会議には、有力議員、医療関係者、労働組合代表、有識者らが出席した。オバマ大統領は、2009年末までに医療制度改革を立法化するとの目標を掲げると同時に、約4300万人に上る医療保険未加入者に加入を促す考えを示した。「米大統領「医療保険改革は09年中に立法化」 政官民合同会議」(日本経済新聞、2009年3月5日)。「『米医療制度改革、年末までに立法化』オバマ大統領表明」(朝日新聞、2009年3月5日)。
  9. 実際の演説で、オバマはこの後に「それは民主党の問題でも共和党の問題でもない。米国の問題なのである (That is not a Democratic issue, or a Republican issue. That's an American issue)」という、原稿にない一文を挿入した。
  10. 「財政サミット (fiscal summit)」または「財政責任サミット (fiscal responsibility summit)」は、財政再建について議論するため、2009年2月23日にホワイト・ハウスにて開催した会合。経済閣僚、有力議員、労働組合代表、有識者などが参加した。オバマ大統領は冒頭の挨拶で、今後4年以内に財政赤字(2009年当初の時点で約1兆3000億ドル)を半減させる方針を示した。「米大統領、4年の任期内に財政赤字半減へ」(ロイター、2009年2月24日)
  11. メディケア (Medicare) とは、国民皆保険制度の存在しない米国が導入した、医療保険制度。65歳以上の高齢者や身体障害者を対象とする。
  12. 元上院議員ジョージ・J・ミッチェル。2009年1月22日任命。「中東とアフガン・パキスタン問題に特使 オバマ大統領」(朝日新聞、2009年1月23日)
  13. レナード・アベス・ジュニア (Leonard Abess Jr.) は2008年、彼の父らが1946年に創業した「シティ・ナショナル・バンク・オヴ・フロリダ (National Bank of Florida) 」を、スペインの銀行「カヤ・マドリッド (Caja Madrid) 」に9億2700万ドルで売却した。“Miami banker gives $60 million of his own to employees” The Miami Herald, February 14, 2009.
  14. 2007年5月4日発生。町内の建築物のほとんどが倒壊した。


外部リンク[編集]